第2話 転移


「わっほおおおぉおお!」


 ぼふん。


 あたしが着地したのは、一面の菜の花畑。

 土から生えているような新鮮な花は今となっては貴重なものなのに、あたしの尻で何本か折ってしまった。


 罪悪感。


 あたしは自分の足で立ち上がって皮一枚でつながっている茎をねじきる。

 こうなってしまったものは大天才であろうと直しようがない。

 せめて美味しくいただくとしよう。


(地球上にまだ花が自生している場所があったのな……)


 しゃくしゃくと咀嚼しながら、周囲を見渡してみる。

 当たり前のように呼吸ができて重力の異常もない。

 この場所は地球上と仮定しよう。

 白衣の下は長袖のトレーナーにチノパンとスニーカーという服装で来てしまったが、暑すぎず寒すぎないちょうどいい気候だ。


 この菜の花畑が誰かの手で栽培されているものだと仮定すると、人類の農地を荒らしている怪物とやっていることは変わらない。

 あたしは人間だから、この菜の花畑の主人に詫びを入れなければな。


 まさか〝転移〟先が菜の花畑だなんて思わなんだ。


 食べてしまった分の代金も支払わなければなるまい。

 折れた菜の花は商品にならないだろうから、その分もだ。


(金か)


 携帯端末に内蔵されている非接触型のカードがあるので、この世界の通貨が円でなくとも支払いはできる。

 カード決済に対応していなかったらその時はその時だ。


 ついでに手持ちの荷物を確認しておこう。

 なんせ人類初の〝転移〟だ。

 道中でロストしてしまっている可能性もあるからな。


 まず白衣の胸ポケットの携帯端末。

 使用する機会は一人で買い物をするときぐらいだったから、他の機能は詳しくない。


 詳しくないというか、ほぼ存在しないようなもの、と言ったほうがいいか。


 アンゴルモアが来襲する前は自由に使えていたインターネットは政府の情報統制により使い物にならなくなった。

 抜け道があることにはあるらしいが、見つかったら即牢屋行きだ。


 携帯端末は基本的には〝一日一回、正午に送られてくる政府からのメッセージを受け取るため〟のもの。

 民間人同士のメールのやりとりは禁じられていて、これも抜け道が以下同文。


 参宮には『カメラの性能がいいので、お出かけがてら写真でも撮っておいたらどうです?』と勧められていたのを思い出す。

 この菜の花は記録に残しておくべきかな。


 しかし、――あたしがいくら携帯端末を決済用途にしか使ってこなかったとはいえ、画面を触っても電源ボタンを押してもうんともすんとも言わないのはおかしいだろう?


「壊れたか」


 チッ。


 他人の作ったものはこれだから信用ならない!

 参宮はあたしが使おうとしたものが使用不可になるたびに『使い方が雑なんですよ』とあたしのせいにしていたが、東西南北の多種多様な人種が扱う製品なのだからいかなる場合においても使用可能であってくれ。


 金が払えないとすると、金になるようなものを渡すしかない。


 となると。


「うーむ……」


 あたしはガンベルトのホルスター部分に収まっている拳銃を取り出す。

 これを渡すしかないか?


(いくら花畑があるとはいえ、怪物が出てこないと決まったわけではなし)


 最低限身を守れそうなものはとっておきたい。


 これはS・A・Aシングルアクションアーミーを模した護身用の拳銃で、体もでかいが顔も広い参宮が『開発中のサンプルですが、ほぼ製品版のようなものです』とその知り合いから譲り受けてきたものだ。

 あたしは一度も撃ったことはないけれど、装填されている銃弾の威力はデカいネズミの分厚い脂肪を貫くほどらしい。


 シンプルな構造と弾詰まりしない特性、早撃ちに適していて、民間人でも扱いやすいんだとかなんとか。


(畑仕事の手伝いで手を打ってもらうしかないか)


 怪物が身近に出現するようになってから、ジャパンでは民間人の武装の許可を叫ぶ声が上がっていた。

 他の国では武器を巡っての人間同士の争いが勃発してしまい、怪物と戦う前に人間が消耗していたので、政府は表向きには消極的な態度を示している。

 その裏で研究者たちには〝人間には害がなく怪物にはダメージを与えることのできる護身用の便利な武器〟を開発するよう命じていた。


 無理難題だ。


 あたしは怪物を〝転移〟させる時空転移装置を発明することで根本的な解決を図っていたから、そんな都合の良い武器なんて考えもしなかった。

 でも。

 あたしの手元にはその便利な武器があるんだから、縁っていうのは不思議なもんだ。


「なー、うー」


 !?


 あたしは拳銃を両手で構えて、謎の鳴き声のしたほうへ振り向く。


「なー、うー」

「なー!」

「な、うー!」


 後ろ足で立っているウサギが三羽。

 あたしよりもでかい!


「参宮!」


 かつて隣にいた助手の名前を呼んだ。

 返事はない。


 クソ!


 最期の最期にカッコつけやがって!

 あたしについてきていればここでもあたしを助けられたってのにさ!


「喰らえ!」


 真ん中の白いヤツに銃口を向けて、トリガーを引く。


 弾が――出ない。


「ハァ!?」


 これだから!

 他人の作ったものは以下略!


「なー?」


 ウサギが首を傾げる。


 バカにするんじゃあないよ!

 あたしは大天才なのに武器が大天才が作ったものではないから武器がゴミカスすぎてもうダメ!


 開発者の顔が見てみたい!

 もう死んでるんだろうな!


「なー! なー!」


 ウサギたちが前足を天に向かって挙げて、バンザイの格好をしながらこちらに近づいてくる!


「わあああああああああああああああああ!」


 逃げるしかない。

 ウサギから脱兎のごとく!


 シャレになってねええええええええええええ!


「うっ……ウェ……」


 苦しい。

 足がもつれそう。


 運動不足が憎い。


 基礎体力向上訓練ぐらいは受けておくべきだった。

 研究職はそういう兵役まがいのものが免除されてたから受けなくていいしラッキーぐらいに思ってたけどとんでもねえ。


 菜の花畑を突っ切ると、前方に街のようなものが見えてきた。


「はぁ……ハァ……」


 振り向く。

 怪物はついてきていない。


 どうやら逃げ切れた……のか……?


(街があるんだから、そこに住んでいる人に話をしてみるか)


 先ほどの菜の花畑の所有者についての情報も聞き出そう。

 この辺の文化を知りたい。


 怪物が現れているのに、この風景を保てているのには理由があるはずだ。


 言葉に関しては携帯端末の翻訳機能が――あ、壊れているんだった。


 参宮がいたら参宮が通訳してくれていたのにな。

 ほんっと、ついてきてほしかったよ。


「なー!」


 背中へと鳴き声が届いて、あたしも「な!」と鳴いて振り向いた。


 その白いウサギの腹に槍を突き刺す別の生き物。

 ウサギは「うー!」と断末魔の叫びをあげて、その身体が消えていく。


(知性を持った怪物ー!)


 犬だ。

 ウサギの次は二足歩行の犬。


 一匹の犬が、槍を握っている。


 これまで様々なタイプの怪物が地球に送り込まれていたが、武器を扱う怪物はいなかった。

 どれもデカすぎる自らの身体やその爪と牙で攻撃してくるものばかり。


 モノを使って動き回るのは知能を持った生命体である証拠。


 しかもその身体には鎧が張り付いている。

 鉄を加工する技術もあるということだ。


 さらにウサギの怪物を消滅させてみせたように、対怪物の秘術すら会得している。

 人間を超えてきた。


 やばい。


 弾を撃てない拳銃とぶっ壊れた携帯端末しか持っていないあたしは、死を覚悟し――ない!


「逃げるんだよォ!」


 ここまできて死ねるか!


 死ねるかってんだ!


 さっき食べた菜の花を吐き出しそうになるのをこらえながら街へ向かって走る。

 近づけば近づくほど、街がなんだかちょっと前のジャパンに似ているような似ていないような……?


 怪物に破壊される前の、一軒家が立ち並ぶ。


「!」


 あたしは急ブレーキをかけて、岩に隠れる。

 一軒家のドアが開いた。


 中から出てきたのは、さっき見かけた犬とはまた違う犬種の犬だ。

 今度は大剣を背負っている。


(あ、ああ……)


 身体が震えてきた。


 犬のような姿をしていて、武装しているなんて……。


 コボルトとかいう怪物かもしれない。

 本で読んだことがある。


 アンゴルモアは、獣人を〝転移〟させてきていたのか。


(あたしは大天才だから、この逆境も切り抜けちまうんだな)


 あたしは深呼吸して、岩に隠れるのをやめる。

 草を踏みしめながら前へ進んだ。


 ついさっき、コボルトが出てきた家の扉を開ける。



【歴史的第一歩】

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