episode3

 静かな眼差しで俺を見つめる伊集院。その視線に居たたまれなくなり、俺は目をらした。

「ずっと、ずっと考えてきました。俺だって、ずっと! ――それでも分からない場合はどうすればいいんですか?! ずるいですよ! なんで俺ばっかり! 柊さんだって俺を避けたじゃないか! 俺は気持ちを伝えようとしたんだ。けど……あの人はっ」

 俺は髪を乱暴にかきむしり、うめきながら頭を抱えた。

 伊集院は柊を傷つけたくないと言ったが、では俺は傷ついてもいいというのか。俺のことは、どうなってもいいというのか。――あんまりだ。

「俺や隼人は関係ない。自分の気持ちに素直になればいいんだ」

 伊集院が静かに言った。

「自分の気持ちに……素直に」

 伊集院がうなずく。

「そう。他人ひとは関係ない。大切なのは、君自身がどうしたいのか。それだけだ」

「……俺は」

「君はどうしたいんだ?」

「俺は……」

 どうしたいのか。

 頭に浮かぶのはいつも同じ顔。いつだって柊のことを考えていた。講義の間も、部屋に独りでいる時も、秋山たちと飲んでいる時でさえも……ずっと、柊のことばかりを考えていた。柊がそばにいてくれたらと、いつも思っていた。

 以前のように、一緒に酒を交わし、他愛たあいもない話をしながら同じ時間を過ごしたい。あの優しい笑顔で俺に笑いかけてほしい。俺だけを、見ていてほしい。

 日に日に強欲なほどに成長していくこの気持ち。どうしたいかなんて、本当はもう俺は分かっていたはずだ――

「柊さんが……欲しいです」

 俺は絞り出すような声で、

「あの人の力になりたい。あの人の、すべてを知りたい」

 たとえ、それが柊の望まないことだとしても。自分勝手だと言われても。

 俺は柊のことを知りたい。理解したい。彼のすべてを受け入れたい。

「それが君の素直な気持ちか」

「はい」

貪欲どんよくだな」

 伊集院がクスリと笑った。

「そうですね。でも、溢れる気持ちはもう……押さえられません」

 俺は真正面から伊集院の視線を受けた。もう、目をらさない。

 今までどうしてあんなに悩んでいたのかと思うくらい、今は迷いもなくスッキリとしている。吹っ切れると人間は強くなると言うが、その通りだった。

 すると伊集院がいつもの人当たりのいい笑顔を浮かべ、「乗り越えられたみたいだな」と言った。

「……は?」

 俺は向かいに座る伊集院をまじまじと見つめる。

「まさか……伊集院さん、俺をめたんですか?」

 わざと俺を突き放すようなことを言ったのか。絶句する俺に伊集院は微笑し、「背中を押しただけだよ。これでも一応、精神科の看板を背負ってるからね。苦しんでいる人間を無責任に突き放したりはしないよ」と答えた。

 俺は、さっきの伊集院の言葉を思い出す。

「……これが、あなたのやり方ですか」

 責めるように睨む俺に伊集院は、「今から俺がしようとしていることは、医者として重大な違反を犯すだけでなく、アイツの信頼をも失くしかねない行為だ。生半可なまはんかな覚悟で聞いてもらいたくはない。それに、そんな脆弱ぜいじゃくな覚悟ではアイツを救うことなんてできやしない。だから、君にはきちんと答えを出してもらいたかった」と言うとスッと立ち上がった。

 と、その瞬間、壁時計が音楽をかなで始めた。俺は驚いて顔を上げると時計の針が三時を指していた。聞いたことのある曲。確か、〈追憶ついおく〉。

 哀愁漂あいしゅうただようメロディを聴きながら、俺は壁時計を見つめている伊集院の背中に向かって言葉を投げかけた。

「あなたが前に言った『覚悟』って、こういうことですか。信頼を失ったとしても救いたい。それが、あなたの覚悟。でも、あなたの望み通りいかないかもしれません。先に謝っておきます。俺は俺のできることをします」

「――それで十分だ」

 振り向くともせず、伊集院は言った。それに合わせるように、鐘の音が三度鳴り響く。まるで何かの終わりを告げるかのような厳かな鐘の音。

 俺は再び静かに時を刻み始めた壁時計を見上げ、そして同じように壁時計を見つめたまま身動きしない伊集院の背中を見据みすえた。

「聞かせてください」

 伊集院がゆっくりと俺の方に振り返った。 

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