第10話 アクション指導

 ハリウッド帰りのスタントマンである松山さんは、俺たち出演者を体育館の裏へ集めた。ひととおり自己紹介を終えると、さっそく提案された。


「ええっと、今日から皆さんにアクションを憶えてもらいます。ですが、そんなに難しいものはありません。基本の型とそのつなぎだけです」

 助監督の大川さんが僕らに新しい台本を配っている。井上が手を挙げてから発言した。

「これは推理映画のはずでは? なぜアクションが必要になるのですか。見解を尋ねたい」

「まずは台本を読んでみてください。質問はその後に受け付けます」


 これは昨日松山さんから見せてもらった台本そのままだった。

 立ち回りもあるし爆破シーンまである。

 これが推理映画なら荒唐無稽にも程がある。


「松山くん。これはどう読んでもアクション映画の台本なんだが……」

「はい、そのとおりです」

「俺たち──失礼、私たちは推理ものだというから参加したのであって、アクションシーンなど不釣り合いにも程があるのだが」

 井上の見解も一理ある。だが女に惚れた弱みもあり、追及は鋭さを欠いていた。


「安心してください。それっぽい動きをしてくだされば、あとはこちらでなんとでも処理しますから」


「特殊撮影というわけか。俺たちこの格闘シーンで襲いかかる敵を華麗に撃退するだけでいいんだな。これで女性にモテそうか?」

「女性にモテるかどうかはわかりかねます。ですがカッコよくスタイリッシュに編集しますから、観客の話題にはのぼるはずです」

「つまり上映されたら女性ファンがどっと増えるわけか。くくくっ」


 下卑た笑みを横目に、俺が手を挙げて発言を許可される。


「俺いちおう主役なんですけど、アクションシーンだらけで立ち回りを憶えるのだけでかなりたいへんなんですが」

「それはスタントインする僕がサポートします。映画の本場仕込みのアクションが憶えられますよ」

「それにしても、主役が探偵で、真犯人で、格闘シーンに爆破まで。これってどういう映画なんですか?」

「純粋なアクション映画だと思ってください」


 皆から不平不満が撒き散らされる。

 それはそうだろう。推理ものであれば単に会話が中心で演技しやすい。

 しかしアクションものであれば殺陣の切れ味が求められる。テニスサークルの人は運動系だからよいとして、囲碁サークルの彼は体を動かすことにも不慣れだろうからけっこう難儀するだろう。


「そこで今日から護身術の基本を練習してもらいます。なに、心配いりません。とっても簡単な動作です。これを憶えたら、暴漢に襲われてもひとりで切り抜けられますよ」

「へえ、私も習おうかな」

 新井からお気楽な発言が飛び出した。

「かまいませんよ。皆で一緒にやりましょう」

「やったあ。言ってみるものね」


 本当にいいのかね、こんな緩いノリで。

 アクションシーンといったら、一歩間違えば大怪我を負いかねないというのに。

「それじゃあ、始めますよ。皆さんよろしくお願いします」

「お願いします!」



「はあ、楽しかった!」

 新井が息を弾ませている。確かにこのくらいのアクションなら皆ついてこられるだろう。

 まあ囲碁サークルの彼はもう少し運動してからのほうがよさそうではあったが。傍で見ていてけっこう痛々しいものだ。今も地べたにへたり込んでいる。


 松山さんが近づいてきた。

「では主役の殺陣を練習しましょうか」

「いいんですか? 俺、このままやめてしまう可能性もあるんですけど……」

「それなら気にしないでください。プロデューサーがダメと言うなら僕がそのぶんを出すから」


「ちょっと待ってください。個人からお金をもらってまで主役を続けようなんて思いませんよ。雇い主から相応の対価を頂くことがこちらの条件なんですから」


「でも君にやめられると僕もスタントインできないしね。今集まっている人を見ると、僕に体格が近いのは君だけみたいだし」

 本当に話はプロデューサーまで上がっているのだろうか。監督があの場でそう言っただけで、本当は報告ひとつ入れていないんじゃないかと勘ぐってしまう。


「安心してください。あのあと監督が村上プロデューサーに電話しているのをちゃんと見ていましたから。プロデューサーなら報酬についてきちんと対応してくれるはずですよ」

「それでもなかなか安心できないんですよね。やはりきちんと契約が決まってから先に進むべきだと思うんですよ」


 松山さんは穏やかな表情を浮かべている。

「うん、僕も君の考え方が正しいと思っている。この世界は契約が第一で、そこに報酬はいくらで、どういう保険に入って、もし怪我をしたらどちらが治療費を負うかなどを決めてからじゃないと、俳優は絶対に撮影に臨まないね」

 百戦錬磨の達人のような鋭い表情をすることもあるが、松山さんは基本的に柔和で人懐こい人だ。


「でも、まだ契約しに来てはいませんよね。本当にだいじょうぶなんでしょうか……」

 顔を見てみるとにこりとしていた。どうにもこの笑顔は反則だ。

 なんでもできてしまうような、まるでスーパーマンを見ているかのような安心感を覚えてしまう。


「まあ僕たちは信じて訓練するまでだよ。それでもし契約が結ばれなくても、護身術を憶えた、ひとつ得したと思ってくれればいいんじゃないかな」

 それもそうか。

 でも契約が結ばれていない以上、バイトは外せない。契約をあてにして先にバイトを辞めてしまうわけにもいかないからなあ。


「いちおうあと三十分でここを出ないとバイトに間に合わないので、簡単なものだけ教えてもらいたいのですが」

「うん、今日は最初からそのつもりさ。立ち方と構え方、そして歩き方の基本だけだから」

「そのくらいならそんなに時間はかからないのかな?」

「間に合わなければバイトの合間にでも自主練習するといいよ」

「自主練ですか。苦手なんですよね。誰かから教えてもらうほうが飲み込みが早いほうなので」


「じゃあ立ち方からいくよ。まずかかとを揃えてつま先を六十度開いてみて」

 松山さんの言うとおりにしていく。

「そこから肛門を上に引き上げるようにお尻を上げて……そう後は肩を横に大きく広げて胸を開いて……顎を少し引いて頭頂部を引き上げる」


 姿勢のポイントがやけに多いな。しかしこんな立ち方をしていると素早く動けるようには思えないんだけど。

「これはカメラに映える立ち方なんだ。この体勢でビデオに写ると綺麗な立ち姿に見えるってわけ」

 なるほど。確かに維持するのはたいへんだが、体のどこも緩んでこない。これが映える立ち方なのか。

「吉田くん、さまになっているわよ」


「なかなか筋がいいね。元から姿勢がよかったからかな」

 足音を立てずに近寄ってくる。

「ちょっと筋肉の付き方を見ていいかな?」

「えっ? それってどういう──」

 松山さんはふくらはぎから太もも、腰回りと胸、そして肩から二の腕までを順に撫でてくる。

「くすぐったいんですけど」

「我慢するように……。うん、わかった。じゃあ立ち方を崩していいよ」


 こそばゆい感覚が残っているせいか、脱力すると足元にへたりこんでしまった。これって──。


「慣れない立ち方を続けたせいで、いつも使っていない筋肉が限界だったようだね。基本的な立ち方だから、完全に習得するまでアルバイトの最中でも意識してみてね」

 要領はわかったが体力がもたないな、これは。


「じゃあ次は構え方、そして歩き方だ」


 三十分で足りるのかな……。



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