episode6

 伊集院の言葉に俺は一瞬言葉を失った。分かっていたこととはいえ、いきなり正面切って断言されるとは思わなかった。

「やっぱり俺が……柊さんを傷つけるようなことを」

 すると伊集院は大きく首を左右に振る。「そうじゃない。三澤くん、前に隼人に自分を見ろと言っただろ? きちんと自分と向き合え、と」

 俺はあの日のことを思い出し、不安げに頷く。伊集院はそんな俺に申し訳なさそうに笑みを浮かべ、「あの日以来、なにも見ようとしてこなかったアイツは君にそう言われてかなり動揺していた。アイツにそんなことを言う人間はいなかったからな。――あの時から、隼人にとって君は特別な存在になってしまったんだ」と告げた。

 俺は目を見開く。

 戸惑う俺に、「隼人は君を愛している」と伊集院は続けた。

「そ、んな。だって」

 伊集院は俺の言葉を遮る。

「隼人自身、どうしていいのか分からないんだ。自分を裏切った春菜を責め、春菜を信じることができない自分に苛立ち、そして春菜を死なせてしまったという自責じせきの念から自分だけ幸せになることもできず、アイツはこれまで生きてきた。その隼人の閉ざされた心の扉を君は開けた。――だが、君はまだ若い。それに将来もある。アイツは、自分が君の足枷あしかせになると考えた。なにより、君に病気のことを知られるのを恐れた。だから君から離れ、君を諦めようとした。けれど一度、開け放たれた扉はそう簡単に閉じることはできなかった。君への想いは日に日に強くなり、抑えきれない欲望のけ口として赤井さんや他の人間が選ばれた。矛盾しているが、君に嫌われるためにわざとやっている可能性もある。アイツは自分だけでなく他人も傷つけながら、少し前の君と同じように苦しんでいるんだ。迷惑な話ではあるがな」

 伊集院は長い溜め息をついた。そして疲れたように俺の斜め横のオットマンに腰を下ろした。

 俺は空のティーカップを見つめながら、「……どうして本当のことを言ってくれなかったんだ」と絞り出すような声で呟いた。いくら自分が傷ついているからといって他人を傷つけていいはずがない。

「君に、拒絶されるのが怖かったんだろう」

 伊集院がポツリと言った。

 確かに、伊集院から聞いた話は俺には到底計り知ることのできないもので戸惑いを覚えたのは事実だ。ここに来る前の俺ならば、柊のことを拒絶はしないとしてもれ物にさわるような態度を取ってしまったかもしれない。

 でも―― 

他人ひとを傷つけるのは、間違ってる」

 俺は絞り出すように呟いた。

「今ここで俺たちがとやかく言っても仕方のないことだ。それに、アイツだけが悪いわけでもない」

「けど……」

「彼らの問題だ。君が気に病む必要はない」

 伊集院がキッパリと言い切った。それでも納得できないでいる俺に伊集院は肩をすくめてみせた。

「君も青いねぇ。こういうのは、どっちが悪いとかいう話じゃないんだよ。お互い合意の上でのことなんだから」

 子供扱いされたことにムッとする俺に、「顔に出てるよ」と伊集院が苦笑した。

「君のトレードマークだね、それ」

 俺は両手で顔を乱暴にゴシゴシとこすりながら、「トレードマークって……嫌ですよ、そんなの」と伊集院に向かってぼやいた。

 これで何度めだ。さすがにこう何度も指摘されると、本気で心配になってくる。将来、検察官を目指す身として考えが顔に出るのはいかがなものか。

 唸り声を上げる俺に、伊集院がクスリと笑った。

「可愛いんだから気にすることないのに」

 まったくフォローになっていない。

「可愛くなくて結構です」

 むくれる俺に、「隼人もそこがいいって言ってたよ」と伊集院が言った。

「……いや、だからっ、嬉しくないですって」

「ははは」

 伊集院はおかしそうに笑ったあと穏やかな表情になり、

「隼人を頼む。君のできることをしてくれるだけでいい」

「……伊集院さん」

 俺はじっと伊集院を見つめた。

 堺もそうだがこの人も、どうしてこんなに他人に優しくなれるのか。自分だって苦しいはずなのに。

 そんな俺の心の内を読み取ったのか、「隼人がこの苦しみから解放されたその時、俺もまた解放される。だから、俺のことは心配しなくていい」と伊集院は言うと「月宮館まで送ろう」と立ち上がった。

「本当、ですね?」

 俺は念を押すように伊集院に尋ねた。伊集院は「ああ」と背中越しに答えた。

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