物々交換のお婆さん

 近頃、妙な噂話がある。

 雪降る日に限って現れる一人のお婆さんは何でも物々交換でないとその物をくれないらしい。

 その交換してくれる物は絶対に自分が思っていたよりも良い物となるそうだ。

 ただし、それは食べ物に限っていて、金目の物ではないという条件付きだった。

 そんな話を冬野は春成にした。

「このお天気なら明日は雪が降りそうですよね? 現れますよね?」

「そんなに気になるのか? そのお婆さんが」

「ええ! だって、そのお婆さんにこの干し柿を交換してもらいたいんです!」

「あ……」

 その干し柿は春成が客からのお礼として、しこたまもらって来た渋柿を冬野がせっせと吊るして干し柿にした物だった。

 最初のうちは良かったが段々と飽きて来る。

 来る日も来る日もでは食べなくなる一方だった。

「いえ! 別に干し柿が嫌いだとか、春さんが食べないから! とか言ってるんじゃないんですよ? この干し柿はとても甘くて美味しいし! もっと食べたいのですが」

「分かった、分かった。俺がそんなに食べないのが悪いんだろ? 冬が逆にいつも食べているのを見てる」

「じゃあ、分かってくれますよね? 私、明日雪が降ったら行って来ますから!」

「まあ、明日は朝市だしな……行って来ると良い」

「はい」

 とは言ったが、冬野は思う。

 春さんだって、一緒に来てくれれば良いのに……と。

 当分の間の物を買えば重い荷物になるのは分かり切っている。

 自分一人でそれを運ぶのかと思うとうんざりだ。

 だが、きっと春成は明日も仕事だろう。

 だから、無理は言わない。

「そういえば、最近、お化け退治だとかはしないんですね?」

「ああ……ちょっと前に試しにやってみた結界が効いてるのかもな」

「結界?!」

 驚く冬野に春成は笑った。

「まあ、大した事はない。生きてる人間には効かないから」

 そう言って、春成は何を思ったかおずおずと。

「俺も……明日、一緒に行っても良いか?」

「え?」

「朝市に……」

「何か急にる物が?」

「いや、行って来ると良いと言っておいて何だが、やっぱり原因は俺だな……と思ってな……」

「そうですか」

 今度は冬野がふっと微笑む番になった。

「嬉しいです。一緒に行ってくれるのであれば、明日はたくさん買えますね! いつもはそんなに買えないのです」

「何でだ?」

「普通に考えてください」

 それ以上は冬野は言わなかったが、春成ははたと気付いたらしく。

「そういう事はちゃんと言えって言ったろ?」

「そうでしたっけ?」

「言った気がする……」

 自信がなくなったようだ。語尾が小さくなった。

「ふふっ、春さんでも忘れることがあるんですね」

「俺だって人間だ。生きてれば多少は分からないこともあるさ。その婆さんはどこに居るんだ?」

「さあ? 人の噂ではあちこちに現れているそうです。規則性はない、それしか分かりません」

「冬野は何が欲しいんだ?」

「そうですね、この冬を越せるだけの物になれば良いな……と思っています」

 そう言った翌日、快晴の日にお婆さんは来ないと冬野はとぼとぼと歩いていた。

 少し後ろを歩く春成は珍しそうに朝市の中を歩く。

 久しぶりの快晴に人々は活気付き、道の両側には様々な店が簡易ではあるものの並び、客と商売をしている。

 そんな中、下を向いて歩く冬野はまだ気付いてないようだった。

 このまま行くと――。

「冬野」

 そう声を掛けれられ、顔を上げれば、目の前に自分より背の高い男性が居た。

 おっと! と男性の方も気にしていなかったようでぶつかりそうになった。

「ごめんなさい!」

 思わず、逃げるように冬野はその男性を避け、何とかなったが、春成はそんな冬野を心配そうに見て、こちらに駆け寄って来た。

「大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。干し柿持って来なくて良かった」

「そうだな、ぶつかっても何の役には立たなさそうだが」

 ごもっともな意見に冬野は春成を見る。

「どうした?」

「春さんは、何か食べたい物がありますか?」

「特にはないが、冬野が作る物なら何でも良い」

「なら、干し柿を食べてくれれば良いのに……」

 そんな皮肉を言われ、うっ! と心が痛くなっていると誰かが言った。

「いや、あの体の逞しさは何だい?」

「うちの労働力になるよ、ありゃ……」

 名も知らないおばさん達の話の種になったらしい着物姿の春成を冬野も改めて見る。

「労働力……」

「何だ? 働いてほしいことがあれば言え、冬野ならタダだぞ?」

「いえ、ありません! でも、お金は取るんですね」

「そりゃあ、取らなきゃ仕事にはならない。食べてはいけないからな」

「そうですが……」

 冬野は春成の手紙に誘われ、あの屋敷に来てから一度もちゃんと外で働いたことがない。いつもあの屋敷の中に居て、一人使用人のようにして過ごしている。

 勝手にそうしているのに、春成からはそんなことをするお礼にと給料代わりの生活費を渡され、これで俺の食事も頼むと言われれば、やってしまうというもの。

「春さんは本当に何でも良いと言いますね。こだわりとかないんですか?」

「いや……」

 答えてくれるかと思えば、春成は興味ある物を発見したのか。

「お! 冬野、飴だ!」

 と気を紛らわして来た。

 そんなに興奮する物だろうか……と冬野は春成を見る。

 それはとても喜んでいる顔だった。

「缶入りの……、飴が好きなのですか?」

「いや、俺はお前にと思う。お前はそんなに好き嫌いとかないだろ?」

「まあ、食べ物に関して言えば」

「だからな、買ってやろうと思って」

 結構です! と言うのに春成は冬野にその飴を買って渡した。

「あ、ありがとうございます……」

 正直、りはしなかったが、何かの役に立つかもしれないと思うとそれなりに持っていようと思えて来る。

「他に買う物もないなら帰るか?」

 と春成に言われ、冬野はそれに素直に応じた。


 数日後、雪が降った。

 物々交換のお婆さんは現れるだろうか、この数日の間に春成が頑張って干し柿を食べてくれるようになったおかげで少しは減って来たが、まだある。

 行けるのなら行きたいが、無理だろうか。

「雪はそろそろみそうだが、迷っているなら行ってみれば良い。俺も行く」

「どうしてですか?」

「こんな日に干し柿をたくさん持って行くのかと思うと男がすたる」

「まあ!」

 いつもはそんなの気にしてなさそうなのに、余程今になって干し柿に苦しめられているのか優しく感じる。

「では、行きましょうか」

「ああ……」

 よっこいしょ……と冬野ならなりそうなのに、春成はひょいとその箱半分くらいの干し柿を余裕で手に持ち歩く。

 傘がなくても大丈夫そうだが、念の為一つだけ手に持ち、冬野は春成の後を追い掛ける。

 けれど、どこに居るかも分からない物々交換のお婆さんはなかなか見つからない。

 通りで見かけた人に訊いてみても分からないと言われるだけで時間が経つ。

「もう今日は居ないのかもしれないな」

 そう言われ、冬野もそうだろうと思った頃、背後から声が掛かった。

「もし、あの……それを交換して下さらないか?」

 冬野が振り返れば、手ぬぐいで姉さん被りをした腰の曲がったお婆さんが一人にこにこと立っていた。

 その手には何やら箱が一つある。

 その中を見ようとしたがそれよりも冬野はあることに気付いてしまった。

 傍から見たら絶対に分からないだろう微かな変化、それは顔が一瞬ビクッと驚いたような怖さというか、ドキドキさが伝わって来る感じがした。でもそれはすぐに元に戻った。

 どうしてだろう? と思っていれば、そんなお婆さんを見た春成が声を出す。

「お前が婆さんか?」

 失礼な言い方だが、お婆さんは気にせず。

「そうですよ、あたしゃ、その物々交換のお婆さんです」

 と名乗った。

 声そのものはそこら辺に居る普通のお婆さんなのに、少し変わっている。

 何故そう言ったのか分からない。

 物々交換をしてくれるのは確かなのだろうが、ずっと見ている春成の顔も気になる。

 化け物なのか? だったら、自分は見れないはずだ。だが、見れている。そう言えば前にも一度そんな事があった。

 不思議だ――そう思っていると物々交換のお婆さんは言う。

「どれ、交換しましょうかね……」

 と勝手に物々交換を始めてしまった。

 これもこれも……と、あれよあれよという間に全ての干し柿がこの冬越せそうな分の食料と変わる。

「こんな山盛り!? 良いんですか?!」

 ちょっと驚きに満ちたその冬野の表情に物々交換のお婆さんは満足そうに言う。

「ああ、今日はもう店仕舞いしようと思っていたしね、残っている物全部をあげるよ。だからこの干し柿は全部もらうことになるけどね」

「良いですよ! あげます!」

 喜びいっぱいに冬野の顔に何故か春成も笑った。

 何故だろう? 何がおかしいのか冬野には分からないけれど、この和やかな雰囲気は好きだった。

「では、また――」

 そんなことを言って物々交換のお婆さんはどこかへと姿を消した。

 それを見て春成も言う。

「あの婆さん……」

「化け物ですか?」

「へ?」

 何とも間抜けた声を春成が出したものだから、冬野は瞬時に違うのかと確信を得た。

「何故、そう思った?」

 理由を冷静に求められ、冬野は正直に話す。

「だって、春さんがずっと見ているから……そういう時は何かこう……変わられる気がするんです、春さんが」

 庭の藤の棚の時もそうだった。

 いつもとは違う感じ。何があってそうなるのだろう。

 冬野は日に日にそれを強く感じていた。

 けれど、それは言わないようにしていた。あの頭を撫でられ続けた夜からまた同じ事を繰り返していた。

「……」

 それは春成も同じだった。

 いつだって欲しい答えはくれない。

 やっと口を開いたかと思えば――。

「まあ、そんな所だろう。お前は本物を一度はその目で見ているんだし、俺だって少しは考え込むよ」

 とばかりで、すっかり重くなった荷物を手に帰ることとなった。

「雪は降らずですね……」

「冬は雪が降ってほしいのか?」

「いえ……」

 役に立たない傘を持つほど悲しいものはない。

「俺は晴れて良かったけどな……。冬がきっと濡れる。それは俺的には嫌だ。だったら、自分が濡れる。でも今は荷物があるからな……、これを冬に持たせるのも忍びないし、何より冬がその傘を俺に差してくれたところで身長的に……」

 ムー……と内心、腹立たしいのが分かってしまったのだろうか、春成は急に黙った。

「別に怒ってはないですよ? でも、ちょっとはその……」

 何だろう? 最近、春成が近くに居る時間が多いせいか気の緩みが出てしまっている。

「何だ?」

「謝ってほしいとかではなくて……」

「放っておいてほしくないのか?」

「え?!」

 それはどういう意味だろう? でも、少しばかり当たっている気もする。

 全部を教えてくれないこの人に私は尽くすことができるだろうか、これ以上の事で。

 そう考えた時、屋敷が見えて来た。

 私達の住む屋敷、この辺では一番立派なのではないかと思える。

「数十年前までは誰かが住んでいたんですよね?」

 何故急にそんな事を言い出すのか? という顔を春成はしたが、答えてくれた。

「ああ、その頃から化け物が出て来たと言っていた。何があって、そのようになったのかは今も分からないが……、それで人が全然近寄らない。皆、知っているんだ、ここに化け物が出ることを。でも、そこに住む者のことをとやかく言わないのはそれだけここが忘れ去られているからだろう。ここに住んで数年になるが、誰も何も言って来ないからな。この屋敷は何でも屋の仕事の報酬としてもらうことになってはいるが、実質もうもらったのも同然。元々ここに住んでいた者達は遠い地で安住あんじゅうしていると言うし、帰っては来ないだろう」

「そうですか……」

 しっかりした人だ、と冬野は春成のことを思う。

 そして、自分は本当にこうしてこの人の隣を歩いていて良いのだろうかと疑問にも思う。

 それくらいの差を時々感じてしまう。何故か――。

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