第14話 逃亡

 体の動かせない俺は、ストレッチャーに乗せ替えられて個室を後にした。

 新井が後をついてくる。

 そのままエレベーターに入って下の階へ。開いたらすぐに大部屋へと運ばれた。


 ベッドが八つある八人部屋とのことだ。すでに五つのベッドに先客がいた。いや先患者というべきか。なにか違う気もするが。


「おっ、見ない顔だね。新人さんかい?」

「ええ、最近連れてこられたらしいんですけど、詳しい状況はまだわかっていません。どうやら事故かなにかに遭ったらしいんですけど記憶がありません」

「そりゃ難儀なこった」

「それで今まで個室に入れられていたらしくて。そんな金払えるか! ってことでこちらでお世話になることに」

「珍しいな。普通病院は個室に入りたがるものなのに」

「それ、先生にも言われました」

 病室内で軽く笑いが起こった。俺も少し笑ったが全身が痛んですぐ無口になる。


「それにしてもずいぶんと痛々しい姿だな。十トントラックにでも撥ねられたのかい?」

「うーん。それもわかりません。さすがに十トントラックが相手なら今頃あの世のベッドの上だと思いますけど」

ちげえねえな。俺は生津なまづ。隣のベッドだ。以後よろしくな」

「吉田です。あまり長居するつもりはないのですが、短い間よろしくお願い致します」


「横にいる別嬪ぺっぴんさんは彼女かい?」

 新井が下を向いて黙ってしまった。

「同級生ですよ。いちばん仲の良い親友です」

「照れんな照れんな。若えんだから青春を謳歌しなきゃもったいねえ」

「じゃ、じゃあ私は帰るね」

 新井もどうやら照れているようだった。


 俺たちの関係って結局どのくらいなんだろうな。

 生津さんの言うように彼氏彼女の関係なのか、俺が言ったようにいちばん仲の良い親友なのか。




 日が改まり、病室はまた賑やかになった。


 包帯を頭と胸、腕と脚に巻かれた姿だったが、トイレには行かなければならない。小さいほうなら尿瓶しびんでもなんとかなるが、大きいほうは歩いていかざるをえない。全身が痛むが、点滴を引きずりながら廊下を進んでいく。

 なにも知らない人ならミイラ男が浴衣を羽織っている姿そのものだよな。


 なんとか用を足し終えて病室へ戻ると、新井と母さんが椅子に座って待っていた。


「あんたねえ。親に内緒で突然病室からいなくなって。看護師さんに聞いたら大部屋に移ったっていうし、そこに来てみたら名札はあれどあんたはいないし」

 どうせ目覚めた日以外で病院へ来たのは今日が初めてなんだから。

「用足しに行ってただけだって」

「とにかく親に相談なり報告なりしなさい」

 子の一大事の割にはドライな人なんだよな。ついこの間泣いていたとは思えないほどさばさばしている。


「元からひとり暮らしなんだから、いちいち親に相談って歳でもないよ」

「でもねえ。入院したって聞いたのも翌日新井さんが電話してきてくれたからだし」

 どこでなにがあったのかわからないが、親の連絡先を知っているのは大学では新井くらいなものだ。


「たまたま新井が高校の同級生だったから卒業アルバムで連絡先を知っていただけだって。もし知り合いがいなかったら電話自体が母さんのところに行きはしないんだから」

「そりゃ確かにそうなんだけど……」

「だから気にしなくてだいじょうぶだよ。ひとりでやっていけてるから」

「でも、バイトやめさせられるって先生から聞いたけど?」

 痛いところをついてくるな。いや実際に全身痛いのは確かなのだが。


「確認はまだしていないけど、たぶんね。コンビニでひとりシフトを飛ばしたら、もう雇ってはくれないだろうしね」

「それじゃあ大学も……」

「退学せざるをえないだろうね」


 目覚めてから今日まで、痛みで眠れないときでも真剣に考えてきた。

 バイト代が入ってこなければ学費なんて払えっこないんだ。だから悩んでいても仕方がない。


「うちにお金がないことは承知のうえだろうけど、本当にいいのね、大学辞めちゃって」

「いいも悪いも、俺には縁がなかったってこと」

「一哉……」

 椅子に座っていた新井が急に立ち上がると大声を出した。

「吉田くんが大学辞めちゃうのって、やっぱり間違ってるわ!」

「新井、なにか知っているのか? 俺がこんな姿になった理由」

「新井さん……」

 言いにくそうにしているが、なにかを吹っ切ったようだった。

「実は……」




「お前さんの恋人の言ってたことって事実なのかい?」

 面会時間を過ぎ、新井と母さんはすでに帰っていた。


「まだ記憶が混乱していてまったく思い出せないんですよね。でも本当にそんなことが起こっていたのなら、当事者が病院にいっさい現れないっていうのは許せるものなのでしょうかね」

「俺ならまったく許せんな。絶縁状を叩きつけてやりてえところだ」

「ですよね」

 だからきっと俺も許せないのだろう。


 でも実際に記憶が戻るまでは、許す許せないの問題ではない。

 そもそも新井は撮影に関してほとんど無知といってよい。どんな約束でそんなことになったのか。証明するものさえなにもない。


「お前さんが苦労して進学したってえのに、そこの学生が結果的に退学へ追い込んだってのが気に入らねえ」


 記憶もあまりなく、怒りが湧いてこない俺の代わりに生津さんが歯ぎしりしている。


「でもまあ、遅かれ早かれ退学になっていたのかもしれません。バイト代で就学なんてただの自転車操業ですからね。そして破綻するタイミングが今というだけで……」


「おいおい、弱気になりなさんな。そいつらを相手取って裁判を起こしゃあいいんだ。あの話どおりなら、お前さんにはなんの責任もない。なんなら俺の知り合いの弁護士を紹介しようか?」

「その弁護士さんを雇うお金もありませんから」

「あ、すまん……」

「生津さんは悪くありませんよ。結局俺が入院しているのがいけないんだ」


 痛む全身を無理やり起こして、ハンガーにかかっていたズタボロの服を手にとった。仮に着ようとしても包帯でぐるぐる巻きにされているので服はまったく入らないはずだ。

 いつもズボンに入れてあるお金を確認する。一万円札が二枚。

 あとは部屋の鍵を探した。あった。これだけあれば……。



 カーテンを閉めて消灯の時間までベッドの上で待った。


 そして消灯を確認したのち、ズボンのボケットから二万円を抜き取り、着替えの入っているバッグにボロの服を押し込んで肩へかけ、病院の浴衣のまま点滴を引きずって病室を出ようとする。


「おい、吉田くん。どこ行くつもりだ?」

「お手洗いですよ、お手洗い。まったく、病院食だけなのに出るものは出るんですよね」

 少しの沈黙ののち、再び点滴につかまって歩き出した。


 すると、気配を察したのか、生津さんのカーテンが勢いよく開いた。

「お前さん、まさか……」


 顔を確認するとゆっくり一礼した。


「短い間でしたが、お世話になりました」



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