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 名古屋場所初日。沙良星はいつになく緊張していた。

 相手は元幕内開心力かいしんりき。軽量ながら真正面からぶつかってくる、人気力士である。すでに館内から、いくつもの声援が飛んでいる。

 若くしてプロレスラーとして成功し、注目されて角界入りした沙良星にとって、「自分よりも人気のある相手」と戦うことは稀だった。

 真正面に立った開心力は、確かに他の幕下力士とは雰囲気が違った。殺気というものではなく、全てを見透かし、受け止めるような空気。力が衰えて落ちてきたにもかかわらず、強者の雰囲気は纏ったままなのである。

 両手をついた沙良星は、じっと相手の目を見た。相手も、沙良星の目の奥を見つめてきた。

 二人が、同時に立つ。素早く潜り込み、前まわしを引こうとする開心力。沙良星は肩越しに右の上手を引き、左手は相手の首に回すのがやっとだった。完全に中に入られ、両前まわしを引かれた。苦しい体勢になった。

 だが、どこかで沙良星は懐かしさも感じていた。昔、こんな感じで練習をしたことがある気がする。相撲に転身する前だ。

「俺の技やってみたいって? 生意気だなあ」

 そう言いながら、柴橋先輩は手本を見せてくれた。両手を相手の背中に回して、組む。そのまま左側に大きく体を振って、ひねり倒す。

 サンライズ・スクリュー。柴橋健の得意技だった。

「できてましたか?」

「まあまあだな」

 そう言って、柴橋は笑った。

 実際の試合で出すことはなかったが、練習では何度も試していた。沙良星はそれを思い出し、上手を離すと、開心力の背中に手を回し、思い切り体をひねった。

 軽量の開心力は、くるりと回って土俵に落ちた。「受け身うまいじゃん」と沙良星は思った。



沙良星(1勝0敗) 合掌捻り 開心力(0勝1敗)



 館内が異様なざわつきに包まれた。珍しい決まり手であるという点と、それを沙良星が繰り出したという点。一部の「相撲とプロレスの両マニア」は、「サンライズ・スクリューだ!」と大変興奮していた。

 沙良星も、不思議な高揚感に包まれていた。プロレス時代の練習を、生かすことができた。一度身に付けた動きは、忘れることはない。

 誰からも見えない場所までたどり着いた時、沙良星は小さくガッツポーズをした。

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