不安③への応援コメント
会社の一員になるということ、社会の歯車になるということ、考えさせられます。真面目で正直を評価されてきたのに、それができない場面に出くわしたら……うーん、やめちゃえって簡単に言えたらいいのですが、生活するために、そうはいかないのが人間ですよね。
そんなことにならない会社をつくるのが一番なのですが、どうしたものか。
十河会長との関係がこの先どうなるのか、心配です。
作者からの返信
会社の体制も悪かったのでしょうが、何よりも悪くなっていっていたのが「景気」。「今のうちに固定金利で入りませんか?」「今の配当が付けば、実質金利は……」金融機関では、そんな商品を必死で売っていた頃です。営業社員も、そんな額で戻ってはこないのではないかと内心不安に思いながら……。
春人が真面目に正直にありたいと思っても、時代の流れは彼を思い通りにはしてくれませんでした。
会社をやめて、次の職を見つけるなんて、リストラの嵐の中、難しすぎたでしょうね。
十河会長とは……どうなると思います?(笑)
お楽しみに♪
新入社員研修③への応援コメント
この新人研修の内容、すごく面白くってリアルなので、本当に緋雪さんが体験したことなのかなと思いながら読みました。こんな風に身をもって業務内容を体験させてくれると、後々仕事につなげやすいですよね。
ハル君もここでは個性が良い方に働いて、ホッとしました!
作者からの返信
こよみさん、コメントありがとうございます。
そうです(笑)。似たような研修を受けました。
もうね〜、死ぬほど難しかったです。
でも、こんな難しいことができた自分たちは、社会の中に漕ぎ出していける! みたいな自信がついたのもまた事実ですね。
具体的なことは、ぼんやりとしか覚えてないんですけどね、もう。
研修は厳しかったです。も〜、ホントに詰め込むだけ詰め込まれて。1ヶ月後には即戦力になれるように。
でも、お陰で、いい友人とも知り合えたわけですけどね(*^^*)
編集済
終章 海月への応援コメント
緋雪様
この小説はハッピーエンドなのでしょうか? それともバッドエンドなのでしょうか? 次から次へと涙があふれてきます。
伝えたいです、春人くんに。もっと生きたかったでしょうに、と。幸せになる権利はあるよ。頑張ったんだもん。何事にも一生懸命に取り組んでいたよね。これから……これから自分の本当の人生を生きていくはずだったんじゃないの? と。
でも。
「巡り合うための約束」「個展」から「海月」への、宿命的なお話の流れが、ただのハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、しかし、そのどちらでもありながら、悲しみに終わらず、カタルシスに終わらない、悠遠な果てしなさを醸し出して……そうか! これが緋雪様の真骨頂なのだと深い感銘を受けました。
素晴らしい小説でした。
緋雪様、読ませていただき、ありがとうございました。
作者からの返信
このお話がハッピーエンドなのかバッドエンドなのか……それは、読者様に委ねようと思っています。
ただ、私の「生」と「死」の世界観が少しだけ他の人と違っているのかなぁと思ったりはしていますね。
人間として生きている、表面的に現れるのは、ほんの一瞬なんですよね、きっと。本当は大きな大きな意識の集合体があって、泡がポコッと立つように「生命」として生まれる。そして、泡はいつまでも泡のままではいなくて、消えていく。で、元の集合体に戻っていく。それだけのことなのかなあと、そんな感じで捉えています。
運命的な意識(魂)は、何度も同じタイミングで表面に現れ、何度も出逢っているのかなあ、と。
そういう関係性の魂は、きっと何度でも出逢うのでしょう。
「死」イコール「別れ」ではないのだと思うのです。
随分とスピリチュアルな話なんですよ、本当のところを言えば(笑)。
でも、これだけのことを乗り越えなければ、運命の人には辿り着けなかった。
これだけのことを乗り越えたから幸せになれた、そう思えば、これまでの不運や不幸な過去も許せてしまう、現実の私がいるのも本当なのだけれど。
どこからどこまでがハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか……私には「エンド」が見えないので、どちらとも言えません。
だから、そこは、読者様の感じたものに委ねたいと思っています。
ブロ子さん、とても丁寧に、拙作を大切に読んで下さってありがとうございました。
巡り合うための約束への応援コメント
緋雪様
全く……全く予想もしなかった展開に茫然とするばかりです。
何故? と問いかけたいです。
春人はこのまま紗恵と幸せになるものと思っていました。数々の辛酸の果てに、ようやく辿り着いた安寧の懐に抱かれて、これからは好きな芸術の道で生きていくものと……。
春人の母が言った「ねえ、あの上から見たらもっと景色が綺麗に見えるんじゃない?」という言葉に危険なものを感じたのは気の所為かと思っていました。
今にして思えば、伏線は張られていたように思えます。薬の副作用による足元のふらつきや眩暈……。
そして、最期の言葉は「最高の一枚です」
これが、悲し過ぎます。
せめて春人、安らかに。
作者からの返信
ブロ子さん、心のこもったコメント、ありがとうございます。
それは、事故だったんですよね、本当に、事故。
春人は幸せの絶頂にあって、「死」がいつも「生」の傍にあることを忘れてしまっていたかもしれません。
逆を言えば、もう死んでもいいと思えるほど幸せだったのかも?
現実の「私」の物語は更に続くわけなのですが、ここからもっと辛いことが待っていました。
だから、もう、春人にそれを背負わせたくなかったというのもありますね。
自分の身体が動くうちに書き上げたいと思ったのも一因だったと思うし。
「死」は、眼の前の現実として、肉体的なものであって、意識がその場を離れるということなんじゃないかと思っていて、集合意識の中にただ戻っていくだけなのかな、と。
(笑)、やめましょう。ちょっとユングさん入ってきますので。
私が春人なら、紗恵にも、母にも、「泣かないで、悲しまないで。またいつかきっと会えるから」と言ってあげたいです。
旅 三年目への応援コメント
緋雪様
何故か腐女子の自分が「男女の運命の出逢い」を目の当たりにし、感動して涙ぐんでいます。
春人くんにとって、紗恵さんはやはり運命の人だったのですね!
本当に運命の人なら、いつか必ず巡り合えるようになっているのですね。嵌められて既成事実を作られてしまったような最初の結婚は、春人くんにとって本当に悲劇でした。でも、紗恵さんとならきっと幸せになる。そう確信が持てるようなエピソードでした。
作者からの返信
紗恵は、本当に運命の人だったのでしょう。
運命の人とは、何度生まれ変わっても、どんなに離れていても、どうして?ってタイミングで出会うようにできているのかもしれません。
その人に出逢った瞬間に、わかるんですね。「この人だ!」って。不思議ですけど。
春人が、紗恵と巡り合えて、本当に良かったなと思います。
嬉しいコメント、ありがとうございました。
光っていた絵への応援コメント
緋雪様
星野さんの絵に込められた最期の命の灯火のようなものを、はると君は見た(感じ取った)のかもしれないと思います。感受性というかシックスセンスが優れた幼少期だったのですね。
そのはると君が大学生になって、一人称も「ボク」から、いつしか「俺」になり、やがて異能も完全に失われていくのでしょうか。成長の証として。
作者からの返信
ブロ子さん、本当に沢山読んで頂いてありがとうございます。
春人の感受性の強さや、第六課というものは、「本当の春人」の部分だったのかな、と思います。
それが年齢を重ねるにつれ、他人に押し付けられた「世間の常識」に塗り潰されてしまう。そんな感じだったのかもしれません。
一人称を「俺」にしているのは建前かもしれませんね。春人の中では「僕」が一番しっくりきているようですが……。
幼稚園②への応援コメント
緋雪様
もしかして彼には人のオーラが見えているのでしょうか?
そういうものは一般人には見えないので、彼の言っていることは理解不能でしょうね。でも、せめて親御さんは、最初は面喰っても彼の言うことを頭ごなしに否定しないで欲しいと思いました。
まさか、この子って……幼い頃の緋雪様? ですか!?
作者からの返信
ブロ子さん、早速こちらまでお越しいただき、ありがとうございます。
うーん。オーラっていうか、パッと感じる「色」だったんですね。
今も、落ち込んでいる人の上に、青黒い色は見えます。漫画みたいに(笑)。
あとはたまーに見えるくらいで、イメージとはまた違って、なんと表現してよいのやら。
大抵の大人は自分たちの理解できないことは、頭から否定しますからね。
彼の両親も現実的な人だったから仕方のないことだったのかもしれません。
いい成績をとることへの応援コメント
はると君の抱える疑問や痛み、すごく理解できます。細かいところが気になって頭がいいけれど、忘れ物はするんですよね。だってそこには興味ないもの……。
でも、小学生の間に忘れもののない完璧な子って、絶対に親が甘やかしているだけで、将来的には本人が困ると思います。
のびのび好きな勉強や遊びができる時間を、もっとたくさん与えてあげられるといいけれど、お母さんもお父さんも、少々枠に嵌めがちな感じですね。
子供の目線から見る大人の矛盾や子供社会の残酷さを、お見事に描いていらっしゃるなあと感じます。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
はるとの忘れ物癖は、興味がないもありますが、もっと深刻なところにありました。でも、その理由がわかるのが、まだずっとずっと先になります。
>小学生の間に忘れもののない完璧な子って、絶対に親が甘やかしているだけで、将来的には本人が困ると思います。
確かに。確かに。自分で考える力はないかもしれませんね。
はるとの親は、息子に「立派な」大人になってほしいと思っていました。でも、はるとは大人世界の価値観に疑問を抱いているようです。とても難しいと。
それでも勉強自体は好きなんですけどね。
丁寧な考察、ありがとうございました。
終章 海月への応援コメント
なんだろう、涙が止まりません。
私は宿題をするように生きてきて、これをどこに提出するのか、誰が評価者なのか、そんなことも考えることもないまま課題に必死だった(私のキャパ的に)ように思います。
「人は楽しむために生きているんだよ」と言った人とその後結婚し、長い時間をかけて、目の前に積み上げられた課題や宿題は、私が勝手にそう思いこんでたものなんだとわかりました。
今でもさぼったり休んだり逃げたりすることになぜか罪悪感や劣等感を覚えて、「いや、別にやらなくてもいいじゃない?」と理詰めで自分を説得しなくてはいけなかったりしますが。
春人さんが桜と絵のメッセージを受け取って、紗恵さんと巡り合えて良かったなぁと思います。
長い間辛い思いをしたことをけして「仕方ない」とは言いたくないけれど、春人さんが言うとおり、この時代であればその苦難を乗り越えないと紗恵さんに辿り着けなかったのかもしれません。そして、辿り着いたその人に気付けたことと、ようやく自分の人生を取り戻して歩き始めたことは、この上なくしあわせなことだと思います。
でも、発達障害のことが分かってきたこれからにおいては、視力が悪い人が眼鏡をかけるように、スポーツを楽しむための高性能な義手義足があるように、不要な苦しみを強いられることなく、人生を豊かにする方法を積極的に知ることのできる社会であるべきだと思います。
世界中からあらゆる無駄な苦行がなくなることを願ってやみません。
作者からの返信
丁寧に読んでいただいて、ありがとうございます。
まさか、この長編を一気読みして頂けるとは思いませんでした。そして、読後、そんな風に心を動かして下さったこと、とても嬉しいです。ありがとうございます。
春人は、辛い人生を歩んできました。いじめに遭ったり、勉強がうまくいかなかったり、仕事で大きな失敗を押し付けられたり、結婚は酷いものだったし、離婚して重症の鬱病に。
そうやって、自分が「何もかも失ってしまった」と思った時が、新たな自分の出発点だったのかもしれません。
必死に「こう生きなければ」と思っていたものが崩れた瞬間ですね。
同じく、「人は楽しむために生きているんだよ」との、チョコレートストリート様の旦那様の言葉が、あなたの価値観を変え、新しい自分になれた瞬間なのではないかな、と思います。素敵な旦那様。素敵な言葉、素適な価値観を貰いましたね。
「0」の自分に残ったもの、春人にとってそれは絵を描くこと、写真を撮ることでした。
「生きなさい」そう桜が励ましてくれたことで、彼は、前を向いて歩くことを選びます。それは彼の中の「生命力」だったのでしょうね。
彼は第2の人生を歩き始めます。今度こそ自分自身の価値観を持って。「BOKU」というロボットではなく、生身の「僕」として。
そこで出逢えた運命の人、紗恵。彼女との時間は余りにも短かったけれど、春人は、幸せだったと思います。よかったです、亡くなる前に本当に幸せだと思える時間がもてて。
発達障害が世間に認知され始めたのは、春人の診断のほんの10年ほど前のこと。春人が子供の頃には、そんな概念はなく、「変わった子」「協調性のない子」と思われていただけでした。
今の子供たちは、早くからその障害だと診断できるんですね。それで、その子その子に合った学習の取り組みが成されるようになりました。
そうですね。仰る通り、誰もが余計に苦しむことなく、豊かな人生をおくれるように、人に優しい社会になって欲しいと願います。
たくさん考えていただいて、たくさん感じていただいて、本当に嬉しいです。ありがとうございました。
「いじめ」と孤独への応援コメント
新任の先生。
学級崩壊させてしまうかと方向違いの心配をしてしまいました。
(昔子どものクラスでそういうことがあったので)
四年生あたりから子どもたちは自我が出てきて難しくなりますよね。
ちょうど第二次反抗期。
群れを作りたがり、群れの中で順位を決めたがり。
差異があるものを排除しようとする。
大人が言葉で注意しても心に響かないと聞いてはくれない。
残酷です。
歪な群れを作りトップに立ちたい子どもはなにかしら不安定さを抱えているのではないかと(子どもたちの小学生時代を振り返って)思います。
標的にされた子どもはたまったもんじゃねぇぞ!と母は怒るのであります。
作者からの返信
確かに難しい問題なんですよね。
この時期の子供って不安定なんですよね。
だから群れたがるのかもしれません。
群れるだけならいい。でも、弱いものを叩きたがるのはなんなのかなあ。
そういう性質であることを捉えた上で、親や教師や周りの大人たちが、ちゃんとした指導をしてほしいと思うのです。
ここに書かれているのは、もう40年も昔の話ですが、多分、今はもっと酷い。
痛みを知らずに育った子、ゲームの中で、「殺す」「死ぬ」ということが当たり前になってしまった子……、その上いじめの種はその辺中に転がっています。
大人たちが彼らを守るためには何ができるのだろう……。
小学校、苦手なこと②への応援コメント
忘れ物魔、姪っ子がそうでした。
でも飛び抜けて頭はいい。
どこか尖りとどこか凹むんだねぇと妹と話していました。
作者からの返信
なんか、そういうメカニズムがあるのかもしれませんね。
詳しいことはわからないけど、生まれながらに、そういうのってあるような気がします。
小学校、苦手なこと①への応援コメント
手を上げて元気に答えられるというのも、ひとつの才能もしくは個性だと思います。
運動が苦手なのは向き不向きみたきに言われるのに、机での授業を同じように受けられないのはそう言われないのは不思議です。
と、大人になって思いました。
作者からの返信
確かに。そういうことにも向き不向きってありますよね。
成長するにつれて、発表することやプレゼンなんかは得意になりましたが、私も小さい頃は発表がめちゃめちゃ苦手な子でした。
問題が解けていても発表できない。
そういう子もいるので、そこは先生が配慮すべきだと思いますよね。
終章 海月への応援コメント
ずっと考えていました。
彼は
どうして死ななければならなかったのかと
幸せの中で死ねたら
よく分かります
でも生きていれば彼女ともっと幸せを増やして行けたのか
その分また新たな苦しみや悲しみが増えるのかと
シングルモルトを飲みながら
夜空を見上げて
強い風に吹かれ
ずっと考えさせられました
答えは未だに
無しです
作者からの返信
何故…なんでしょうね?
自分で選んだ死ではないんですよね。事故なんです。
私も意識して死なせたわけではないんだよなあ…。
どんなに幸せでも不幸せでも、理不尽な形で「死」は突然やってくることもある。
…私は、再婚して、物凄く幸せになりましたが、その直後、急に何もかもわからなくなる状態になり、倒れて救急搬送されました。その後、それまでの自分を取り戻すまで3年以上かかりました。
そんな風に、どんなに「幸せ」を手に入れても、いつ「事故」や「重病」に遭うかもしれないんですね。
これは、私の人生がベースの物語で、ラストシーンを書いたのは何度目かの入院の最中でした。もう、いつ痛みで動けなくなるかもしれないから、早く書き上げたいという気持ちもあったかもしれませんね。
誰にも、自分に残された時間はわかりませんけどね。
そんなふうに深く考えて下さったこと、本当にありがたいです。
そういう現実もあるんじゃないですかね。
ハッピーエンドなのかバッドエンドなのかは、読んでくださった人次第じゃないかなあと思います。
貴重なコメント、ありがとうございました。
もう頑張らなくていいへの応援コメント
何度も涙が滲みました。
この苦しみ
過去の経験で分かります。
また
今でも分かります。
今は自分の許容量を信じて
全てを何処まで受け入れられるか
挑戦中です。
作者からの返信
わかってくださってありがとうございます。
これがわかるということは、相当大変な思いをした方なのだと思います。
今まで積み重ねてきた「自分」を全て失ってしまうこと。
明日に何も希望が持てなくなってしまっている状態。
何もなくなってしまった。
この時の春人はそう感じています。
けれど、その掌に残っているものが、本当はあったのです。
彼はまだそれを知りません。
第二部からのお話になります。
編集済
絶対にならない!への応援コメント
その講師の言ってる事はある意味当たってる。
私もデザイン学部でインテリアデザインを専攻してた時に、一人に三社くらい引きが来るからいいけど、グラフィックデザイン専攻の生徒は一人に一社しか引きが無いため、もしかの場合を考えて教育実習を受ける人が多かったですね。もちろん先生になりたくて勉強している生徒もいるけど、当時は好景気でどこかの会社に入り込みたい生徒が圧倒的でした。
ただ、今だから分かるけど、あくまでもスタートラインだけの話で、その後の人生でどんな事をやりたいかは別物だということも。
追記:
ごめんなさい。ついついハルトの気持ちを考えるとフィクションだというのを忘れてしまったようです。今後は読者としての応援コメントに徹しますね。
作者からの返信
まあ、この講師は人間的にも、教師的にも失格な人がモデルなので、この人のことは、置いといてください。
当時、他の学部の人は引く手あまたの時代でしたが、教育学部だけは、教師にならないという選択肢以外は、物凄いハンデにしかならず、一般企業は相手にしてくれなかった時代でした。このお話の中で、主人公は、教育学部でなく、別の学部で、ついでみたいに教員資格を取ろうとしているんですけどね(笑)。筆者は実は教育学部なんですよ。だから腹の立ち方が違ったんですね。
それにしても、苦手分野に進学して、できません、ほら落ちこぼれだ。って、まあ、本人の選択肢が悪すぎるんですよね。一体、何が主人公をそこまでプライドに拘る人間に追い詰めたのか、何が原因でそこまで追い詰められることになったのか、そういうことも考えながら読んでいただければ、と思います。
覚えられないんだ…への応援コメント
私の知ってる学校の授業は日本とフィリピンとアメリカですが、日本は暗記が多いですね。アメリカでは対話型の授業でひとつのテーマに全員で考えたり、誰かの答えに対してどうしてこうなるか、みたいなのが多いので、質問の本質を考えるような授業ですね。
フィリピンもアメリカの植民地だったせいでよく似た授業をしてますが、いろんな表彰をします。画一的なものではなく、この子にどんな部分の良い面があるかという賞を作るんです。
この辺、日本の授業内容や大学、会社へと続いて行く社会がある、と。ちょっと散漫な応援コメントですみません。
ハルト君がつまづいた部分がそこにあるような気がして。
作者からの返信
ハルトが躓いた部分については、それだけじゃないのですが、それは、もっともっと後になってわかったことなので、我慢して読んでください。
でも、おっしゃる通りですね。日本と諸外国では教えるスタイルが全く違う。特に英語に関しては。勿論、アメリカは母国語ですし、ヨーロッパはラテン語圏の国なので、英語は標準語くらいの扱いで、簡単に覚えることができます。それに比べ、日本語は島国でオリジナルの言語なので、外国語については猛勉強するか、いっそ外国に放り込まれるかしないと完璧な英語は喋れない。
どの授業に対しても思うことですが、日本の教育は、この「完璧さ」を求める余り、暗記が多くなるのかな、と思いますね。もう少しラフな感じで本質的なことを話し合った方がいいのに、と感じることも多々あります。
簡単にはいかないものですね。
編集済
「いじめ」と孤独への応援コメント
ここまで読む途中に、これは?という気持ちが出てきて不安でしたが。やはり?
日本は清潔でルールを守って素晴らしい国だけど、社会が厳しいというか、余裕がない気がしますね。
何かあればすぐに排除する。
社会が異質なものでも受け入れるだけの余裕と言うか優しさがあるかどうかで違う気がします。
追記:
外国でもいじめはあるとおもいますよ。
でも同調圧力は日本は大きいと思います。
カーストというのも同調圧力の一種かもしれませんが、ある一定の見えない線から先へは行けない場所はありますね。
例えばフィリピンだと金持ちか貧乏かで別れてますが、別に差別してるわけでは無く、線を越えなければ虐めたりはしないです。
それとゲイに対しても大らかな国民性でゲイを受け入れてますね。それは東南アジアも大らかです。
異質なものを受け入れるためには社会が変化するか、英国のように社会が熟しないと無理なのではないか?と思います。
英国のTVドラマを見ていてかなり古いドラマでしたが、ゲイに対して普通に出していたのを見て驚いたし、さすが英国だと思った気がします。
日本は今その混沌とした時にいるんでしょう。
いつそれが社会としてサポートできるのか。
それとも社会ではなく、本人の努力で異質の枠を飛び出せるか。
でも子供のうちにサポートが受けられないのは社会としてはまだまだ未熟だと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
んー。そうなんですかね。日本国内だけなんですかね?
いじめって、形は違っていても、どこにでも、転がっているものだと思います。肌の色とか、英語を喋れないとか…そんなことでさえも。
でも、日本は確かに、その辺りに関しては特に排他的なものがあるとは思います。「普通」の枠が狭いんでしょうね。周りと違うということを余りにも恐れる。「出る杭は打たれる」という言葉にも見られる、日本の文化だと思います。良し悪しは別として。
でも、それも古い考え方として、個性的に生きようとする次世代の子ども達がいて、それは、頼もしいことだと思いますね。そういう芽を摘むことのないように、周りの大人たちは見守っていかねばならないよなあと思いますね。
追記】追記ありがとうございます。
気づかないことも多々ありますので、返信できてなかったらごめんなさい💦
んー、難しいことは私にはよくわからないです。残念ながら。
ただ、日本が、今、そういう意識に混沌としているっているのは、私もそんな気がしています。
気づかないふりをしている、隠そうとしていることを、気づいていると公言する、隠さないようにする。そんな動きも出てきたのかな、と。
ただ、そういう意識において、日本が遅れていたわけではないと思いますよ。日本には日本の文化やしきたり、伝統という下地があってのこと。
いろんなお国柄というものがありますから、そのひとつと考えた方がラクなのかなと。
それでも、いじめていいわけはなく、その辺りは、大人も子供も考えなくてはならないことです。「いじめはいけないよ」「いじめは悪いことだよ」なんて言葉だけじゃなく、もっと深いところで。いじめに対する教育を、子どもたちにだけでなく、教師、ひいては大人全部に浸透させる。みんなの意識を変えるような活動をしなければ、変わらないのかもしれませんね。
編集済
もう頑張らなくていいへの応援コメント
ああ、お母さんがお母さんとして、ちゃんと駆けつけてくれた。それがすごく救いに思えました。
ハルくん、何も悪くないのに、どうしてこうなってしまったのだろう。他人がそう思うのだから、本人は尚更ですよね。その苦しみは想像を越えます。
それでも自分にできることをしようとする、真面目な人が、余計に苦しんでしまう。うつ病とは本当にやっかいで大変な病気だと感じます。
彼に何か、確かな救いがあってほしいです。
作者からの返信
子どもは、いつまでも母を必要とするのかもしれません。
「さようなら」ではなく「たすけて」って言えたこと、母親がそれを普通ではないSOSだと気付いたこと。それらが、春人の命を繋ぎました。
彼は「うつ病」の恐ろしさを知りませんでした。これまで頑張ればなんとか乗り越えられたものが、できなくなる。頑張れなくなる。でも頑張ろうと藻掻くんですね。どうにもならなくて自死を選ぶ人も少なくない。
「うつ病」を「怠け病」だなんて言う人もいるけれど、ちゃんと怠けられる人はならない病気なんですよね。相当追い詰められていたと思います。
もう自分には何もなくなった。そう思う彼の底に、まだ残っていたものがありました……。