Reden ist Silber, Schweigen ist Gold


 昼の最も忙しい時間が過ぎ、午後二時を回る頃、住み込みの従業員の一人――パルツィさんという若い男性が、

「グレーテさん、お昼食べなよ。オクトーバー君はもう行ったから」

 とわたしに声を掛ける。向こうの方が年上なのに、さん付けして下さるとは……好印象。

 ブロックさんとは大違いだ。

 わたしは礼を言って、指示された通り厨房に入ると、

「グレーテル。言っていませんでしたが、14時から交代で昼食を頂くことになっています」

 アークさんが今更そう言った。いわゆる『賄い』だ。彼はもう済ませているようである。

 わたしは既に皿を空けていて口を一杯にしているブロックさんの隣に座る。カミヤさんが、わたしの前に丸パンと牛肉のサラダを置いた。レタスと玉ねぎと牛肉。爽やかな香りのソースがかけられている。これはカミヤさんが作った、ということだろうか。

「カミヤくんは……十分技能はあるのに……バイトのままでいいのかい……?」

 店長が皿を覗きながら言った。確かにレタスの配分、玉ねぎの切られ方、牛肉の火の通り具合、そしてソースの選出まで文句がない。中央でも高い水準であろう。対するカミヤさんは称賛に動じず、黙々と皿洗いをこなす。

「カミヤさん、お代わり!」

「ブロック、早く仕事に戻って下さい」

 アークさんがそう叱り、カミヤさんは特に反応リアクションしなかったため、ブロックさんは大人しく表に戻っていく。入れ替わりで、パルツィさんがやって来た。カミヤさんは同じように彼の前にパンとサラダを提供する。

「ああ、今日はカミヤさんでしたっけ。美味しそうだなあ、ありがとうございます」

 パルツィさんはいかにも好青年という喋り方で、ニコニコしながらカミヤさんを見る。カミヤさんはすぐ皿洗いに戻る――と思いきや、

「…………ありがとう」

 本当に小さい声で、そう言った。

 ……おや。

 ブロックさんにも店長にも返答がなかったカミヤさん。パルツィさんにだけ返事をした。

 心なし、顔が紅い。

 わたしはびっくりして、男性陣よりまず奥さんと顔を合わせる。奥さんは、悪戯っぽく笑うと、口の前に人差し指をピッと立てる。……何も言うな、ということのようだ。わたしは頷いて、賄いを消費する。いつも顔を隠している謎めいたカミヤさんの、可愛らしい一面を知って、更に親しみが増した。

 加えて、ブロックさんがその件でカミヤさんをからかったり笑ったりした時は、彼女の味方でいようと決意を固める。




     ☨




 わたしはパルツィさんを観察してみる。

 お客様に対する態度は本当に丁寧で、見習えるところがたくさんあった。例えば笑顔。例えば抑揚。例えば手際。女性のお客様に人気があるようだ。注文の際、わざわざブロックさんが通り過ぎるのを無視し、通りがかりのパルツィさんを呼び止める女性客がかなりいた。カミヤさんが陥落するのも頷ける話である。

 一方、ブロックさんも観察してみたが――無難の一言に尽きる。特に問題がある訳でもないが、取り上げる部分がない。まともにタスクをこなしているだけだ。昨日の清掃でも、無難に真面目に取り組んだのだろう。わたしはブロックさんではなくパルツィさんを見習うことにする。

 早速お客様が来店する。他の三人は何かやっていたので、わたしが担当することにした。

「本日はご来店ありがとうございます。こちらがメニューです」

 男性二人、女性一人。わたしは例外を警戒しながらも、例の通り、接客を――

「それで、どっちを選ぶんだ」

 男性の片方が、女性に言う。

 ――うん?

「できるだけ早く――返事が聞きたい」

 女性は俯きながら、「……まずは、料理を頼みませんか?」と返す。

 その言葉を受け、ようやくわたしはメニューをテーブルの上に置く。

 ……なぜわたしの担当は不測あんなの例外こんなのばかりなのだろう。

「注文が決まりましたらお呼び下さい」

 わたしはひとまず退散し、応援を頼むことにする。



「こ、困るよグレーテさん……僕に言われても」

 ブロックさんには頼りたくないしもう一人の住み込みの人とはまだ話したことがなかったので、消去法でパルツィさんのところへ。

「わたしも困っているんです。お願いします」

「うーん……」パルツィさんは頭をかき。「まあ、取り敢えず、様子を観察してみよう」

 わたしは彼についていく。



「お、おれとぉ……こ、こいつぅ……ど、どっちを選ぶんだよぉ」

 さっき話し始めた方の男性は、もう出来上がっていた。

 テーブルの上には、火酒ウィスキーの瓶。わたしは注文を取っていない。

 わたしたちは、ブロックさんを見る。元気な接客。……まあ、客が求めたものを断る飲食店というのもおかしいが。しかしどう考えてもこの状況はよくない。

 このまま果てしなく絡み酒を続けて、ひどいことになるだろうことは明らかだ。策があればいいが、と隣のパルツィさんを見る。

「無理だよ」

「そんな!」

「あのままなら酔っ払いの男は振られる。女の人は、もう一人を選ぶじゃないか」

「でも……そのもう片方の人、申し訳ないですが気が弱そうじゃないですか」わたしは酔っ払いの奥に座る男性に目を向ける。窓際にプレゼントと思われる花束を置いているが、先程から言葉を発することがない。「酔っ払いを選ばないことは確実だとしても、もう一人が選ばれるかどうか……このままでは、二人共選ばれないことになるかも知れません」

「うーん……じゃあこういうのはどうだろう」

「はい」

「僕が酔っ払いに注意する。そうすると酔っ払いがいきり立つ。僕が酔っ払いにやられそうになったところで、もう一人の方が僕を助けに来る、という筋書きだ」

「……あの人にそんなことができるとは思いません」わたしは正直な感想を言う。

「いや、あの人も自分をアピールしなければと焦っている筈だ。僕がそのタイミングを提供するんだよ」

「うーん……?」

 うまくいくのだろうか、それ。

 パルツィさんがやるというなら、補佐はさせて頂くが。




     ☨




「失礼しますお客様、あまり大声で叫ばれると周りの方々の迷惑になりますので……」

「あぁん?」

「ですから、大声で叫ばれると」

「うるせェ!」

 バキッ。

 あ、パルツィさんが殴られた。

 もう一人の方は助けに入らなかったようだ。チャンスを掴めなかったらしい。

 パルツィさんは殴られ損である。

 ……と思いきや。

 酔っ払いが殴るために席を立ったついでにお手洗いに向かうと、もう一人の男性はそっとパルツィさんの元へ駆け寄って、自分たちのテーブルの席に座らせた。パルツィさんの唇が切れていたので、自分の鞄から脱脂綿と消毒液、それから軟膏を取り出し、手早く処置をする。

「連れがすみません」

「止めに入れればよかったのですが……」

 そう言いながら。

 パルツィさんは大人しく手当てをされる。余程強かったのか、軽い脳震盪を起こしている可能性もある。完全に私が巻き込んだ所為である。

 さて、その様子を見ていた女性は。

「ねえ、もう出ましょう」

 と男性の肩をつんと突いた。

「え? でも、あいつが、まだ……」

「いいじゃないですか、あんな男」女性は笑い。「さ、行きましょう」と男性の手を取る。

 おお、これは。

(パルツィさんの)怪我の功名。

 お二人は、二人分だけ料金を払って、店を出ていく。



「何とかなったね」

 パルツィさんはふらふらする頭でそう言い、右の手の平をこちらに向けて胸の前に出す。何の合図だろう。わたしの頭を撫でようとでもしているのだろうか。それは、ご遠慮願いたいが。

 わたしがクエスチョンマークを頭の上に浮かべていると、「ハイファイヴ知らない?」と驚き、「こうするんだ、失礼」とわたしの右手を取って、掲げられていた彼の右手と、ぱん、と打ち合わせる。

「?」

 こうやって、手を打ち合わせるというのは解った。何の為かはよく解らないが――小気味よい感覚。

「じゃあ、もう一回」彼は再び、右手を出した。

 わたしは思い切り、手を打ちつける。

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