三章 伝えられない気持ち

episode1

 あれから眠れないまま、どれだけの時間が経ったのか。俺はベッドから起き上がるとフラフラとした足取りでキッチンに向かう。腹が空いたのだ。こんな時でも腹が減る自分を浅ましく思いながら冷蔵庫を開けると、悲しいほどなにも入ってなかった。

 空っぽだ。

 ――俺みたいだ。

「なにもない」

 冷蔵庫の前に座り込み、ぼんやりと空っぽの冷蔵庫を眺める。

 なにしてるんだろ、俺。親に学費出してもらって、親戚から家も借りて、それなのに勉強もせずに……。なにしてるんだろ。今の俺を見たら両親は泣くだろうな。

「最悪な息子だ」

 自嘲気味じちょうぎみに笑った。

 ふと、紗織のことを思い出す。彼女に最後に言われた言葉。

 ――祐一はなにも見てないよね。私のことも。

 あの時、俺は彼女の言葉に傷つき、もう恋愛なんてりだと思った。

 でも今思えば、俺は紗織にきちんと向き合っていただろうか。柊が俺と真面目に向き合っていなかったことが悲しかったように、彼女も……傷ついていたのではないか。彼女はどれほど辛い気持ちであの言葉を俺に伝えたのだろう。そして、その気持ちに気付きもしなかった俺に、再び傷ついてはいなかっただろうか。

 考えると、胸が締め付けられるように苦しくなった。紗織の言うとおり、俺はなにも見えていなかった。なにも考えていなかった。自分のことばかり。自分のことしか、考えていなかった。高校の同級生たちも、紗織のように気づいたのだろう。俺がなにもない空っぽなことに。

 柊に自分の気持ちをぶつけた時、何故、俺は紗織のことを考えなかったのか。今頃、気づくなんて。

 ――馬鹿だ、俺は。

「……ごめんな、紗織」

 膝を抱えながら呟いた。

 自分の愚かさに絶望し、彼女の幸せを心から願った。

「この気持ちにケリをつけよう」

 俺は立ち上がる。

 まだ、柊に自分の気持ちを伝えていない。たとえ迷惑がられても気持ちを伝えることで前に進める。決めたから。変わろうって。伊集院は、こんな俺でも変わることはできると言ってくれた。だから――

 決心をして玄関に向かいドアを開けると、ちょうど柊の家に図書館で見たあの男子学生が入っていった。俺は咄嗟とっさにドアを閉める。そして、ドアに背を預けながらズルズルとその場にくずれ落ちた。

「な、んで」

 心臓がものすごい勢いで脈を打ち出す。息ができなくなるほど胸が苦しくなり、震える手で胸元を掴む。

 ――どうして。

 どうして、彼が柊の家に……。混乱する頭を抱え込み、嗚咽おえつらす。

 あれは、嘘だったのか。

 柊は俺に嘘を。俺は彼の嘘に――

「……最悪だ」

 惨めなあまり、顔をゆがめる。

 あの時、上の空だったのも彼が家に来ることになっていたからか。だったら――

「言ってくれれば、よかったのに……」

 そしたら、引き止めなかったのに。我慢したのに。

「も、う嫌だ」

 こんな思い、もう嫌だ。

 やっぱり関わり合うんじゃなかった。距離を置いた方がよかったんだ。……だって、期待してしまう。自分が、柊の近しい人間だと。

「あの人は、最初から距離を置いていたじゃないか。……本当に馬鹿だ、俺は」

 あの人が優しいから……勘ちがいしてしまった。

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