第19話 レポートと謝罪
今日も講義を聞きながら新井のノートをまとめてレポートを書いている。
その甲斐あってようやくレポートもまとめ終えそうだ。これもノートの使い方が綺麗な新井のおかげだろう。
やはりノートは殴り書きなどせず、一字一字綺麗に書くことがどれだけ重要なのか。これで勉強の意識も改まろうというものだ。
チャイムが鳴ってもできるかぎりレポートをまとめていく。あと少しでレポートも完成しそうだった。
だがレポートの後に、今の講義まで追い上げる必要もある。
単に休学中のレポートではなく、その日の講義もしっかりまとめたものを提出したほうが、教授たちも納得してくれるはずだからだ。
あくまでも俺のこだわりにすぎないのだが。
講義室がじょじょに静かになる。学生は順に出ていっているのだろう。
このままレポートをまとめていると、背後からハイヒールとスニーカーと思しき足音が聞こえてきた。
「吉田くん、ちょっといいかしら……」
声の主に見当がついたが、あえて聞かぬふりをしてレポートの続きを書いている。
「あの、吉田くん……」
俺の様子に気がついたのか、新井がその女性と応対する。
「山本さん、なにかご用でしょうか」
やはり映画サークルの監督だった。
しかしこのタイミングで声をかけるのは得策ではない。口裏を合わせに来たと勘ぐられても仕方ないだろう。
「えっと、吉田くんと話したいことがあって……。吉田くん、手を止めて聞いてくださいませんか?」
レポートから目を離さず、ひたすら書き続ける。
「吉田くん……。小田さんから体の状態は伺っています……」
小田さんって、あの小田万里恵のことか?
ああ、そういうことか。
小田は監督と知り合いで、様子を見てくるように頼まれていたってわけか。
高校でたいした付き合いもないのに見舞いに来るだなんて、やはり変だと思っていた。
なにが同窓会役員だ。これじゃあ監督の手駒に過ぎないじゃないか。
「吉田くん、監督が話したがっているんです。無視するのは度量の狭いですよ!」
「大川くん落ち着いて……」
「しかしですね、監督!」
「山本さん、大川さん。彼はまだ“事件”の記憶が戻っていないんです。だから今あなた方から話を伺ったところで、彼が納得できる道理もありません。少なくとも記憶が戻るまでは近寄らないでそっとしていただけませんか?」
温和な新井もさすがに冷静ではいられなかったか。
まあ仕方がない。それに、実際記憶がないのに話を聞かされたら、たとえそれが嘘だったとしても信じてしまいかねない。
「吉田くん……」
「だから言いましたよね、監督も助監督も。今回の件は警察も動いていますし大学も黙ってはいられません。それにたとえこちらからしたら“事故”であっても、部外者から見ればあれは“事件”なんです。そして加害者が僕たち映画サークルであることに変わりはありません。彼は被害者です」
「松山さん、しかしですね──」
「彼が記憶を取り戻していないのであれば、今彼に接触するのは得策ではありません。強引に口裏合わせをしに来たと見られるだけです。彼からも警察からも」
やはり契約の厳しいハリウッドで修行してきただけのことはある。松山さんはひじょうに冷静に現状を把握していた。
「それにこちらは最も責任を負うべき人が来ていません。これでは話し合いにすらなりませんよ」
「最も責任を負うべき人間? 私ではなくて?」
山本監督が反問する。
「村上プロデューサーですよ」
なるほど。プロデューサーか。
「彼が映画サークルの顧問を務める最高責任者。吉田くんと本気で話し合いたいのなら、こちらはきちんとプロデューサーを連れてくるべきです」
「しかし、忙しい方だから……」
「それはこちらの都合であって、被害者の都合をまるで考慮していません。僕たち加害者は最大限の誠意を見せるべきです。最高責任者の村上プロデューサーを伴い、サークル全体の総意として被害者に謝罪する。それがなければ被害者を蔑ろにするも同然です」
松山さんの言葉を聞いていた新井が口を開いた。
「それではこうしましょう」
彼女の言葉に耳をそばだてる。
「まず吉田くんが記憶を取り戻すのが第一です。これがなければ話し合いをしたところで彼も納得できませんし、私も同様です。そしてたいへん心配なさっているご両親だってそうなはずです」
まあ不干渉な父さんはともかく、体の心配くらいはしてくれている母さんが納得しないだろうな。
「次に、彼が記憶を取り戻したら、先に警察へ話しに向かいます。その後、そちらも警察から事情を聞かれるでしょうからそれに応じてください。そののちに大学へ報告する。それらがすべて済んだら、必ずプロデューサーを伴って彼に会いに来てください。これがすべて守られなければ、あなた方とはお話しできません」
なるほど。さすがに要領がよいだけあって、順序に矛盾がない。
そして映画サークルで最も良識がある松山さんならきっと応じてくれるはずだ。
「わかりました。新井さんのいうとおりにしましょう。それでいいですね、監督」
いつの間にか俺たち以外講義室に残っていなかったようで、しばし沈黙が場を包む。
「吉田くん……。このたびはたいへんご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。日を改めてご説明に参りたいと存じます。それでは本日は失礼致します」
俺の背後で深くお辞儀された気配を感じたが、ここで振り返っちゃダメなんだ。
あくまでも今は応じてはならない。
気まずさを感じてしまうが、世の中の常識を考えれば、このくらいのことには堪えなければならない。それは自分のためでもあり、加害者である映画サークルのためでもあるのだから。
そして三名はゆっくりと講義室から出ていった。
「吉田くん、これでよかったのかな?」
落ちついた声質で彼女が尋ねてきた。
「ああ、おそらくそれが正解だと思う」
「でも、山本さん、ちょっと痛々しかったな。事が事だからしようがないんだけど」
「もし俺の記憶が一生戻らなかったら……」
その先は考えたくもなかった。
映画サークルは重い十字架を背負ったまま学生生活、また社会人生活を過ごさなければならなくなるだろう。
少なくとも俺が卒業するまでは活動自体を自粛せざるをえなくなるし、いつまでも「傷害犯」のレッテルを貼られて過ごさなければならなくなる。
まあ「殺人犯」になるよりは遥かにましではあるのだが。
「よし、この講義のレポートは完成した。これも新井のおかげだな。さっそく教授に提出しにいくぞ」
「第一歩ね。この先もまだまだ長いけど頑張って乗り越えましょう!」
新井の言うとおりだ。休学中の全講義をレポートにまとめるのは簡単なことじゃない。
でもこれが正式に大学生活へ復帰する第一歩となるのだ。
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