第23話 崩壊の足音…… 4

 しかし、聖女がいなければ、話にならないのでカレンを王都に帰すわけにもいなかない。


「ならば、広範囲に治癒魔法ヒールをかけろ。それだけで、兵の疲れもとれ、彼らの動きも変わる」

「ふふふ、あはははは。あなたは分かってない。何もわかっていない!」


 カレンが突然哄笑し始めた。とうとう狂ったのか? 彼女の態度にかっとなるより、その異常さに肝が冷えた。この濃霧のように濃い瘴気にやられたのか?


「カレン、落ち着け。何もかもお前が背負うことはない。皆の疲れをとるだけでいい。補助的なことだ。簡単だろう」


「聖女のことなど何も知らずに、勝手なことばかり!」


 カレンが奥歯をぎりぎりと噛みしめ悔しそうに呻く。


 彼女はもうこの戦場では役に立たない。別の聖女と交代してもらうしかない。新たな聖女の補充が必要だ。そこまで思考をすすめたときカレンがいきなり激昂しはじめた。


「馬鹿のひとつ覚えみたいに、兵士もあなたも瘴気を払え、疲れを取れとそればかり、いったい聖女を何だと思っているの? 

 聖女の仕事はね。一対一で病を癒したり、傷を治したりするものなのよ。広範囲にヒールをかけるなんて、出来るわけがないじゃない! そんな方法習わないのよ。出来たらとっくにやっているわ! こんな濃い瘴気を払えですって? だったら、いますぐここに護国聖女を連れて来なさいよ!」


 カレンが怒りの形相で叫ぶ。今の彼女には気品や美しさの欠片もない。

 しかし、それよりもジュスタンはカレンの語る内容に衝撃を受けていた。


「瘴気が払えない、広範囲にヒールをかけられない。ならば、お前は、お前たち聖女はいったい何なのだ?」


 それならば魔導士よりも回復系の魔法が少し優れているだけになる。彼女たちの存在意義がわからない。


「あなたたち兵隊は聖女のことを本当に何も知らない。広範囲にヒールをかけたり、広い土地を浄化したりするなんて、リアにしか出来ないのよ。あんな異常な力が聖女のものであるはずないじゃない。人の領分を遥かに超えてる。だから、神官長はリアの力を恐れた。それなのに、なんでこの国の男達はよってたかってリアを追い出したのよ! 牢にでも繋いでおけばよかったじゃない!」


 そう叫ぶ、カレンの瞳は狂気にみちていた。


「何を言う。お前が聖女追放に加担したのだろう!」


 しかし、ジュスタンの声はカレンに届かない。鬼気とした表情でジュスタンを睨み上げる。


 戦場に行く前カレンは怯えていたが、まだ正常であった。もう以前の彼女は戻ってこない。すっかりおかしくなってしまった。これも濃い瘴気の作用だろうか? だとすると長くさらされているのは非常に危険だ。


 ジュスタンは、カレンをすぐさま兵に拘束させた。とても彼らの前には出せない。聖女があのような言動をすれば、戦場の士気はさがる一方だ。


 カレンを娶ろうなどと一度でも思った自分が恥ずかしい。


 聖女などいなくともどうにかなる。ジュスタンは強く、聖騎士団を率い数多あまたの魔物を屠ってきた。

 黒の森から流れる瘴気は濃いが、魔物はそれほど多くない。十分にこの森を鎮められると思っていた。


 しかし、その後、すぐに思いもよらないことが起こる。傭兵達がごっそりと逃げ出したのだ。

 そのうち逃げ遅れた数人を捕らえ理由を聞く。


「癒しの聖女様が、リア様がいない場所で、魔物と戦えるわけがない! 手足がもげたらだれが治療する?なんなんだ、あの気位ばかり高く役に立たない小娘どもは。ヒールもろくにかけられない上に瘴気すら払えない。俺たちは死にに来たんじゃない! 戦って金を貰うために来たんだ」


 それが彼らの主張だ。

 傭兵達の間では、リアは女神のように称えられていた。素晴らしい聖女様と。そしてその噂は他国の傭兵達の間に広がっているという。だから、彼らは再びこの地に集まった。ところがリアはいない。



 戦場で黙々と己の職務をこなしたリアを思い出す。

 彼女は次々に湧きでる瘴気をものともせずに払っていった。まるで呼吸するかのように容易く。


 常に彼女の周りの空気は浄化されていた。すこし、言葉を交わすだけで、疲れが取れる。だから、ジュスタンは彼女とよく行動を共にしていた。カレンよりもよほど親しくしていたのだ。


 リアは、誰に対しても平等で、常に助けを必要とする者のそばにいた。そのため自然と前線に送られる傭兵達を癒すことになる。


 その反面、軽症者しかいない騎士や兵士の傷を一人一人癒すことはなかったが、かわりに全体に回復魔法をかけ、彼らの疲れをとり士気を高めた。



 魔物があらかた鎮まったころ、聖女を具現化したような美しいカレンがやってきて騎士や兵士一人一人の傷を優しくいやした。

 そのせいで元々あったリアへの反感がますます強くなる。



 元々あった反感……そもそも、なぜリアは騎士や兵士たちに疎まれたのか。答えは簡単なことで、彼女が勇敢で強かったからだ。


 切り込み役の傭兵が倒れると彼女はそれをそばで癒し、自らの錫杖で魔物を打ち据えた。

 それは剣士のふるう剣よりも早く重い一撃。最初、その強さを見たときジュスタンは戦慄した。


 瞬時に急所を見破る眼力、戦闘センス、並みの兵士はもちろんの事、騎士ですら武力で彼女にかなわぬ者達がいる。その事実が、兵士たちのプライドを打ちのめし、聖騎士たちに強い反感を抱かせた。


 それならば、まだ、聖騎士達と入れ替わるように戦場を去った神官レオンが、魔法戦士のように強かったという傭兵や兵士たちの噂の方が耐えられる。


 聖騎士は本来、聖女を守る目的で組織されたもの。それぞれが神聖魔法を剣に付与し、魔物と戦う。ところがどうだ。才能を有した者達が、厳しい選抜を潜り抜け、訓練を受けてきたのにもかかわらず、あの薄汚れた聖女に劣るかもしれないのだ。彼女の強さを前に、プライドは打ち砕かれた。


 リアが王太子から、婚約破棄されているのを聖騎士達は知っていた。これから先仕える必要のない小娘。そんなものに手柄をたてられるのも鬱陶しい、何より聖騎士の沽券にかかわる。そんな鬱屈した空気が次第にひろまっていった。


 幸いリアは謙虚で、自分ばかりが前に出ることもしない。利用するにはちょうど良かった。ジュスタンは存分に彼女を活用した。もちろん自分の影として。幸いリアは素直なたちで、人を立てることを知っている。それによく働く。妻にするならば、理想的なタイプだろう。かなり薄汚れているが、よく見れば顔立ちは整っていて、所作にも品がある。


 だが、リアは王都に帰っても未来がない。それに何よりもジュスタンは武勲が欲しかった。他国から戦を仕掛けられることのないこの国ではどうしても戦果をあげにくい。爵位を手に入れたかったのだ。


 結局、ジュスタンは戦場に後から来たカレンの手をとり王都に戻ることにした。聖女のイメージそのものの美しい娘。己の凱旋の時、隣にいるのにふさわしい。そのうえ、彼女は騎士や兵士にすこぶる人気があった。


 別に恋に落ちたわけではない。それはカレンも同じで、価値観も似ていて、お互いちょうど良い相手だった。


 あの時はそう思ってしまった。


 しかし、カレンの本性を見た今は、冗談ではないと思ってしまう。これほど無能で無様で身勝手な女とは思ってもみなかった。



 前回の戦いで、自分がリアに好意的に受け入れられていたことは知っている。

 彼女はいたくジュスタンに信頼を寄せていた。背中を預け合ったと言ってもいい。この戦場には彼女の力が必要だ。リアと自分がそろえばすぐにも戦いは終息する。


 ジュスタンは半月ほどで、戦場を後にした。リアを連れ戻さなければならない。彼女の力は人智を超えている。西の惑いの森に追放された聖女はきっと生きているはずだ。


(国王陛下に進言せねば)



 もちろん、カレンは戦場に置き去りにした。

 役に立たないとはわかっていても連れ帰るのすら面倒だ。

 ジュスタンは聖騎士団を副団長にまかせ、単騎で王都に向かった。リアを連れ帰り、この戦いで彼女の立場を修復し、己の妻とするのもよいかもしれない。

 国王はそうとも知らず、まがい物の聖女を娶ることになる。

 口の端に、笑みがこぼれた。


 赤毛の美丈夫ジュスタンは一路王都へ向かう。






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