第3話

 灰色の石段を見上げれば、そこにも薄く雪が積もっており少しでも足の置き方を間違えると滑落してしまいそうな危機感を覚えた。

 このブーツのソールは特殊な素材で作られており雪面で滑ることは絶対にないらしいが、万が一俺がここで滑って転んで命を落とすようなことになれば日本人は絶滅してしまうかもしれないので慎重に歩みを進める。

「しっかしなんでこんな場所に」

 ザクザクと雪を踏み潰しながら階段を上っていく。その先には一部塗装の剥げた赤い鳥居が見えた。

 この日本ではメカニズムは解明できずとも、年越し失敗者の救済法は見つかっている。そしてそれは現在、義務教育のひとつとして小学校で必ず習うことになっていた。あらゆるものがペーパーレス化したこの時代に、紙の教科書にそれが記載されているのは電力供給が絶たれたときのためだろうか。本当にしぶといな。

 しかし今はそのしぶとさに助けられ、俺は地図アプリのGPSを頼りに近くの神社へ向かっていた。

「……ふう、着いたか」

 石段を上りきり、赤い鳥居に到着した。古来より変わらない染料による朱色の前で「失礼いたします」と一礼をして、くぐり抜ける。

 境内には誰もいなかった。しかしうっすらと雪の積もった地面にはいくつかの足跡が残っているので、きっとさっきまでここにいたのだろう。

 参道を真っすぐに進んでいく。その道の先に、今の時代では珍しく木材で造られた大きな建造物が見えた。

 本殿だ。幾度か改修もされているが、その大部分が数千年前から残っているものらしいから木というのも馬鹿にはできない。

「よし」

 音ひとつない参道を進み、本殿の前で立ち止まった。本殿の入口の前には重そうな木箱が置かれており、その上部には大きな鈴とそこから太い縄が垂れ下がっている。

 そこで復習を終えた俺はリュックに教科書をしまい、代わりにずしりと重たい巾着袋を取り出した。持ち上げた拍子に、じゃり、と金属が擦れる音がする。

 さて用意はできた。

 もう一時を過ぎてるけど、ようやく新年の幕を開けよう。

「にしても、ほんとよくこんなとこ見つけたよな」

 見た目だけで判断すれば、風が吹けば一気に崩れてしまいそうなほどの古さを感じる本殿を見上げながら俺は思った。

 神社の本殿の入口が去年と今年を繋ぐゲートとなっている、とはじめて気付いた人は誰だろう。もしかしたら世界でも名高い学者なのかもしれないし、たまたま遊んでいた近所の子どもだったりするのかもしれない。世紀の大発見がすべて天才によるものとは限らないしな。

「さて、最初はやっぱり」

 言いながら相手の顔を思い出す。年越しに失敗した人を呼び出すには、その人の顔を思い浮かべなければいけないのだ。仮に日本中の年越しに人々が失敗していた場合、俺一人じゃどうにもならないが、まあそこは問題ないか。

 やり方自体はとても簡単だ。それこそ小学生でもできる。

 教科書によると、昔から老若男女問わず使われていた方法らしい。

「……ひとりって気楽で、結構楽しいけどさ」

 小さく呟きながら、俺は巾着袋から五円玉を二枚取り出した。完全キャッシュレスの現代でも、この小銭はどの家にも常備されている。

 二枚の硬貨を賽銭箱に投げ入れ、鐘を鳴らす。

「みんないなくなってほしいわけじゃないんだよ」

 一歩下がり、頭を下げた。

 二礼二拍手一礼。

 これに何の意味があるかはわからないが、ずっと昔から伝わるおまじないだ。

 パンパン、と柏手がしんとした雪夜に響く。


「――謹賀新年!!」


 冷たい空気を大きく吸い込んで、ひとつ叫ぶ。この救済法を完成させる呪文だ。

 俺が先程より深く一礼をすると、本殿の入口がぼんやりと光を帯びはじめた。その光はゆっくりと入口全体を覆いつくし、月より眩しく夜を照らす。

 そしてその光の中から、見慣れた二人の姿が現れた。

「あれ俊也しゅんや、なんでこんなとこにいるのよ! 今年は帰ってこないって言ってたのに。ねえお父さん!」

「いやまて母さん。なんかおかしいぞ。さっきまでこたつに入ってたのに雪が降ってる」

「あらまあ雪なんて久しぶりね」

 エプロン姿の母とはんてんを着た父は辺りをきょろきょろと見回した。まだ状況がわかっていないらしい。

「ここはうちの近くの神社だよ。二人とも年越しに失敗したんだ」

 俺はリュックからスニーカーとジャケットを取り出して二人に渡す。二人は急に寒さに気付いたらしく、それを受け取るやいなや即座に装着した。

「へえそうなの! わたし年越し失敗したの初めてよ!」

「俊也が迎えに来てくれたのか。ありがとうな」

 なんだか楽しげな母と小さく頭を下げる父。

 その声を聞いて懐かしさに浸りそうになる自分に気付き、もう一度気を引き締める。まだやることが残っている。

「実は他にもたくさん年越し失敗してる人がいるみたいなんだよね」

「なに。そりゃあ大変だ」

「そうなんだよ。で、俺はこれから友達呼ぶからさ、父さんたちも知ってる人みんな呼んであげてよ。ちょっと寒いだろうけど」

 俺は自分の分の五円玉をポケットに詰め、中身の半分以上残る小袋を二人に差し出した。父はそれを右手で受け取る。

「おお、なるほどな。よし任せろ」

「そうね。隣の坂本さん呼ばなくちゃ。……パート先の鬼店長は呼ばなくてもいいかしら」

「おい」

「やだ冗談よお父さん」

 ぱたぱたと二人は急ぎ足で俺を挟むように立って、賽銭を投げ入れる。

 さっきよりも増えた柏手の音が本殿をさらに強く輝かせた。

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