月宮館

haruka/杏

一章 月宮館へ

episode1

「ふぅ」

 最後のダンボールをリビングの床に置き、痛みを帯び始めていた腰を軽く叩きながら息をついた。十八畳のリビングにこれでもかとあふれ返った段ボール。これを一人で片付けるのか、と考えただけで頭がクラクラとしてきた。

 大学入学を機に引っ越すことになったのはいいが、トラックが渋滞にはまったため、予定時間を大幅に過ぎた頃に新居に到着した。

 結局、段ボールをすべて移し終えたのは午後七時を少し過ぎた頃だった。

 引っ越し業者の兄さん方は、荷物を運び終えるなりいそいそと帰っていった。明日も三件の引っ越しを抱えているらしい。今の時期は忙しいんだろうな、と思いながら彼らの乗ったトラックを見送った。

「隣に挨拶に行かなきゃ。……面倒だなぁ」

 人見知りの俺にとって一番の気がかりだった隣人への挨拶。母親に用意してもらった引っ越しの挨拶の品――中身は知らない――を持って重い足取りで隣の家のインターホンを鳴らした。

 ゴシック調の造りをした分譲マンション、月宮館つきみやかん。女性が好きそうな外観だな、というのが最初見た時の印象だった。

 親戚が海外赴任になり、破格はかくの家賃で四年間借してもらえることになったのだ。親の言葉を借りれば、親戚様々、と言ったところか。

「……留守、かな」

 応答がない。念のため、もう一度インターホンを鳴らしてみる。これで応答がなければ明日改めて来ることにしよう、と俺は腰に手を当て息をついた。

 ワンフロアに二世帯という贅沢ぜいたくな造りのこの月宮館。事前に情報を聞く前に親戚家族がカナダに渡ってしまったため、隣人がどんな人物なのかまったく分からない。そのことが、二番目の気がかりだった。

「いない、か」

 あきらめて自分の家に戻りかけた時、「はい」と気怠けだるそうな声がスピーカーから聞こえた。驚いた俺は、「あ、あの、隣の者ですが」と慌ててスピーカー越しに声をかけた。

 しまった、寝ていたのか。

 俺は思わず顔をしかめる。ドアが開き、中から長身の男が出てきた。

 綺麗な顔立ちをしている。フレームのない眼鏡をかけた男は眠たそうに栗色の前髪をかき上げながら、「なに?」と欠伸あくび交じりに聞いてきた。

「あ、すみません。あの、少しの間ですが隣に住むことになった三澤祐一みさわゆういちです。よろしくお願いします」

「少しって?」

 男が尋ねた。

「あ、の四年間です」

「ああ、新入生」

「はい」

「そう、俺は柊。柊隼人ひいらぎはやと、よろしく」

 面倒そうな態度から打って変わり、穏やかな笑顔で名乗る柊に、俺はホッと息をついた。

「お邪魔してすみませんでした」

 挨拶の品を手渡し、家に戻ろうとした俺に「君、可愛いね」と柊が言った。

「は?」

 思わず振り返る俺に、「言われない?」と柊。

「あの……」

 困惑する俺に柊は、くっくっと肩を揺らしながら笑い出した。その失礼な態度に、ムッとした俺は彼を無視して歩き出した。

「引っ越しの荷解き手伝おうか?」

 背中越しに柊が声をかけてきた。

「結構です!」

 俺は早足で家に駆け込む。ドアにもたれかかり、額に手を当てて息をつく。

 ――なんだあれ、最悪の隣人だ。

 これからの四年間のことを考えると頭が痛くなる。

「……近所付き合いなんて今までだってしてなかったんだ。――大丈夫」

 自分に言い聞かせるように呟いた。


 ――そうだよ、これからはひとりなんだから。

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