第5話 災禍

 それから半年が過ぎたが、王太子との約束は履行されることなく、この国は災禍に見舞われた。


 アリエデ王国の最北には黒い森と、西側の隣国との緩衝地帯には惑いの森と呼ばれるやっかいな森林地帯がある。他の地域に比べ瘴気が桁違いに濃く魔物が多く生息しているのだ。よって数百年にわたりそこに人が住むことはなかった。惑いの森に関してはその名の通り一度入ると出られないとまで言われている。


 今回は黒の森が例年にない濃い瘴気に覆われた。多数の魔物が現れ近隣の街や村に被害を及ぼしている。その範囲は日々拡大し、王都にはまだ魔物は侵入してきてはいないものの、農作物がとれず被害は甚大なものとなった。



 そのため聖女を含む討伐隊が組まれた。

 神殿からは神聖力の最も高いリアが選ばれ、神官レオンも行くという。レオンの出自からいって、討伐隊に参加する必要はないが、本人のたっての希望だった。


 討伐隊への参加が決まった後、驚いたことに姉のプリシラが面会にやってきた。初めてのことだ。数年ぶりで会う姉は美しさはさらに磨きがかかり、思わず見惚れてしまうほどだ。


「リア、あなたなら大丈夫。私の妹なのだから、きっとお役目を果たせる」


 そう言って優しくリアの手を取る。最初はなぜ、今まで面会に来なかったのかと思ったが、姉の優しく温かい態度から、両親の言う通り忙しかったのだと思った。


「そうだ。リア、あなたの為に祈らせて。子供の頃私にも神聖力があったのは憶えている?」


 忘れるわけがない。プリシラについて行ったお陰でリアは9歳で神殿に召し上げられることになったのだ。


「手を貸して、あなたに流し込むから」


 そう言って優しく微笑む。姉の白魚のような手が、リアのくすんだ色の手を握る。しかし、それは神聖力が流れてくるというよりも、けが人に力を吸い取られるような感覚があり、リアは少々疲れを感じた。



 出発の前日に忙しい合間を縫って王太子が、リアに会いに来てくれた。


「リア、これはとても危険な職務だが、この国の命運は君の聖女の力にかかっているといっても過言ではない。見事黒の森の魔物を鎮めてくれ。この国の将来のため民の為に聖なる結界で瘴気の森を覆いつくして欲しい。そして、どうか無事に帰ってきてくれ」


 リアは、愛する王太子に頼られ、喜びを感じ、使命感に燃えた。


(やっとこの方のお役に立てる)


 ずっとさえない婚約者であることを申し訳なく思っていた。彼の役に立てることが、心の底から嬉しい。

 しかし、この討伐はあくまでも民を救うためだとリアは気持ちを引き締める。


 翌朝、リアは討伐隊とともに黒の森へ旅立った。




 ♢



 魔物により荒らされた土地は、想像以上に悲惨なものだった。


 黒の森の瘴気は思ったよりもずっと濃い。浄化しても追い付かず、すぐに溢れ出る。それが戦う者達を疲れさせる。


 魔物も通常よりずっと大きく強かった。到着後すぐに討伐隊は苦戦を強いられ、リアは森に結界を張るどころか、疲弊した兵を回復したり、傷を治したりすることで手いっぱいだ。


 戦況が悪ければ、リアも錫杖を片手に戦う場面もあった。

 討伐隊の編成は国の兵士は二割弱程度で、あとは傭兵だ。レオンはそのことに腹を立てていた。そのうえ、兵士は魔法を使えない。魔法を使えるのは神官であるレオン一人だけだ。


「傭兵が悪いというわけではないが、これでは烏合の衆ではないか、全く統制がとれていない。戦略のないこんな状態で勝てるわけがない」


 そんな不平不満を疲れ切っているリアに漏らす。リアは目の前のけが人を癒すだけで手いっぱいでレオンの話をおざなりに聞くだけだ。


 戦いはレオンの予想通り膠着し、あっという間に一年が過ぎた。苦戦を強いられているのにもかかわらず援軍は来ず、疲労はたまっていく。

 雇われた傭兵たちに入れ替わりは殆どないのに対し、国の兵士は三ケ月交代で入れ替わる。結局、主だってこの国の為に戦っているのは寄せ集めの傭兵たちだった。



「リア、お前が聖女なのだから、しっかりしてくれよ。こんな瘴気一つ抑えられないとは、この国の護国聖女にはほど遠いな。本当に王太子妃になる気か? 私は他に聖女がいるように思えてならない。だいたい、神殿の文献にある聖女は闇を払う美しさとある。お前とはずいぶん違う」


 護国聖女とはこの国の大聖女となった者に与えられる称号だ。レオンはリアの神聖力は認めているものの、王太子妃の器ではないと常々言っている。


 戦況が悪くなっていくにつれ、国の兵士たちに不満をぶつけられることも増えた。国軍の兵士よりも傭兵を先に治すリアに不満が溜まっていた。


 この国ではいつだって傭兵は危険な最前線に立たされる。

 そのため、傭兵に重傷者が多いのだ。命にかかわるのだから、彼から先に治すことはリアにとって当然だった。いくら聖女でも失われた命を取り戻すことはできないし、もしもできたとしてもそれは禁忌だ。


 日々の戦闘で体力も削られ、心もすさむ戦場では王太子の婚約者の立場など尊敬されるものでも、強いものでもない。


 一年が過ぎるころレオンが戦場から去ることになった。


「私は神殿に呼ばれてね。先に帰るよ。帰ったら、戦場に一年間いたという事で箔がつく。お前が神殿に帰るころには、随分出世しているよ。ああ、そうそう、不甲斐ない聖女の為に援軍を頼んでみよう。さらなる健闘を祈る」


 彼は言いたいことを言うと、去って行った。


 憎まれ口ばかり叩くレオンだが、彼がいないければいないで心細さが募る。レオンは神聖力はほとんどないものの、攻撃魔法が使えた。たった一人の魔法使いがいなくなり、戦況は悪化する。

 彼は不満を口にしても、どんな時も弱気になることはなかった。ともするとリアは終わりの見えない戦いに挫けそうになる。レオンの強気が懐かしい。


 その後、王都から聖騎士たちがやってきた。レオンが援軍を頼んでくれたようだ。彼らは非常に統制が取れており、魔法を剣に宿らせて使えるため、かなり強い。膠着していた戦況は一変した。


 なかでも聖騎士団団長の赤髪の美丈夫ジュスタン・コラールはカリスマ性があり、あっという間に傭兵たちをもまとめ上げた。


 それからの巻き返しは早く、一年もしないうちに討伐はあらかた終了。リアは、大掛かりな結界を張ることに、専念することが出来た。

 しかし、やはり負傷する兵士は多く。リアは彼らも癒さなければならなかった。


「リア様、ご負担になります。私にお任せくださいませ」


 ひと月前に、神殿からカレンが派遣された。彼女が手伝ってくれるので、リアは大分楽になっていた。


 結界を張りつつ、傷病兵に治癒魔法をほどこす日々が続き、やがて一帯が浄化され、濃い瘴気がきえ、魔物たちも鎮まっていった。二年近くの歳月を費やし、やっと黒の森を結界内に封じ込めることに成功した。


 戦いは終結を迎え、リアは肩の荷が下りる思いだ。やっと帰れる。戦場はもうこりごりだった。


「リア殿、私達は先に城へ戻らねばならない」


 聖騎士ジュスタンは言う。それもその通りだ。本来は王都の守護する彼らを長くこの戦場にかりてしまったのだ。騎士団は引き上げる事になった。


 リアは一年近く一緒に戦ってきたジュスタンがいなくなることを心細く感じた。この勝利は彼が導いてくれたものだ。この一年、とても頼りにしていた。リアは感謝を込めて深々と頭を下げる。


「それから、神殿のものが誰も帰らぬわけにはいくまい」

「確かにそうですね」


 城から帰還せよとの命令はないが、リアも一旦帰った方がよいだろうかと思っていた。そしてまたここに戻りけが人を手当てしたり、近隣の復旧につとめた方が良いのだろうか。するとジュスタンが言う。


「しかし、まだ傷病者もいる。リア殿にはここに残っていただいて、カレン殿を連れて帰ろうかと思うのだが、よろしいか?」

「え?」


 そのジュスタンの言葉に少しショックを受けた。カレンはここにきてまだ三ケ月もたっていない。てっきりここに残り、後処理を手伝ってくれるものかと思っていた。むしろそのために来たのかと……。


 しかし、まだ傷病者が残っているのも事実。いずれも軽症で聖女の手を借りるほどではないだろうが、癒し手が全員引き上げるなど、戦ってくれた彼らに対し、あまりにも不義理だ。彼らは二年間リアと一緒に戦ってくれた傭兵達だ。中には戦い方や身を守る術を教えてくれた者たちもいる。


 (放っておくわけにはいかない)


 王都に住む王太子に早く会いたかった。婚約者だと言うのに、もう二年も会っていない。ここが辺境のせいか便りも届かなかった。それが、とても心細い。リアは不安な気持ちを心の奥底に押し込める。


 考えてみれば、この戦場に聖女はずっと一人しかいなかった。カレンは戦いの終結がみえてから、やってきたのだ。神殿には三十人以上聖女がいるというのに……。


 そして、二年間一度も王都に帰らなかったのはリアだけだ。



 それから、三日のうちにジュスタンとカレンの元に立派な馬車の迎えが来て、聖騎士団とともに誇らしげに王都に帰って行く。


 リアはぽつんと一人残り、彼らを見送った。




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