第32話 愛していると言ってやれ

 松山さんとともにアルバイト先のコンビニへ到着した。


「吉田くん、久しぶりだね! 体の調子はどうだい? もう普通に学校に行けるのかい?」

 店長がとてもにこやかな表情で出迎えてくれた。


「今日退院したばかりなので、通学に耐えられるかはこれから確かめることになります」

「そうか。でも退院できただけでもよかったよ。頭を打っていたって聞いたから、心配で心配で」


 周りの反応を見て初めて「頭を打つ」のがとんでもなく危険なものなのだと認識した。

 とくに俺の場合は爆薬で吹き飛ばされているので、かなりの勢いで強打した可能性が高い、と医師から説明を受けていた。

 松山さんの話でも「頭から落ちた」らしいので、危険だったようだ。


「まずは復学して、毎日通うことである程度体力がついたらまた雇っていただきたいのですが」

「ああ、いいよいいよ。ぜひまた雇いたかったところだ。君がいないと夕方も楽しくなかったからね。いや、松山くんもアメリカの珍しい話が聞けて楽しいんだけどね」

「吉田くんの話も店長から伺っていたんだ。どれだけ頑張って働いていたのか。それがわかってくるたびに、僕たちはなんてことをしてしまったんだ、と改めて思い知らされたよ」

 そう思ってくれるだけで、松山さんがシフトに入ってくれた意義があったように感じられた。


 そもそも松山さんもアメリカに単身渡ってバイトで稼ぎながらスタントの経験を積んでいたのだから、働くことと学ぶことのたいへんさ、たいせつさは身にしみているのだろう。

 俺にとって最大の理解者といえた。監督の山本さんが苦労知らずのようだったので、実に対照的だ。


「ハリウッドの話なんて、俺も聞きたかったですね」

「今度君にも教えてあげるから。早くアルバイトに戻ってこられるといいね」

「そうですね」

「じゃあ僕はこのあとこのままシフトに入るから、吉田くんは部屋に戻って片付けを続けるといいよ。レポートもまとめないといけないだろうしね」


「そうですね。レポートに悩まされるかもしれませんが、早く書き終えて教授会に提出できるよう頑張ります」

「私も応援しているからね。必ず戻ってくるんだよ」

「はい」



 バイト先から部屋へ戻る途中、高級な外国車から女性が降りてきた。小田だ。

「あなたに知らせておいたほうがよいかと思い、お待ちしておりましたわ」

 このまわりくどい話し方は高校の頃から変わらないな。


「私は女子大に通っていますから関係ないのですが、新井さんの身のまわりに注意することね」

「どういうことですか? 誰かから悩まされているような状況にある、とでも言いたげなセリフだけど」


「あなたのサークルの先輩が、彼女に言い寄っているようよ。あなたに心配をかけまいと話していないようだけど」

「まあ誰かの恋愛感情は俺の独断で変えられるようなものではないですよね?」

「でも彼女はあなたに救われたがっているのは確かよ」

 腹芸をしていても頭が痛くなりそうだったので直球を放ってみた。


「サークルの先輩はおそらく井上さんですよね。推理サークルの」

「ご名答」

「それなら俺が井上さんに直接談判してみますよ」

「どうやってかしら。あなたたちはすでに退会しているのよね。接点がないと思うのだけど?」

「少なくとも元部員というのは彼女とも共通していますよ」


「そうね、そう。でもあなたの覚悟が問われると思うんだけど、それはどうお考えかしら?」

「彼女は俺にはもったいないくらい出来のよい人ですよ。それは認めます。でも井上が俺の代わりになるかと問われたら、否、と答えますよ」

「その程度では彼は止められなくてよ。彼はなんとかして肉体関係を結ぼうと躍起になっている。そううちの者から聞いているんだけど?」


「そんなことにならないよう、手を打ちますよ」

「どうやってかしら。今の程度の覚悟では彼女を守れなくてよ?」

「必ず守ってみせますよ。なんなら村上プロデューサーのように警察を動かせる可能性もあるのですから」


「そうじゃないのよ、吉田くん。あなたが彼女をどこまで愛しているのか。それがわかれば彼は引き下がるんじゃないかしら」

「俺が彼女を愛している?」

「あら、愛していないの? 新井さんも可哀相だわ。あんなに尽くしてきたのに、肝心のあなたがその程度では……」


「彼女はかけがえのない人だ、とは思っている。これが愛なのか恋なのかはわからない。でも、誰かにとられていいとは思わない。それじゃあダメなのか?」

「彼女は言葉を求めているはずよ。態度では確かにそのとおりなんだろうけど、女は言葉を待っているものなの。『愛している』というたったひと言のために生きているようなものなの」

「『愛している』……」


「そう、それを面と向かって伝えることが、彼女を守る最も強い力になるわ。言い寄られても徹底的に抗おうとするでしょうね」

 いつの間にか眉間に力が入り、小田をにらみつけていたことに気づいて、視線を外して表情をやわらげた。

「まあ、今すぐ告白しなさい、とは言わないわ。でも彼女を本当にたいせつに思うのなら、取り返しがつく間に伝えたほうがよくてよ」

「小田……お前なあ……」


「今日はそれが言いたかっただけなの。“一哉くん、愛しているわ”」


 そう言うと小田は高級車の後部座席に座って、その場を後にした。

 今あいつ、なんて言ったんだ?




「あれ、松山さんは?」

 新井が部屋で出迎えてくれた。

「そのままシフトに入るからって」

「で、どうだったの。また雇ってもらえそう?」

「ああ、体が完全に良くなったらまたお願いしたいってさ」

「よかった。これで心置きなく大学に戻れるね」


 おいしい匂いがしていることに気がついた。

「あ、お母さんはもう帰るって言ってました。久しぶりに料理を食べて初心を忘れないように──と伝えてほしいって」

 山本さんも席を立った。

「吉田くん、私も帰りますね。これからアルバイトに入らないといけないので」

 民事で俺の損害賠償を請求されているから、少しでもアルバイトをして弁済費用を捻出しなければならないのだった。


「あ、吉田くんは気にしなくていいから。私、好きなことをしているだけだし」

「どんなバイト先なんですか?」

「映像制作会社の見習いよ。将来の就職先にもなりそうだから」

 なるほど、映画サークルとしては順当な働き口ではあるな。


「そこでなにか創って提出できれば本採用ってわけ。まあ大卒が条件なんだけど」

「でも就職の目処がついたのはよいことですよね」

「ええ、転んでもただでは起きない。吉田くんに学んだことよ。まあ紗季子の紹介っていうのが癪に障るけど……」

 演劇サークルの平木部長の紹介か。彼女、現役の芸能人だからツテがあるのか。


 じゃあ俺は将来なんになりたいのだろうか……。

 小田が言っていたように、新井、いや瞳を愛せるだけじゃジリ貧になるだけだ。

 彼氏としてふさわしい職に就けたら、きっと言えるだろう。

 「愛している」って。



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