21


 シャワーを頂き、寝間着ネグリジェに着替え。

 翌日の朝、クローゼットの中から服を選ぶ。スカートだけでなくパンツも何着かあり、今まで着たことがなかったものの興味が湧いた――義姉ねえさまが着ていたようなサロペットを見つけたので、手に取ってみた。義姉様がパンツルックでいると『女らしくない』と周りからよく云われていたものだが、そんな下らない偏見バイアスに拘っているなんて現代人らしくない、というのが義姉様の云い分、というか口癖だ。今は家を出て、技術界のトップとして、常に『新しさ』を追求している。わたしが一番懐いていたのは義姉様だった、というか他の家族はわたしに冷たかった。そんな拠り所を思い出しながら、わたしはそれと、白いシャツをコーディネートして着替える。これが『新しい』わたし。

 わたしは一階に降りた。

「おお、いい選択ですね。動き回る仕事ですので、ズボンの方がいいでしょう」

 そういえば、仕事の内容について何も教わっていないことを思い出す。昨夜は結局、物価と税金の話で夜が更けてしまったのだ。わたしが尋ねると、

「もう出発時刻です。すぐに解りますよ――朝食は外でとりましょう」

 と、わたしを急かして家を出る。

 昨晩とは打って変わって、静かな街になっていた。

 まず人がいない。今は朝の八時。流石にそろそろ起きなければならないような時間だと思うが……ここではそうでもないのかも知れない。

 途中でチュロスを朝食として買って店の前で食べてから、わたしたちは街の端まで来た。どうやら仕事場は、『ラウドラ』内ではないらしい。わたしは黙ってついていく。

 アークさんは、手までは繋がないものの、いつもわたしを見ているようで、車道側は必ずアークさんだったり、前から自転車が来る度に注意を促したり、信号の点滅を見逃さなかったり、まあ過保護といえば過保護なのだった。とはいえ、かように優しくされるのは久し振りで、わたしはそれに甘えることにする。

「着きましたよ」

 アークさんは、突然足を止める。私も慌ててブレーキをかける。

 目の前にあるのは――巨きな建物。一、二、三……二十階程だろうか。見たところ、IT関連の企業が多く入っている――まあ、それはどこでもそうだが。

 この建物で、いったい何をしようというのか。

「あ、アークさん」

「行きますよグレーテル。今日は貴女の仕事初日なのですから、しっかりしなければ」

 そう云って自動ドアをくぐる。

「で、ですから」わたしは建物には入らず、入口ギリギリのところで彼のシャツを引っ張る。「し、仕事内容は何なのですか。わたし、恥ずかしながら技術の方にも明るくはなく……」

「掃除です」

「――え?」

「掃除ですよ。この建物の」

 ――この超高層建築物の?




     ☨




「Mさん、お子さんスか? スか?」

「…………」

「さあ、今日も始めましょう。グレーテル、まずは自己紹介を」

 いきなりどこかの部屋に入ったと思ったら、急に緑色の上着を被せられ、先に部屋にいた二人の人と出会う。片方は、成人前ティーンという感じの小柄な男性。もう片方は、緑の上着の中に着ている服のフードをずっと被りっぱなしの、髪の長い人。身長や体つきを見るに、恐らく女性だ。四人全員同じ上着であるところから、これが制服なのだと推測できる。

「じ、自己紹介……グレーテと申します。よろしくお願いします」

 わたしは取り敢えずそう云ってから、アークさんに状況説明を求める。

 そもそも、こんな大きい建物に、掃除用ロボットがいない訳がない。金を惜しんで人を雇っているのかも知れないが、むしろロボットを買ってしまった方が、長い目で見れば安くなるのでは。

「それは、追い追い話します。さあ、お二人も」アークさんは目の前の二人にも自己紹介を促した。

「っス! オレはオクトーバー・ブロックっス! 10月生まれだから10月オクトーバーって憶えてくれ!」

「……カミヤです」

 男性は軽く右手を上げ、女性は深く頭を下げる。

 そんな感じの、メンバーだった。



 この建物は二十一階建てで、上から七階ずつに分けてそれぞれ一人ずつが担当するそうだ。わたしとアークさんは、一番上から七階分、つまり十五階~二十一階だ。

「ではブロック、カミヤさん、始めましょう」

 時計の針が九時ぴったりを指すと、そうして仕事が始まった。まず四人全員でエレベータに乗る。カミヤさん以外は上着の他にお揃いの緑色の帽子も被った。七階で、カミヤさんが降りる。十四階で、ブロックさんが降りる。そして二十一階で、わたしたちが降りる。

 エレベータは丁度、建物の中心に据えられていて、左右等しい長さの廊下が続いている。

「まずは用具倉庫に行きますよ」

 アークさんはそう云って右側の廊下を進む。

「……これが、アークさんの仕事なのですか?」わたしは歩きながらそう尋ねる。「この会社、わざわざ、人を雇うなんて」

「建設費用が予定より高くつくようになったからだと、初日に云われました。最近建設法は厳しいですからね」アークさんは廊下の左右の壁を見ながら歩く。「お金がないから、雇用人数も三人という訳です。給料は、安くもなく、高くもなくといったところでしょうか」

 まあ今後の事業が成功すれば、何かあるでしょうねと云って、アークさんは久し振りにわたしを見た。……今まで壁をずっと見ていたのは何だったのか。何かを探していたのだろうか。それを訊いてみた。

「ああ、それも仕事の内ですよ」

「!?」

「壁に汚れや傷等があれば、それも直します。まあ子供の遊び場ではないので、滅多にありませんが。右端まで行ったら、反対側の端まで、廊下をずっと掃除していきますからね」

 そういうことだった。

 もう清掃は始まっていたようである。

「グレーテル、ここです。ここから用具を取り出します」

 そう云って薄暗い部屋を指差す。そこに入ると箒や掃除機、雑巾に洗濯機というように、いろいろなものが揃えられていた。アークさんは大きい掃除機(吸引力がやや強めのタイプ)を自分で持ち、わたしには白い雑巾とスプレー洗剤を渡した。

そして二人で、薄いゴム手袋を着ける。

「それぞれの部屋には、小型の掃除ロボットが配備されているそうです。なので私たちは廊下のみを掃除します。私はカーペットに掃除機をかけていますので、グレーテルは、各部屋のドアノブと、この階の全ての窓の拭き掃除をお願いします」

 この階の窓、とは、廊下の端の窓だけでなく、各部屋の扉の窓も含むのだろう。それぞれ違う形をしており、手間がかかりそうである。

「はい、諒解しました」

「それでは――始めましょう」

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