正義の幻想【不定期更新】

刻堂元記

第1話 市長就任記者会見

 現在時刻は午後19時53分。間もなく夜泣市長選挙の開票結果が分かるということで、政夜せいよ地区にある望月明もちづきあきらの事務所内は、そわそわしていた。特に、積極的に活動してくれた望月明後援会会長の法安準正ほうあんじゅんせいに限って言えば、しきりに時計の針を確認しながら、手をこすり合わせている。


 それもそうだろう。夜泣市民を対象にした事前調査によると、新人の望月明氏が支持率36%に対し、対立候補である新人の梢透こずえとおる氏は支持率34%とほとんど拮抗していた。そのため、どちらが市長に当選したとしてもおかしくない状況なのだ。


 時刻が午後19時54分から、午後19時55分に変わる。事務所内の選挙関係者は皆、言葉を発するのを辞め、静かにパイプ椅子に座り、大きなテレビの画面に見入るようになっていた。彼らの姿を見れば、誰もが、学校の教室で真剣に映画を見る子どもたちを想像したに違いない。だが、望月明の選挙関係者たちは、画面に映る映像を楽しんでなどいなかった。選挙運動を陰から支える人間になったことがあるのなら、彼らの心情を容易に察することができるだろう。


 市長選挙に携わった人が同じ方向に顔を向ける中で、テレビ画面の映像と時計の針だけが絶えず動いていた。午後19時56分、午後19時57分、午後19時58分……。誰かがひたいに流れた脂汗をハンカチで拭き、また別の誰かが大きく深呼吸をする。望月明の事務所の中は、まるでテスト返却直前の教室のような雰囲気になっていた。緊張した顔を浮かべつつも、祈るような気持ちで結果を待つ。


 午後19時59分。時計の針が動く音を気にする者は、もはや誰ひとりとしていなかった。夜泣市長選挙の結果を少しでも早く知りたいと思ったのか、テレビの正面に坐る最前列の何人かが、やや前のめりの姿勢になる。もうすぐ午後20時。結果発表の時間まで、3、2、1……。


 心の中で数え上げていたカウントダウンの数字が0になると同時に、時計の針が午後20時ちょうどを指し示す。そうして、テレビ画面の上部に以下のニュース速報が流れる。


『夜泣市長選 望月明氏が初当選 投票率73%』

 

 事務所内にいた全員が沸き立った。選挙関係者が一丸となって応援してきた望月明が初出馬ながら夜泣市長に当選したのだ。女性アナウンサーの篠田範子しのだのりこが、夜泣市長選の結果をニュースとして正式に伝えた後、テレビ画面は夜泣市役所の建物の中に切り替わった。当選した張本人である望月明は、まだ記者会見の場には来てないらしい。しかし、もうじき報道陣の前に姿を現すであろうことを確信したのか、篠田範子アナウンサーは、


「夜泣市長就任記者会見まで、1~2分程度お待ちください」


 と視聴者に向けて言葉を発した。そして、丁度それくらいの時間が経過した頃に登場した望月明が、報道陣の前で1度、深いお辞儀をする。その後、夜泣市長となった望月明の就任記者会見が始まった。


「皆さん、こんばんは。この度、第14代夜泣市長に就任しました望月明です。どうぞよろしくお願いいたします」


 記者会見において司会を務める夜泣市の職員が、質疑応答に移行する宣言を行い、挙手をした記者を指していく。


「それでは、国伝こくでん新聞さんお願いします」

「国伝新聞の白瀬と申します。市長として最優先に取り組みたいことを率直にお聞かせください」


 望月明市長が、国伝新聞の白瀬の方を向いて答える。


「まず、公約として掲げてきた犯罪対策連携協定の成立を目指します。これには、周辺自治体からの同意を得なければなりません。そのため、市民の誰もが納得のできるような形の制度にするために、慎重に協議を進めていく必要があると私は考えています」

「ありがとうございます」


 そう言って、国伝新聞記者の白瀬が座った。


「次に、週刊マルゲンさんどうぞ」

「はい。週刊マルゲンの判字と申します。望月市長は先ほど犯罪対策連携協定の成立を目指すとおっしゃっていましたが、どの自治体と協定を締結させたいとお考えでしょうか」


 2秒程度の沈黙が続いた後、望月明市長はゆっくりとそれらの質問に回答した。


「そうですね。最終的には暗暮地方を構成する全ての自治体と締結したいですが、ひとまずは犯罪の脅威から市民を守る独自の組織を有する、全光ぜんこう市、皆輪みなのわ市、あとは長壁おさかべ市と締結を結びたいと考えています」

「ありがとうございます」


 週刊マルゲンの平岩記者が望月明市長の言葉をノートに書き記してから、椅子に着席する。


「スポットライト・テレビジョンさん」

「スポットライト・テレビジョンの見世と申します。犯罪対策連携協定を他の自治体と結びたいとの事でしたが、どういった分野で連携をしていく予定なのか教えてください。また、市民が犯罪に巻き込まれた場合、どのような措置を講じていくのか、お聞かせ願います」


 公約の協定に関して、さらに踏み込んだ質問をスポットライト・テレビジョンの見世記者が行う。見世記者は、わざと意地悪な質問を行うことで、望月明市長がどんな受け答えをするのか知りたいのだと思えてならなかった。


「はい。犯罪対策連携協定に関しては、主に情報収集の分野で連携を図っていこうと考えています。そして、市民が犯罪に巻き込まれた場合ですが、まず、生活保障。それから、心のケア。この両輪で市民を支えていきます」

「犯罪の加害者側である人間に対しては何も行わないということでしょうか?」

「軽犯罪はともかく、重犯罪のほとんどは犯罪組織に属する者たちの手によって行われています。したがって、有効な措置を講じることが難しいと言わざるを得ないのが現状です」

「ありがとうございます……」


 納得いかないようだったが、スポットライト・テレビジョンの見世はそれ以上の質問をしなかった。


「日国通信さん」

「日国通信の東と申します。現在、夜泣市が持っている民の盾の役割をこれから拡大させる可能性はどのくらいありますか?」


 望月明市長が聞き返す。


「質問の内容が抽象的過ぎてよくわからないので、例を挙げてくださいませんか?」

「例えば、犯罪対策連携協定によって他の自治体に民の盾の隊員を派遣する。あるいは、これまでのように犯罪組織からの防衛だけでなく、先制攻撃も行えるようになる。これらのような例が挙げられますが、どうでしょうか?」

「民の盾の基本的な責務は夜泣市民の防衛ですので、役割を拡大させるようなことはないと思っていただいて結構です。ただ、他の自治体に民の盾の隊員を派遣することが、結果的に夜泣市民を守ることに繋がるというのであれば、それは積極的に支持し、実行していこうという立場ではあります」


 日国通信の東記者は、それまでのどの記者よりも深くお辞儀をし、誰よりも丁寧に感謝の言葉を伝えるとゆっくりとした動作で椅子に腰かけた。


「犯罪対策連携協定以外のことで、質問がある方がいらっしゃいましたら挙手をしてください」


 司会の夜泣市職員が報道陣に向かって呼び掛ける。何人かの記者が手を挙げた。まだまだ、記者会見は続きそうだった。


 パーティーのような浮かれた雰囲気に未だ、事務所内は包まれていた。望月明後援会において、選挙ポスターの制作を担当していた戸口未来絵とぐちみきえは、外へとつながる扉を開ける。夜遅くまで営業している近くの食料品店で、缶コーヒーを買うためだった。


「飲み物を買いに行くの?それなら、俺たちの分も買ってきてよ。出来れば、お茶かコーヒーで」


 外出しようとする私に気づいた名刺づくり担当の百我求君ももがもときみが背後から声をかけてきた。私は、


「はいはい。全員分、買ってきますよ」


 と返してから、事務所の出入り口の扉を閉めた。歩く途中、冷たく吹く風にブルっと身体が震えた。寒い。早く温まりたい。そう思った私の足は、いつの間にか早足になっていた。

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