第五章 復学と失われた記憶

第17話 再入院とオダマリ

 病院から一度は逃亡を果たしたのだが、それで母さんがつきっきりで看病してくれるわけでもない。再入院の日以来、顔も見せなかった。

 まあ母さんも仕事があるから、しょっちゅう仕事を休むわけにもいかないのだが。


 そんなとき、思いがけない見舞い客がやってきた。

 高校の同級生だった小田万里恵、通称「オダマリ」だ。


 しかしこれといった接点はなかったはずである。たかが高校の同級生だったというだけで、ここを嗅ぎつけて見舞いに来たとは考えづらい。


「それで、吉田くんはどうして入院したのか、思い出せないんだ」

 高飛車なお嬢様だったはずなのに、今は案外気遣いのできる印象を受ける。

 今も持参した花瓶に花を生けていた。

「映画の撮影で採石場に行ったのは憶えているんだけど、そこから先がどうも……ね」

「ゆっくりと思い出せばいいんじゃない? どうせしばらくは入院生活なのでしょう?」

「バイトもあるから、そう長いこと入院していられるわけじゃないんだよな」

「大学生は学業に専念するべきじゃないかしら。アルバイトに青春を燃やすなんて、かなり残念な人だと思うわよ」


 見かけは気遣わしげだが、内実は監督と同じか。

 小田はいいところのお嬢様で、トップクラスの女子大学へ推薦入学したと聞いていたが。やはり金持ち家庭には苦学生の気持ちはわからないらしい。


「もう撮影に参加することはないだろうけど、入院生活で単位を落とすのが痛いな」

「教授に相談してなんとかしてもらえないのかしら。今回の件で警察も動いているから大学側も管理責任を問われているでしょうし。話せばなんとかならないのかしら」

「それは今、新井さんが掛け合ってくれているらしい。ただ、実際に俺の状態を確認するまでは受け合ってくれないみたいなんだよな」


 まあ他人の言葉だけで単位が取得できるのであれば、すべての大学生が同じ手を使いかねないし。当然といえば当然か。


「なんならうちのパパにお願いしましょうか?」


 パパと言っても資金援助をしてくれる人でないのは高校のとき判明している。

 小田の父親は現在文部科学省の参与を務めているらしく、その気になれば大学へ圧力をかけるのだって不可能ではないのだ。実際に高校でとある事件が起きたとき、解決に尽力したのが件の父親である。


「いや、小田さんのお父さんをこんな“事件”に携わらせるわけにはいかないよ」

「“事件”? “事故”じゃなくて?」


「新井さんの話だと、警察は“事件”として関係者を追っているらしい。俺のところにも刑事さんが何回か訪ねてきているし」

「でも記憶がない、と……」


「そ。だから俺の記憶が戻るまでは来なくていいですよ、と言っておいたけどね。八人部屋では聞き取りも難しいだろうし」


「そういうわけだ、美人のお嬢さん」

「生津さん、あんまりからかわないでくださいよ。彼女、いちおう高校時代の知り合いなんですから」

「あら、知り合いなの? 高校ではあんなに燃えるような恋を──」

「したことはないな、うん。小田もあまり調子に乗らないでくれ。俺もまだ肋骨が完全にくっついていないから、長いことしゃべるとそれだけ治りが遅くなるし」


「あ、ごめんなさい。いちおう確認しておくわ。骨にヒビが入っていて、なにかが体に突き刺さっていたようになっていて、きちんと傷口が塞がるまでは化膿の恐れがあるから病院を離れられない、と。これでいいのよね」

「ああ、間違いない。って小田さん、本気でお父さんを動かそうなんて考えていないよね?」

「私としてはやりたいところなんだけど、今日はいちおう同級生代表で来ただけよ。私、これでも同窓会役員だから」


 ああそうか。そういえば同窓会の役員が誰かなんて気にもしていなかったな。

 いつも新井が近くにいるから、高校生気分がなかなか抜けないのかもしれない。


「新井さんから聞いたんだけど、吉田くん卒業アルバムをもらってすぐに処分したんだって?」

「そこまで聞いていたのか。まあ高校時代もあまり楽しい時期じゃなかったしね」

「私がいるのに高校が退屈だった、ですって?」

「一年生の頃から大学受験でどこを受けようって考えていたからね。大学への足がかり程度にしか考えていなかったよ」


「じゃああなたと新井さんが同じ大学なのって……」

「たまたまだね。彼女、優等生だったから大学なんていくらでも選り好みできたはずだから」

「てことは、新井さんのほうからあなたについていったのかしら。かなり親密な関係なのね」

「それほどでもないよ」

 そのまま上体をベッドに預けた。化膿止めの点滴を打っていると体が少ししんどくなるからだ。


「美人のお嬢さん、話はそこまでにしておきなさい。彼、眠りたがっているから」

 生津さんナイスアシスト、そう思いながら眠りに落ちていく。




 目覚めたとき、すでに小田は帰っていて、代わりに新井が座っていた。

「お目覚めね、一哉」

「ああ、少し眠ってしまったみたいだね」


 隣のベッドから声がかかる。

「あの美人の姉ちゃんは、君が眠ると程なく帰っていったよ。せっかく来たんだ、起きるまで待っていればいいのに……」

「まあ小田さんも忙しいだろうからね」


「小田さんって、高校の?」

「そう、あの小田さん。同窓会役員をしていて、俺が入院したと聞いて来たらしい」

「誰から聞いたのかしら。一哉のお母さん? 少なくとも私は連絡していないし」

「それじゃあ母さんじゃないな。俺が卒業アルバムを処分したって話はしたよな」

「うん、聞いてる。あ、そうか。お母さんから同窓会役員に連絡がいくはずはないんだ」

「そういうこと。だから誰に聞いてきたのやら、と思ってね」


「彼女のお父さんってたしか文科省の官僚よね? 今回の事件ってけっこう大きなニュースになってるから、それで話が伝わっていったのかも」

 なるほどね。それなら知っていて不思議はないわけか。それにしても……。


「やっぱり、あれって“事件”なのか」

「うん、警察はその線で動いてるって。私も尋問されたし」

「監督や松山さんなんかがどうなっているか知ってるか、新井」


「あのときの責任者ってことで、山本監督とスイッチを押した助監督の大川さんが一時身柄を拘束されていたんだけど、全員処分保留で釈放されているんだって。警察も一哉の記憶が戻ってから再捜査する方針だと聞いているけど」


「ということは、今のうちに俺を殺せば、誰も責任は追及されないってことか」

「一哉、馬鹿なことは言わないで」

「ちょっとした言葉遊びだよ」

 山本監督や大川助監督はそんなことはしないような人柄だ。


 しかし会ったこともないプロデューサーの村上さんとやらがどんなことをするのか。保証してくれる人はいないだろう。



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