02-09  新たな旅立ちと翡翠の歌。

 魔王の眷属の死は、魔神の使徒の死によく似ているなとクリスは思った。

 ともかく、レザーナが去ったことで森は沈静化し女王セルバが戻ったことによってひとまず森の腐敗は食い止めることができた。レザーナが捕まえていた妖精たちも解放され、森には清らかな風と歌が戻ってくる。が、しかしそれでも全てが夢のように元通りになるわけもなくハッカフローラインには大きな傷が残されることになった。

 妖精たちは森の力が弱まってしまったことで飛ぶことが叶わず、その多くが休眠状態に入ってしまった。一部の力の強い妖精はなんとか活動できそうなものの、森の外との交流はしばらく難しいだろう。

 賢者さま曰く、王と契約した土地の場合王の力が万全であればすぐさま環境は再生し元通りになるそうなのだが現在セルバは不完全な形で目覚めてしまったためにその力が足りていないのだという。


「食い止められたとはいえ、瘴気も腐敗も残ったままじゃな……痛ましいのう」

『いずれにせよこのままでは周辺に悪影響が出てしまいますね。セルバ様、心苦しくはありますが一時的に封印を施すのがよろしいかと』

「そう、だな。うん、捕まっていた妖精たちも弱ってしまっている、どのみち森を一度閉じて皆を休ませるのだ。……風の大樹さまのところへ行こう、封印には起点が必要なのだろう」

『よくご存じで、それでは参りましょうか』


 封印するために起点がほしいということになり、そうして里を支えるように生えた風の大樹の麓までやってくるとその大きさに思わす声が出た。この森すべてに根を張っていると言われているハーブの群生樹。さまざまな草花や木々が編み合わさって、さまざまな色の花がスースーする風に揺れている。人が二十人手を繋いで輪になっても収まらなさそうなほどの大きさだ、こんなに大きな樹があったというのに未来では跡形もなくなっていたことを思い出すと心臓がちくりと痛む。

 大樹の根っこには祭事用の舞台が備え付けられていた、ここは翡翠祭りで使われていた場所らしい。ただそれも腐敗の影響を受けてか荒れ果ててしまっていた。魔王の眷属であろうレザーナが撒き散らしていった魔界の魔力が、この森にとっては毒だったようだ。


「予想はしていたが、こうなってしまうんだな」

「致し方のないことなのだ。……起きたことは変えられない」


 封印の儀を執り行うために、セルバとニコラスが舞台に上がる。

 森を閉じる為、というのは里の存在を一時的に隠すことになるのだそうだ。この森に入ることはできても、普通の人間や並の魔物は里を認識できなくなる。知覚を混乱させる魔法の変形だそうだが、そういった封印魔法にニコラスはとても適性があるらしい。封印の儀自体はニコラスが行う、セルバはあくまでも見届け役なのだそうだ。


「わたしの力は不完全だ、今はこの森の腐敗を止めることだけで精一杯……皆、しばらくは眠ることになるのだろうな」

「妖精は夢を見るのか?」

「きっと」

「なら、良い夢を見れるようにしなければな」

「……うん、そうだな。ニコラスよ、頼んだのだ」

「あぁ」


 封印の儀が始まる。エナが渦巻き、大樹と里を抱くように暖かな空気が舞い上がる。キラキラとした光が雪のように降ってくると、徐々に気温が冷えていくのがわかった。

 その様子を、クリスとパスカルは舞台の外から見守っていた。


『かくして文字通り彼女は時間稼ぎに成功した、というわけですか』

「どういう意味じゃ?」

『フォスキスが先んじて手を打った理由ですよ。ほらこれ、日記があったのでちょっと中身をみました』

 

 しれっと何をしてるんだろうなぁこのLEDバード。

 とはいえ、かつてクリスも似たようなことを割としょっちゅうしていたので何もいえないのだけど。


「魔王以外の脅威のこと、だよな。何が書かれていたんだ?」

『どうやら彼女も信託を受けていたようです。襲撃が起きる前、夢の中に勇者サイファーが現れ警鐘を残したと』

「なんじゃと……!?」

「またサイファーが?」

『えぇ、曰く魔の手がエルフの女王を求めて森を襲う。このままでは妖精は死に、眠りの女王は瘴気のゆりかごの中魔の手に落ちる。と』


 妙に対抗が刺さっているなとは思っていたが、やっぱりサイファーが噛んでいたらしい。いや本当に何者なんだろうな、前の勇者だとは聞いてはいるがクリスにはいまだにその辺りがまだ理解しきれていなかった。


『つまりセルバさまを眠らせたまま防衛し続けた場合妖精は全滅し、なおかつ眠ったままのセルバがやばい連中に囲われてやばいことになるから叩き起こせってことですね』

「言い方ぁ! いやしかし確かにそうなんじゃが、そうなんじゃが……? む、もしやレザーナめ二重の目的できておったのか」

「多分そうだと思う。言っていたことを考えると、森を潰すこととアクセサリー製作を同時進行しようとしてたんじゃないかな」

「冒険者みたいなタスクの詰め方しとるのう……ともあれ、フォスキスがセルバを起こしたことによってどちらも阻止した形になるのじゃな」

『えぇ、己の命と引き換えに』

「……やはり苦しいのう、こういうのは」


 実質レザーナは魔王の眷属であり、尖兵だったことになる。前回のジェムードもことがことで追求する時間がなかったが、あれもまた魔王の為の献上品を作るために動いていた。魔王の趣味も大概だが、碌でもないものを花嫁の飾りとして贈られかけているピリカ様ほんと不憫だな!! 今のところ目の前に出たものは阻止できているものの、既に他の場所でも似たようなことが起きている可能性が高いことを思うと頭が痛くなる。

 早く魔王城に向かって、結婚式をやめさせる必要があるのは確かだ。だが。


「(森を潰すことと魔王の花嫁のためのアクセサリー製作には繋がりが薄い。……森を潰そうとしていたのは、やっぱり別の……)」


 その名が脳裏を掠めたその瞬間、森の温度が一気に冷え始める。霜が降り水が凍りついていく、賢者さまの魔法で僕達の周囲は暖かいけれど周囲の状況はまるで夏に冬が訪れたようだ。

 これが、かつて世界を救う寸前まで辿り着いた英雄の力か。

 そう感嘆していると、舞台からセルバが降りてきていた。


『順調ですね、さすがフォスキスの教え子。戦士の血でありながらこれほどの術式を組むとは。おや、セルバ様。よろしいのですか?』

「うん、……気を遣われてしまったのだ」


 こっちは大丈夫だからとニコラスに背を押されてきたのだと、セルバが微笑む。その目には僅かな迷いと、強い決意の色が見えた。


「クリス、そしてパスカル王。そなたたちはこれから魔王の元へ向かうのだな」

「うむっ。わしの娘が囚われておるのじゃ、あの魔王を許すわけにはいかんっ」

「……僕も魔王を許せない理由があるし、そのつもり」

「そうか、二人とも己の意志で戦っているのだな」


 セルバはふと息を吸う、冷え切った空気は朝靄のように目を開かせる。彼女は一度里を見渡し、そして風の大樹を見上げると覚悟が決まった様子でこう告げた。


「頼みがある。わたしも、共に行かせてほしい」


 魔王討伐の旅に、同行したいのだと。


「わたしはこのようなことをした魔王を許せないのだ。アクセサリーの為だけに森を、妖精たちを傷付けフォスの命を奪った魔王の軍勢を……! 今のわたしにはかつての英雄としての力がないこともわかっている、でも、それでも戦いたいのだ。――わたしを守ってくれた者たちの為に、わたし自身の為に」

『セルバ様……』

「復讐など、褒められたことではないのだ。……わかってはいる、わかってはいるのだよ」


 それでも抑えられないのだろうなと、爪が食い込みそうなほど強く握られた拳から察する。冒険者や村人からその言葉が出るのと、王から出るのは質が違う。セルバはセルバなりに慎重になりつつも、抑えきれない心に戸惑っているようだった。

 けれど、僕はその姿に安堵さえ覚えていた。


「僕はいいと思うけどな。これだけのことをされたんだ、怒るべき時には素直に怒ったほうがいいよ」

 

 これはまぁ、僕の持論ではあるんだけれど。

 

「……それに誰かの為の使命感より、自分自身の心のほうが強いに決まってるだろ」


 悪意との戦いは、突き詰めていくと自分自身との戦いだ。何を許すか、何を斬るのか。その線引きは自分自身に委ねられている。国も何も関係がない相手と戦うのだ、思惑や思想よりも一番頼りになるのはどのみち自分の心だ。

 セルバは理由が自分自身にあることをわかっている、それならば信用できると思った。背を預けて戦えると。


「あぁお主の性格なんとなくわかってきたぞい、なるほどのう」

「な、なんだよもう」

「よいのじゃよいのじゃ、お主がしっかり考えを持って剣を握っていることがわかってわしは嬉しいぞ」


 どうやらパスカル王は僕のこの在り方を受け入れてくれるらしい、やっぱりなんか変というか元々変ではあるけれど王さまらしくないし勇者らしくもないよな……この人。

 それはともかく、セルバに対する答えは決まっていた。


「セルバよ、共に行こう! 今日からセルバは旅の仲間じゃ!」

「歓迎するよ、一緒に魔王を倒そう。セルバ」


 セルバの目が輝く、差し伸べた手を取り握手する。その手は最初触れた時よりも暖かく、あの時よりも傷だらけだった。


「――! あぁ、よろしく頼むのだ!」


 一緒に進もうと決意を新たにしたところで、周囲にざわめいていたエナの動きが止まった。どうやら封印の儀が終わったらしい。森を見渡せば一見何も変わってないように見えるものの、多くの妖精たちが眠りについたせいか随分と静かになった印象を受けた。里には警護として眠らずに残った妖精たちがいるが、それでもこの森には目覚めている存在はいないかのような空気に包まれている。


「それなら、私はここまでだな」


 儀を終えて舞台から降りてきたニコラスが、穏やかな声色で安堵の息をつく。どうやら彼にはセルバがこの森を離れることを察していたらしい。


「ニコラス……」

「そんな顔をするな。元々行き先が真逆だったからな」


 寂しそうな顔をするセルバを宥めながら、これを、と僕に紙を差し出した。


「魔の針に関しての情報だ、他にも魔王に関しての情報を見つけ次第そちらに伝えよう」

「! ありがとうございます」

「いいさ、協力するのが私の仕事だからな。導きの勇者だったか、頑張れよ」


 ニコラスさんにわしわしと頭を撫でられる、こうして七歳扱いされるとやっぱりくすぐったい。


「そっちはよじの国だったな」

「うむ、そこから飛空艇に乗ってスノーソルト山の魔界の門に向かうつもりじゃ」

「ならサンセットバレーか、向こうで困ったら“ベンタバール“という名の男を探すといい。スパイダーウェイブのニコラスからといえば協力してくれるはずだ」

「おぉ何から何まで助かるの! お主にも何か報償をあげられれば良いのじゃが」

「いい、食事の礼だと思ってくれ。あのカレー本当に美味しかった」

「そうかそうか! ならありがたく受け取るのじゃ!」


 名残惜しさに髪を引かれるがそろそろ、とニコラスは手を振った。彼とはここでお別れだ、なんだかそのうちまた会えるような気がするけれど。


「……っ、トルメンタよ」


 その大きな背を見送ろうとしたところで、セルバが意外な名で彼を呼び止めた。トルメンタ、ニコラスの本当の名前で。どうしてそういうことになっているのかは僕にはわからないが、セルバにとっては大事な仲間なのだろうことが声色から窺えた。


「また、会えるか?」


 トルメンタと呼ばれた冒険者は、セルバの問いかけに振り返らずに答えた。


「良い旅を、セルバ=ラ・レクス。きみが忘れていないのなら、きっとまた会える」

「うん、……うん、またなのだぞ。絶対なのだぞ!」


 あぁ、と小さな声で返事をした彼は封印の薄靄の中へと消えていった。遠くへ去るその姿は、どこか不思議な懐かしさがあった。

 ともあれ立ち止まってはいられない、理由はともかく時間をかければかけるほど魔の針の納品活動は進みピリカ様は魔王にいつ嫁にされるかわかったものではないのだ。正直ピリカ様が自力で戻ってきていないのがだいぶ不穏だけど、進むしか道はない。


『それでは準備はいいですか?』

「大丈夫なのだ!!」

「問題ないよ」

「では出発じゃ〜!」


 ……かくして。

 森の異変は鎮静され、勇者一行は今一度眠りについた眠りの里を去る。門をくぐり、南への道を進んでいく。

 その傍で森からは警護に残った妖精たちが手を振っていた。みんな、セルバを見送りにきたのだろう。花のような姿の彼/彼女らが祝福のように声を風に響かせる、腐り黒く爛れた森に散ったはずの花が咲いたようだった。

 

「セルバさま〜! いってらっしゃい〜!」「怪我とかビョーキに気をつけてね〜!」

「お土産期待してるね〜」「楽しんできて〜!」


 いってらっしゃい、と翡翠の歌を妖精たちが歌う。

 森の力を持たないが、それでもセルバの胸には暖かく響いた。


「あぁ、あぁ! 必ず戻ってくるのだ、必ずなのだ! ――――いってきます!」


 幼く、それでも気高くあれと背筋を伸ばしてセルバは旅立つ。

 友を失った痛みと悲しみを乗り越える日を迎えるため、友を奪った怒りを示すため、彼女は彼女の手で弓を取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る