9 メルヒオール王国

 気持ちの切り替えが得意でないレクスは、相変わらず昼食の席でも仕事のことを考えてしまう。それじゃ休憩にならないじゃないか、とキングは言うが、待っている大量の仕事がレクスの意識を持っていくのだ。もっと効率よく仕事をこなすことができれば、それも改善されるのかもしれない。

 昼食を終えて執務室のデスクに戻ると、ブラムが一枚の書類をレクスに差し出した。

「件の人間から、視察を受け入れるとの返答が来ました」

「そうですか。それじゃあ、日程を決めましょう」

 書面には、人間は魔族を歓迎するという旨が記されている。先日の関所での一件では、外交を結びたいとの書面が届いた。この視察でその一歩を得たいということだろう。

「二日後に組み込めますが、いかがでしょう」

「そうしてください」

「承知いたしました。では、被衣かつぎを用意しておきます」

 ブラムの言葉に、キングが首を傾げた。

「なんで被衣かつぎを?」

「レクスの顔を知られないためです。それから、人間の信用度も測りたいですから」

「ふうん?」

「今回の視察は、人間が信用に値するか見極めるためのものです。正式な外交ではありませんし、何より、レクスの顔が知れて暗殺にでも来られたら困りますから。それに、レクスが顔を隠すことを尊重すれば、敬意を払っていることにもなります」

「なるほどね。まあ、レクスの可愛い顔を人間のお偉方の不躾な視線でけがすわけにはいかないからね」

 レクスが城でひとりきりになることはないが、万が一ということもある。もし人間が複数人で暗殺に向かって来た場合、レクスはひとりで打ち勝つことができない。これがキングであれば話は別だ。キングは何人で襲撃しようとひとりで勝利することは容易いだろう。首を捻っているところを見ると、キングが外交の際に被衣かつぎを着用することはなかったようだ。

「私も同行するよ」

 キングが朗らかに言うので、レクスは首を横に振る。

「さすがに今回は連れて行けません。魔族のために、キングがご健在であることは隠しておきたいですから」

「それ、そんなに重要なことかなー」

「人間は魔王を討伐したと思っています。魔王が生きていると知れば、手のひらを返して再び戦いを挑んで来るかもしれません。敵対関係になるよりは、いまの曖昧な関係のほうがいいと思います」

「しっかりしてるなー、レクス。そこまで考えてるなんて」

「キングが考え無しなだけですよ」

 厭味たっぷりで返したレクスに、あはは、それはそう、とキングはおかしそうに笑う。相変わらず厭味の効かない人だ、とレクスはひとつ溜め息をついた。

「この国の文明は、人間の国より遅れています」レクスは言う。「できれば人間の知恵がほしいところですが、魔族の人間への信用を得るには時間がかかります」

 レクスは人間の暮らしを直接に見たわけではないが、いままでの報告書を見る限りそれは明らかだった。魔族は元より魔法で生きてきた人種。文明の遅れはそのためだろう。裏を返せば、魔族は魔法でなんでもできてしまうのだ。だが、それでは国の発展に繋がらない。この先も魔族の国が存続していくため、文明の進化は必要なことだろう。

「視察の結果如何いかんで、人間の視察団を受け入れてみてはいかがですか?」

「そうですね……」

「魔族の人間に対する信用は、レクスが人間の本質を見極めることで改善に進ませることも可能かと」

「……ですが、メルヒオール王国には勇者がいます」

 外交を希望してきた国は、勇者をけしかけ戦争を挑んで来たメルヒオール王国だ。そんな国が友好を示してきたのだから、まさに手のひら返しといったところだろう。

「もしメルヒオール王国が再び勇者を使って私を討伐しようと目論んでいるなら、友好関係を結ぶのは難しいでしょうね」

「それはないと思うよ」

 あっけらかんと言うキングに、レクスもブラムも揃って不審の視線を向ける。

「メルヒオール王国はつい最近、王が代替わりした。それに正直なところ、魔族総動員で掛かれば滅ぼすのは容易い国だ。メルヒオール王国が再び魔王討伐を企てているなら、自殺行為だよ」

「それに気付いていない可能性は?」

「私の戦いでわかってるはずだよ。何せ、私のもとへ辿り着けたのが勇者パーティの三人だけなんだから」

 先の戦いで、メルヒオール王国は多くの軍勢を魔族の国へ送り込んで来た。その中からキングのもとへ辿り着けたのが勇者パーティの三人だけだとしたら、あまりに実力不足だ。キングの言う通り、魔族の力で圧倒することができるだろう。

「それに、次に魔王討伐をしようものなら、もうこちらに遠慮をする必要はなくなる。国交の申し出がそのためのものだとしたら、見通しが甘すぎる。賢い王なら選択しない行為だよ」

 なるほど、とレクスは小さく呟く。確かに、賢い王なら敵対より和睦を選ぶだろう。とは言え、魔族の人間に対する心証を察せられていないところを見ると、認識の甘さが顕著なのではないだろうか。

「まあ、なんにしても」キングは肩をすくめる。「この視察で人間の本質と目的を見極めることだね」

「私は人間のことをよく知りません」

「知らないからこそ見えてくるものがあると思うよ。レクスが感じたことでいいんだ」

「…………」

 自分の判断が魔族の未来に影響すると考えると、重圧を感じざるを得ない。人間の本質を見抜けなければ、魔族の不利益になる可能性もあるのだ。自分にそれだけの感性があるかと言うと、甚だ疑問だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る