第47話 降臨

「聖女リアよ。よく聞くのだ。いまここで私が倒れたらこの国は終わりだ。ニコライ陛下に政は荷が勝ちすぎる。さあ、今すぐ私を癒すのだ! 私の執務室の金庫にうなるほど多くの金貨がある。病を癒してくれたら、お前にもやろう!」


 鬼気迫る表情で、フリューゲルがリアに迫る。


「あなたという人は! 勘違いしておいでです。私は聖女ではありません。この国を追放されるときに聖女としての力を失い。この国に入る瞬間精霊の加護を失いました」

 

 フリューゲルはリアの言葉に激昂した。


「まだ、そのような世迷いごとを! いい加減にしないか! お前は生まれついての護国聖女だ。あれほど強大な神聖力が消えるわけがない」


「私はあなた方とは違い、嘘は申しません! それに聖女の力さえあれば、ジュスタンや兵士たちにおめおめと捕まったりしませんし、自分の傷も癒しています」


 フリューゲルはリアの言葉にはっとなる。確かにその通りだ。リアの打撲はまだ癒えていない。青あざがところどころにあり、顔を殴られ額と口の端が切れていて痛々しい。

 

 見たくなかった現実を突き付けられてフリューゲルは呆然とし、次に恐慌状態に陥った。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ。そんな馬鹿な!! お前は聖女だ。絶対に私を癒せるはずだ」


 フリューゲルの絶叫が地下牢に反響する。


「嘘吐きで、馬鹿なのはあなた方です。私利私欲のため、一国の王子を攫うなど、何という恥知らずなことをしたのですか! そんなことをして、この後アリエデがどうなるとお思いなのです。罪のない民まで巻き込むつもりなのですか」


 リアは体の痛みも忘れ怒りのあまり叫んだ。


「うるさい!うるさい! 黙れ!

 お前はいつもそうだ。肝心なところで役に立たない。大事な時にいない。この国ももう終わりだ! 殺してやる。お前も、あのクラクフの王子も!」


 フリューゲルは口角泡を飛ばし、支離滅裂なことを叫びだす。


「馬鹿なことを言わないでください。そんなことをすれば、クラクフ王国がこの国に攻め込んできてしまう! しっかりしなさい。

 あなたがそんな事で、どうするのです。先ほどこの国も民を引っ張っていくのは自分だとおっしゃったばかりではないですか」


 そのときリアの頭に彼女を慕う神殿の信者たちの姿が浮かんだ。彼らはいつも彼女をたよってくれていた。

 リアが隣国で、ルードヴィヒのもとで幸せに暮らしていた間、彼らはどうしていたのだろう。


 フリューゲルに向けたはずの言葉の刃が自分の心に突き刺さる。今の自分は加護を失い誰かを助ける力を持たない。

 無力感に囚われ、ふっと彼女の心の柔らかい部分が顔を出す。リアの瞳が潤み、やがて涙となってあふれでた。


「ふふふ、そうかお前には精霊の加護がないのか。ならば無力だな。ルードヴィヒと共に処分してやる。いや、奴の処刑をしてから、お前を八つ裂きにしてやる」


 この人は本当にやるつもりだ。フリューゲルの狂気に、リアの心が叫びをあげる。怒りや絶望、自責の念が広がる。


(ルードヴィヒ様を失ってしまう。でも、ここで諦めてしまったら……)


 再び、リアの気持ちが浮上しかけたとき、突然、己の足元がさらさらと崩れていくような感覚を味わった。そして寒気が下から這い登って来る。


(何だろう。この感覚……)


 冷たい気配がリアを閉じ込めるように包みこみ、体が金縛りにあい突然動かなくなる。人知の及ばぬ強大な存在に捕まり、指一本すら動かない。


 リアの意識は引きずり降ろされるように闇に沈み込んだ。


 奇しくもそれは、ニコライの命の灯が消えた瞬間だった。


 




 一方、フリューゲルは差し迫った悲惨な死への恐怖と絶望で我を忘れリアを罵倒し続けた。静かに彼女が変化していくのも気づかずに……。


「リア、貴様……」


 気付いたときにはそれが始まっていた。

 リアの美しい銀髪に幾筋もの黒髪が混ざる。そして、真珠のように白く艶やかな肌が、指先から黒く染まり始めた。

 漆黒は全身に広がり、もこもこと彼女の肩甲骨あたりが盛り上がり始めた。


「ふふふ、あはは、ついにお前にも罰がくだったのか! 貴様も醜くなるがいい!」


 フリューゲルは、最初はリアも罰を受け、己と同じ病に侵され始めたのかと思った。しかし、それは違う。漆黒の肌は艶を帯びどこまでも美しく、艶やかな黒髪が波打つ。そして、黒い肌に鋭い棘が現れ、彼女の背中が盛り上がる。


 冷気を纏い変化していくその異形に恐れをなし後退る。


 バサリとリアの背中を破り漆黒の羽が現れたことで、フリューゲルは恐怖に打ち震えた。確かにリアの神聖力は人間離れしていた。


(まさか人外? いや、違う……あれは)


 元はリアだった漆黒の女は手を拘束していた鉄の枷をガシャリと大きな音を立てて引きちぎり、立ち上がる。鉄格子はもろく崩れ去った。


 黒い瘴気が膨れ上がり、漆黒の肌はたちまち棘の生えた蔓で覆われる。



「な、なんだ! 何なんだ、お前は」


 腰が抜けて座り込んだフリューゲルが震える声で問う。彼女の漆黒の目がフリューゲルをしっかりととらえ、鋭い咆哮を放つ。それはもう人のものではない。


「ひー! ば、化け物」


 それに呼応するようにフリューゲルの肌が内側から、沸騰するようにぼこぼこと波打ち始める。もう崩壊を止められない。

 

 死に際、機密の文献にあった話を思い出す。当時は子供騙しと鼻で笑っていた。こんなものが機密だなどとくだらないと……。


『護国聖女は精霊の依り代。普段はその御身にいろいろな精霊が宿る。しかし、国の終焉にその御身に黒い羽根の精霊がたった一柱降り立つ』


「いやだ! 死にたくない。死にたくない。死にたくない! 呪われるのは私でなくてもいいはずだ。嘘だ……こんなこと……ありえない。恐ろしい! なぜだ、苦しい……誰か、たすけてくれ!」


 フリューゲルの心は絶望と恐怖に満たされる。顔の皮がずるりと崩れおちた。しかし、覚醒した意識は、己の体が腐り崩壊していく恐怖を時間をかけてゆっくりと味わうことになる。


 そこへ、地下牢での凶事をしらない神官達がフリューゲルを呼びにやってきた。彼らは異様に濃い瘴気に慄く。


「フリューゲル様! 大変です。魔物たちが王都に現われました!」


 しかし、フリューゲルがいたあたりには黒く腐った肉塊がぐずぐずと震えるのみ。かろうじて人型を保つそれを見た彼らは恐怖に打ち震える。

 

 やがて神官たちは破壊された檻の中にいる、翼をはやした漆黒の精霊の存在に気付く。

  

 それは美しく、どこまでも恐ろしい、棘のある肌に茨を纏った姿は近づく者をも傷つける。黒々と見開かれた瞳はどこまでも昏く冷たく、姿は人なのに感情を一片も感じさせない。

 

 彼らの上げる恐怖の叫びとともに、黒の精霊が再び咆哮し、地が激しく揺れ動き神殿は崩れ始めた。


  

 そうしている間にも魔物たちが城壁を越え、次々と王都へ降り立った。



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