第10話 おうちはどこですか?

 

「さてと、夜も遅い。順番に火の番でもするか。君は先に眠るといい」


 ルードヴィヒがリアにそう声をかける。


「いいえ、火の番など必要ありません」

「え?」


 リアは精霊に祈りを捧げ始めた。


『精霊アルセイデスよ。どうかご加護を』


 すると二人の周りを囲むように柔らかく小さな光がいくつもが現れた。それを見たルードヴィヒがぎょっとする。


「これは……いったい?」

「安心してください。朝までこの光が魔物たちに気付かれないように私たちを隠してくれます。それから、焚火も見守ってくれることでしょう」


 いつものように精霊の加護を受けられたことにリアはほっとした。見放されたわけではなかったようだ。


 誰かに強制されることもなく、食べたいときに食事をし、眠くなったら床に就く。ただそれだけの事で幸せを感じた。この森はリアに安らぎを与えてくれる。とても住み心地がよさそうだ。


 追放初日だというのに、リアは数年ぶりに心安らかに眠りについた。

 ルードヴィヒがしばらく不思議そうに彼女を見つめていた事にも気づかずに……





 ♢




 翌朝、少し離れた場所から聞こえる魔物の咆哮で目が覚めた。ヒポクリフだろうか。リアは慣れたもので、動じることなくゆるりと伸びをする。


(ここは森の中だ。そして、私は自由)


 いつものように精霊に祈りを捧げ、加護を願う。


『水の精霊、ウンデーネよ。どうかご加護を』


 するとリアの前にコポコポと小さな泉が湧いた。それで手を洗い、喉をうるおす。 

 昨夜は魔物の肉だったので、今朝はレオンから貰った、干した野菜やフルーツを食べることにした。ルードヴィヒにも分けてあげよう。


 ふと嫌な予感がして、焚火の反対側でマントにくるまり眠っている彼を覗き込む。呼吸が早く浅い、息苦しそうだ。昨夜は随分よさそうだったのに……。


「ルードヴィヒ様、お加減が悪いのですか?」


 リアが声をかけると薄っすらと目を開く。


「ああ、リアか……大丈夫だ」


 少しも大丈夫な様子はなく、熱があるようだ。リアはすぐにヒールをかけた。すると少し気分がよくなったようなので、水をゆっくりと飲ませる。


「ありがとう。もう充分だ。私に構う事はない。……先に森を出ろ」


 彼はそう言うが、一人で放っておけるような状態ではない。


「……どうして、治らないの」


 リアは不安になり、聖女が絶対に言ってはいけないと教え込まれた言葉がついこぼれ落ちる。


「いつものことだ。ただの持病だよ。ヒールをかけてもらって楽になったのは初めてだ。だから、私のことは気にするな、先に森を……」

「ルードヴィヒ様、あなたのお家はどこですか?」

「え?」

「体が弱っているときは心細くなるものです。私があなたの家までお送りします」

「何を言っている。君にそこまでしてもらう必要は」


 固辞する彼の言葉をリアが遮る。


「あなたの国はどこですか? どちらに向かえばいいのか教えてください。」


 リアの記憶では、この森は三つの国に接している。


「え? 君はいったいどこから……」

「ルードヴィヒ様の国はどちらですか?」


 もの問いたげなルードヴィヒを置き去りにリアは質問を繰り返す。


「……クラクフ王国だ」


 リアは、神殿関係のことしか習っていないので、一般教養に大きな穴がある。地理などはほとんど学んでいない。隣国という事は分かるが、名前を知っているだけで、正確な位置も分からないし、そこがどういう国で、この森をどちらに進めば出られるのかは分からない。


「どちらに進めばよいのでしょう? 指し示してもらえますか」


 ルードヴィヒは西を指さす。


「馬もなく私の足ではこの森を抜けるのに三日はかかる。だから君は私のことなど気にせずに、自分の家へ帰ってくれ。どこから来たのかは知らないが、君は外国の人なんだね?」


 いつの間にか国境をこえていたらしい。ここはクラクフ王国内のようだ。リアはルードヴィヒの言葉に曖昧に頷く。


「西へ向かえばクラクフ王国に出るのですね」

「ああ、そうだが……」

「ルードヴィヒ様、私があなたをお連れします」

「いや、この近くに村はないし、馬も調達できないぞ。私と一緒では時間がかかる」


 ルードヴィヒは、通りすがりの女性にそこまでさせらないと思い再度断った。


「大丈夫です。私には何の予定もありませんから。そんなことよりもお急ぎですか?」


「まあ、なるべく早く帰りたい。リア、予定がないというならば、伝言を頼みたいのだがかまわないか? 家のものに心配をかけたくない」

「それなら一緒に帰りましょう」


 ルードヴィヒはリアの勢いに少し押され気味となる。親切だが、意外に人の話を聞かない娘だと思った。


「ありがとう。気持ちだけ受け取っておく。私はしばらくここで休んでいくよ」


「お任せください。私があなたを担いで帰ります」

「え? いや……無理だろ」


 断言するルードヴィヒをよそに、リアは精霊に祈りを捧げ始めた。


「精霊フェノゼリー、私に加護を。どうか強くして」


 祈りが終わるとリアは荷物ともに、ルードヴィヒを軽々と担ぎ上げる。


「ええ?」


 ルードヴィヒの驚愕をよそに再び精霊に加護を願う。


「精霊シルフよ。私に追い風の加護を」


 ふうわりと浮き上がるような感覚があった。次の瞬間、駿馬に劣らぬスピードで、ルードヴィヒを担いだリアは走り始めた。


「嘘……だろ?」


 ルードヴィヒのつぶやきは唸る風の音にかき消された。


 実のところリアは森から出る気はなかったのだ。それどころかここに庵を結ぼうかと考えていた。しかし、ヒールをかけても癒えない病をもつ彼が気になって仕方がない。取り立ててやることもないし、ルードヴィヒが癒えるまで一緒にいるつもりだ。



 彼の指し示した通り西に向かってひた走った。最初はリアに担ぎ上げられて、驚き戸惑っていたルードヴィヒも今は大人しい。ぐったりとしているから、寝てしまったのだろう。


 惑いの森が聞いてあきれるほどに、あっさりと森を抜け出た。アリエデ王国の者はいったいこの森の何を恐れて踏み込まなかったのだろうか。


 しばらくルードヴィヒを担いで走ると町が見えてきた。


「ルードヴィヒ様、あなた様のお家はどこですか?」


 担ぎ上げた彼に声をかけるがうんともすんとも言わない。寝ているのだろうか? いまだ熱が下がらず具合が悪そうだ。ノンストップで彼の家まで送りたかったが、少し休ませ、ヒールをかけた方がよいだろう。


 それに精霊の加護もずっと続くわけではないので、どこかでリアも休まなければならない。


 幸いレオンから貰った路銀もある。ルードヴィヒの為に宿をとることにした。



 それにぐったりとした成人男性を抱えて歩くリアは目立つようで、町中で人々の注目が集まり始めている。さすがに人々の視線が痛い。リアは慌てて、手近な宿に飛び込んだ。


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