うさぎさんといっしょ

 いつものように月を見上げて歩いていると、白くて大きなおまんじゅうが、ゆっくりと降ってきた。思わず両手を伸ばして受け止める。


 しゅぽっと私の腕の中に入ったそれは、ふわふわでぬくぬくした、一匹のうさぎさんだった。


 おともだちと縄跳びしてたら、飛びすぎちゃった……。


 うさぎさんは話しながら鼻をひくひくさせている。それからスーツの袖をつかんで、きゅーんと泣き始めた。

 放り出すわけにもいかないので、私のマンションに連れていく。


 部屋に帰ってくると、うさぎさんがぺこりと頭を下げた。


 ひとりはさびしいので、いっしょに居てください。迷惑はかけません。


 私は了承して、生活に必要なものを聞いた。

 うさぎさんはご飯もいらないし、トイレも使わないそうだ。


 その代わり、テーブルにあった楕円のベーカリーバスケットを貸してほしいと言われた。

 いいよと言ったら、中にすっぽりと収まり、目を細めてぷーぷーと寝息を立て始める。


 緊張が緩んだのかな。うらやましい寝顔だ。

 私も寝なきゃ。



 翌日。

 うさぎさんが留守番したくないと言うので、通勤カバンに入れて出社した。

 どうやら他人には姿が見えないらしい。どんな理屈なんだろう。


 会社でもデスクの上で丸くなって、私のそばにいてくれる。

 たびたびうさぎさんの頭を撫でた。

 手のひらの感触と、そこに残った甘いハーブの香りに、気持ちが落ち着く。



 数日経った夜。

 私はつい、うさぎさんに仕事の愚痴をこぼした。


 みんな自分勝手なんだよ。

 『普通』って言葉で自分の意見を包みこんで、価値観を押しつけてくる。

 断れない『親切』が私の時間を奪い、中身のない『心配』や『感謝』が精神を逆なでする。

 そして相手の感情を真っ直ぐ受け取れない自分に、欠落感を覚える。


 あふれてくる苦味に溺れていくと、うさぎさんが私の頬をぺろぺろと舐めてくれた。

 くすぐったくて、心地いい。


 誰かに悩みを打ち明けたことはない。

 愚痴を言いたいときはあった。だけど話すことで、積み上げてきた自分の印象を崩すのが怖い。暗い話で他人や空気をよどませるのも嫌だ。


 だから感情のコップに蓋をして、奥の奥に隠していた。あふれても気づかないフリをして、汚れを拭き取りもしないで。

 でもいま、コップは空になった。今度は甘くて美味しいジュースを注ぎたい。


 気づけば、うさぎさんに悩みを話すことが日課になった。私にだっこされながら耳を傾け、私の言葉をすべて受け入れてくれる。


 そうだ、次の休みは買い物に行こう。うさぎさんの欲しいものをなんでも買ってあげるんだ。



 金曜日の夜、窓をぺちぺちと叩く音がした。

 カーテンを開けると、うさぎさんと同じ姿がふたり、ベランダに並んでいた。


 そっか。今日でお別れなんだね。


 ……引き止めたい。

 でも、お友達と抱き合っている姿を見たら、できない。


 うさぎさんがいなくなったら、また元の生活に戻ってしまう。

 いいや、もっとつらくなる。


 涙をこぼさないようにいつも月を見上げていたのに、今度から月を見ても悲しくなってしまう。うさぎさんを思い出してしまうから。


 私はどうすればいいの?

 独りは寂しいよ……。


 口を結んで下を向いていた私に、うさぎさんはほっぺをすりすりしながら教えてくれた。


 だいじょうぶ。もうひとりじゃないよ。


 うさぎさんは丁寧にお礼を述べて、月に帰っていった。

 テーブルの上で、空っぽのベーカリーバスケットが中身を求めている。


 入れるものなんてない。



 ある日。

 同期の知り合いから上司の不満を聞いていると、つい「実は私も……」と話してしまう。あふれた感情がうっかり口からこぼれて出て、止まらない。


 相手は一瞬おどろいたが、真剣に話を聞き、最後は嬉しそうな顔で共感してくる。

 それから話が弾み、初めて誰かと二人で一杯飲みに行った。


 どうやら、愚痴をまったく言わない私が悩みを溜め込んでいるんじゃないか、と心配だったらしい。だから喜んで話を聞いてくれた。

 私はたくさん話して、いっぱい食べて、飲んで、満たされていく。


 言葉にしなきゃ気づかないものが、ずっとそばにあった。


 うさぎさん、こういうことだったんだね。

 ありがとう。私も独りじゃなくなったみたい。


 帰り道にほろ酔い気分で見上げた月を、色濃く感じた。


 うさぎさんのおかげで、つまらない毎日がちょっぴり楽しくなってきた気がする。

 ようやく私の人生にも、ツキが巡ってきたみたい。


〈終〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る