第13話 予定

 午後6時半。

 夕日が山に隠れ、天蓋の大部分が濃藍こあいに染まる頃。


「ただいま戻りました」

「おう、お帰り」


 グリーンハイツ107号室。

 大家の村雲むらくもの住まう部屋に、まだ零一れいいちは居候を続けていた。


 零一は手に提げていたレジ袋をテーブルに置き、中から冷凍食品を取り出しては冷蔵庫に詰めていく。


「そういえば、零一くんの202号室はもう復旧したと昼に連絡があった。家具の手配はできてるか?」

「PCは今日の19時以降に到着する予定です。ベッドやテーブルはまだ発送されてません」

「なら、生活できるまではここにいていいぞ。ベッドもないのに床に寝てちゃ、体が硬くなるからな」

「ありがとうございます」

「いいっていいって」


 二人が礼儀を交わす中、来訪を告げるチャイムの音が、ソファに座る村雲を立たせた。

 村雲はインターフォンに顔を寄せ、ドアの前に立つ存在とやり取りする。


「はい、村雲です……はい……ああ、それでしたら同居の者ですね」


 村雲が零一へ頭を回すと、玄関を指し示した。


「零一くん、頼んでいた荷物が来たらしい」

「ありがとうございます。荷ほどきもしたいので、少し外します」


 零一は玄関のドアを開け、荷物の運び手を確認した。


『ミチバシリ運輸です。本人証明の提出をお願いいたします』


 零一の腰ぐらいの高さをした運び手が、合成音声で同意を促した。

 四足歩行のロボットである。テーブル状の胴体の上には段ボールの荷物が載せられ、その荷物の四方からゴムでコーティングされたロボットアームがガッチリと荷物を固定している。


 零一の目の前に、拡張A現実Rの同意ウィンドウが展開された。

 利用規約が長々と綴られた箇所をスクロールし、最後に表示された同意ボタンを素早く押す。


 零一の脳内に埋めこまれたマイクロチップ「インプラント・サーキット」から、ミチバシリ運輸用にハッシュ化された個人識別番号が発信される。そのハッシュ値を受け取った運搬ロボットがデータベースサーバと接続し、照合し、本物trueと認証する。


『確認をいただきました。荷物を降ろす場所に指定はありますか?』

「202号室に運ぶ。ついて来い」


 零一は靴を履き、運搬ロボットを先導する。

 アパートの敷地を横切り、階段を上がり、202号室の鍵を電子キーで開ける。


 運搬ロボットは202号室の玄関をまたぎ、ロボットアームを動かして荷物を廊下に降ろした。


『ありがとうございました』


 合成音声の挨拶と同時に、役割を終えた運搬ロボットがトラックに戻っていく。

 その日常の景色を横目に、零一は荷物を持ってリビングに向かう。


 復旧が済んだばかりの、ピカピカのフローリング。そこに荷物を降ろし、梱包を破いて中身を取り出す。

 大きなタワー型PCである。火事で焼かれる前は5台もあったPCだが、経済的な都合で今回は1台しか頼めなかった。それでも、何もないよりは充分良い。


 手際よくPCの設置やコードの接続を済ませ、電源を付けて初期設定を進める。

 GUIで大まかな設定をし、サイバーセラー社のクラウドに退避させていたバックアップをダウンロードする。バックアップを展開。いくつかの機能を制限し、スケールダウンさせて動作を確認――。


「――おーい! そろそろ夕飯にするぞー!」


 202号室にわざわざ村雲が顔を出し、零一に告げる。


「分かりました。ありがとうございます」


 丁度ひと段落終えた零一が、PCをスリープ状態にして立ち上がる。

 二人は107号室に戻り、夕飯を終え、入浴を済まし、身支度を整え――。


「それじゃ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」


 お互いに就寝の挨拶をして、村雲は寝室に向かい、零一はリビングのソファを変形させてベッドにし、横になった。

 電気を消し、まぶたを閉じる。しばらく村雲が起き出さないか様子を伺って、零一が囁く。


Pragmaプラグマ、起動しろ」

『承知いたしました』


 脳内で合成音声が響き、閉じたまぶたに情報が投影されていく。

 傍目はためからすれば寝ているだけの状態。しかしその内側では、大量の情報が流れこんでいた。


 ヴェイン内の掲示板、広域shoutチャット、マーケット。それにヴェイン外のネットに漂う玉石混交の情報群。

 投げ出された腕の先で仮想キーボードをブラインドタッチし、情報を絞りこむ。


 絞るのは、Fact.leeファクトリーという名称と関連するデータ。

 おおやけには存在しないアイテム。噂に上る事も少ない存在の情報は、それだけでかなり絞りこめた。


 噂話や同音異義語を排除していき、それで収穫がなければ狩場を移す。

 匿名の衣を被ってディープウェブにも潜り、ただひたすらにFact.leeファクトリーを探る。


 藤守雷善ふじもりらいぜんはヴェインのゲーム内アイテムであるFact.leeファクトリーを使用し、現界蝕者ファルシフィエルになったと推測される。

 もしFact.leeファクトリーそのものを手に入れる事ができれば、そのアイテムの内容を分析する事で、現界蝕者ファルシフィエルである藤守雷善に繋がる何等かの情報を得られるかもしれない。もちろん、奴に対抗し得る武器も持てる事にはなるだろう。


 サーチエンジンに取りこまれる事のないディープウェブの中。裏取引のオークションに並ぶのは、詐欺で稼いだ電子ウォレットや死者の個人識別番号、殺害された人物から抜き出されたインプラント・サーキット等、閲覧するだけで不快な物品が目白押しである。


 その中。掃きだめの中に光る鶴羽色の項目が、零一のまぶたを揺さぶった。


 Fact.leeファクトリー


 出品されて3秒後に落札されている。だが、零一のPragmaプラグマが出品者の薄いセキュリティを破り、隠された情報を見つけ出す。

 情報によれば、出品者のヴェインの所有物インベントリには、Fact.leeファクトリーが存在している。アイテムの取引トレードはまだ終えていない。


 出品者の所有物インベントリから直接Fact.leeファクトリーを抜き出せるか調べてみたが、まだそのようなセキュリティホールは無さそうだった。

 零一は次善の策として、取引トレードに介入できないか、落札後のメッセージを窃視する。来週の日曜、日本時間で15時。ヴェイン上での新潟県新潟市中央区。現実世界ではとうに解体された、レインボータワーで待ち合わせとの事だった。


Pragmaプラグマ、この出品者の動向を監視しろ」

『了解しました』


 脳内で合成音声が響き、新品のPCに入れられたPragmaプラグマが動作する。

 Pragmaプラグマの動作に不備がない事をしばし検証し、処理速度が遅い程度の影響しかない事を把握した。

 それを以てPragmaプラグマの正常を確認し、接続を閉じようとして仮想のデスクトップに戻る。


 そのデスクトップに表示された、とあるアプリの残影を見て、零一ははたと思い至る。


「……Pragmaプラグマ田質でんしち高校のサーバに侵入経路がないか検証しろ」

『承知いたしました』


 その後、Pragmaプラグマと共にアプリの解析と改竄かいざんを進め、零一は深夜1時になるまで夜を更かす事になった。


     *   *   *


 翌日。田質高校。


 四限の現代文。教室の前面には夏目漱石の「こころ」の一文が表示されていた。


「――そして、『先生』がKに向かって『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』と言い放ちました。

 これは初めて発言したのではなく、元々はKが『先生』に対して非難したことへの意趣返し、いわば復讐であり……」


 零一たち1年2組の担任である女性教師が、「先生」とKに関する解説を切る。

 一時中断したのは、女子生徒が寝ている姿を見た為である。女性教師はその女子生徒に近寄り、音を立てて背中を叩いた。


「ほら! 勝手に寝ない!」

「ん? ああ……ごめーん、寝ちゃった」


 寝ぼけまなこをこすりながら女子生徒が返事し、女性教師が呆れて嘆息を漏らす。


「『寝ちゃった』じゃありません。

 何のために、あなたのご両親は学校に行かせてると思ってるんですか」


 その説教にカチンと来たのか、女子生徒が軽薄な態度を装って返答する。


「いやー、だって、就職のため? 中卒じゃ良い職に就けないっていうし。

 でも、インプラントがあれば、いつでも検索できる時代でしょ? 昔の小説学んだところで、その小説が役立つもんじゃないし。

 AIに任せればなんにでもなる時代、人間がベンキョーとか時代遅れだと思うなー」


 女子生徒の浅薄な物言いに、女性教師が声のトーンを落として叱責する。


「AIがあらゆる仕事ができる時代だからこそ、人間には勉強が必要なんですよ。

 あなたは、『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』が分かりますか?」

「えーっ? そんなの分かるわけないじゃん」

「『42』です」

「は?」


 突拍子のない問いと答えのセットを浴び、女子生徒が呆気に取られる。

 フリーズする女子生徒に対し、女性教師が苦笑した。


「これはとある小説のエピソードの一つです。

 その小説で作り上げられた、何にでも答えられる凄いAIに対して、『生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え』が何かと聞いて、そのAIは『42』と答えました」

「……そんな、めっちゃ複雑そうな質問の答えが『42』? そのAIバカなんじゃないの?」

「いいえ。そのAIの答えは正しいものとして、お話の中では扱われています。

 このお話から分かることとして――いくら頭の良いAIがあったとしても、それを利用する人が、そのAIへの命令や質問を理解しなければ、正しい答えが算出されたとしても、その答えを活用することはできません。

 自分自身が出す命令コマンドがどのようなものであるかを理解する――それが、このAI社会の中で人間が勉強する意味です」


 長文を流しこまれ、女子生徒は納得していない表情で空返事する。


「はーい。よくわかりましたー」

「……まあいいでしょう。

 とにかく、より良い仕事に就くにも、より良い勉強が必要なのです。

 医療用の診断AIや手術AIを使えるのは、医学の資格を持てる知識に精通した人材だけですから」


 女性教師はそれで話を切り上げて、教壇に戻る。


「でも、センセは現文担当じゃん。医学にちっとも関係ないしー」


 後ろの席の零一にも聞こえる独り言が響くと同時に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 起立。礼。女性教師が教室から出て行って、生徒たちはすぐに雑談の波を立てる。


 零一は席を立ち、クラスメイトの中から、見覚えのある男子生徒を見分けて近寄る。

 その男子生徒はスマート・リングスマリ全盛期の今時には珍しいタブレット端末を持っており、授業の際に開いていた大量の教材ウィンドウを閉じている所だった。


 零一が男子生徒に、自信なく話しかける。


「あの……やま、だったか?」

「ん? ああ! 零一くん。ボクに何か用?

 それと、ボクの名前のコトを言ってるんだったら、やまじゃなくてしまだよ。しまつくす!」


 男子生徒――しまが朗らかに返すと、零一は確証を得る為に疑問を投げる。


「訊きたい事があるんだが、学校の公式アプリってインストールしているか?」

「ああ! いいよ、確か零一くんはアプリをインストールしてないんだったっけね。じゃあ開くね――」


 しまがタブレット端末から田質高校の公式アプリを開いた。

 零一の目がすぼまり、アプリの起動時に表示されるスプラッシュスクリーンに注視する。


 起動時のほんの1秒程度。アプリのロゴと共に、画面右下に「1.3.7」と数字が表示される。

 アプリのバージョンを表す数字である。それが想定通りの数字である事に、零一は胸を撫で下ろした。


 昨日までの田質高校公式アプリは、クラッカーのFlareフレア-Sunbringerサンブリンガーが改竄し、不要な権限を持ち外部へデータを横流しする「トロイの木馬」であった。

 昨夜の零一は、夜更かしをしてアプリを無害化するように改竄した。

 改竄したアプリは、田質高校のサーバから盗んだアプリストア用の署名鍵を用いて正規のアプリとして完成させ、「1.3.7」のバージョンでアップロードしたのである。


 しまにアプリを立ち上げさせるだけで用事は終わったが、それだけで去るのも無礼だ。


「明日の時間割を見せて欲しいんだが……」

「そっか。それならこれが明日の時間割だよ。ホラ」


 零一は適当な依頼をでっち上げ、それを済ませてすぐに退散しようとする。


「ありがとう、助かった。それじゃ、また」

「ついでだから零一くん、ちょっと時間ある?」


 背を向けようとした零一の肩を叩き、今度はしまが喋りかける。

 零一は時計を一瞥いちべつし、うなずいた。


「ああ、時間はある」

「予定の確認したいんだけど、今度の土曜空いてる?」


 スケジュールの空隙くうげきを問われ、零一の頭の中で用事を思い浮かべる。

 土曜は午前に家具が配達される予定だ。そこから反転し、空いている時間帯を島に伝えた。


「土曜は、午後なら大丈夫だ」


 零一の返答を受けて、しまが顔を明るくする。


「それじゃあ、土曜の14時に学校前に集合で!」

「いや……待ってくれ。何の用事だ」


 このまま終わりそうな会話に、零一が割りこむ。


「ああ! そういえば言ってなかったね。

 零一くん、東京から転校してきて、まだそんなに経ってないだろ?

 それでさ、友達をつくるきっかけがてら、田質町の名所を巡ってみないかって思って。

 他にも色々とクラスの人たちに声をかけてるんだ。クラス全体の交流会にもしてみたいなって感じ」


 既に動いているプロジェクトである。スケジュールに支障もなく、このしまに別段の悪感情もない。

 零一は承諾の意思を示す。


「そうか。なら参加しよう。あまり楽しく話はできないかもしれないが……」

「大丈夫! 零一くんと仲の良い夜桜さんも来てくれるみたいだから!」

「いや、その……仲が良い、かは……」


 零一が曖昧に否定するも、しまが親指を立てる。


「いやー仲が良いって!

 夜桜さん、この話にあんまり乗り気じゃなかったんだけど、零一くんも誘う予定だって言ったら、OKしてくれたんだよ」

「……そう、なのか」

「そうだよ! じゃあ、土曜の14時に学校前で!」


 スケジュールと集合場所を再度通知し、しまがまた別の生徒に話しかけようとしている。


「なあ、今度の土曜――」


 その平穏な様子を横目に、零一は食堂に向かった。

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