第11話 タイムリミット

 Hatchetハチェットの絶望。


 敵であるPuppetパペット-Masterマスターは、彼女の想像を上回る一手を打ってきた。

 チートによって地下深くに設置された罠。それがHatchetハチェットの回避を失敗に終わらせ、こうして敵に無防備な姿を晒している。


 巨大な虹色のゴーレム――Oreikhalkosオレイカルコス Colossusコロッサスが、攻撃の予兆を表示する。

 Colossusコロッサスの前方直線範囲に、オレンジ色のエリアが表示された。

 そのエリアは、3秒後に攻撃判定が発生するエリア。


 当然、そのエリア内に、Hatchetハチェットが存在していた。

 今は電痺罠スタントラップを踏んだ為、麻痺の状態異常にかかっている。

 回避不能な、即死確定の攻撃。


 絶望に目を力強く閉ざし、Hatchetハチェットが己の運命を拒絶する。


「いや……!」

「さあ、どうやらおしまいのようですね!」


 Colossusコロッサスに乗り移ったPuppetパペット-Masterマスターが、とどめを刺そうとスキルを実行する。


「ランドストライク!」


 レイドボス、Colossusコロッサスによる強攻撃。

 そのスキルの名前を叫びながら、Puppetパペット-Masterマスターがスキルを実行した。

 そして――Hatchetハチェットの閉ざされた目に、光が刺す。


「――ッ!」


 その光を攻撃の光だと思い、Hatchetハチェットの心臓が跳ねる。

 だが、光と共に響く効果音は、衝撃音ではなく、鈴が鳴るような祝福の音。


「……何ですか、コレは!?」


 Puppetパペット-Masterマスターが動転する。宣言したランドストライクが実行されず、謎のスキルに換わったからだ。

 Hatchetハチェットには聞きなれた、祝福の音。何度も自分が使用した、クラス:吟遊詩人バードの上級支援スキル。


「これは……光君祝鎧バルドルバール!」


 使用対象に短期間の無敵バフを付与する。

 使用対象は、ランドストライクの実行相手であったHatchetハチェットにすり替わり、彼女の頭上にはバフを表す緑の上矢印のエフェクトが付与された。


「ど、どういう事ですか!?」


 なおも困惑するPuppetパペット-Masterマスターに、更なる事実が突きつけられる。


『チートを検出しました。実行不可能なスキルが実行されました。マインド・ヴェイン利用規約第14条の禁止事項:チート・不正行為に該当する行動です。アカウントの凍結が実行されます。詳細はログアウト後にメールにて通知を――』


 Puppetパペット-Masterマスターの周囲に自動アナウンスが響き渡り、彼が怨嗟の目をHatchetハチェットに向ける。


「アナタは、どうしてこれを――!」

「……決まってるじゃない」


 これまでの絶望から一転、勝利を確信したHatchetハチェットが、心からの不敵な笑顔で応えた。


「このわたしこそ、Zilchジルチ-Zillionジリオンをも上回る天才ハッカーだからよ」

「お……お見事――!」


 最後まで、実力ある者への敬意を持ちながら――。

 Puppetパペット-Masterマスター本体のアバターと、彼が操っていたColossusコロッサスが、強制ログアウトで瞬時に消え去る。


 ようやく敵が消え去り、張り詰めていた緊張の糸が切れる。

 湧いて出る安堵から、Hatchetハチェットはその場に座りこんだ。


「こ……怖かったー!」


 素直な気持ちを吐き出し、Hatchetハチェットは仮想空間の校庭に仰向けに寝転がる。


「――大丈夫か!?」


 屋上から降りてきたSearchサーチ-Matonマトンが、倒れたHatchetハチェットに駆け寄ってくる。

 心配そうな表情を浮かべるMatonマトンに、Hatchetハチェットが親指を立てた。


「あなたのお陰よ。予定より早くハッキングしてくれたみたいね」

「予定時間は、多くの場合は最悪を想定して設定された時間だからな。……かなり間一髪だったが」


 Matonマトンは、校庭に寝そべるHatchetハチェットに手を伸ばす。

 Hatchetハチェットはその手を取り、起き上がる。


 Matonマトンと同じ高さの目線で見つめ合い、彼女は微笑みかけた。


「それにしても、本当にスキルの強制使用が通るなんて思わなかったわ」

「ああ。恐らく、主人マスターからbotボットへのスキル使用の実行命令の通信を、一方通行ではなく双方向に許可したのが原因だろう。怠慢だな」


 危機が去り、共闘していた二人が気を許して話し合う。


 Puppetパペット-Masterマスターが、何故強制ログアウトされたのか。

 それは、Matonマトンによって強制的に使わされたスキル――光君祝鎧バルドルバールが原因である。


 クラス:トリックスターは、当然ながら他クラスの専用スキルは使えない。

 それをMatonマトンからのハッキングにより、別クラスである吟遊詩人バードの専用スキルを強制的に使用された。


 他クラスのスキルを使用する単純なチート。

 回避策も防御策も講じず、無防備な状態でチートを使用すればどうなるか。


 Puppetパペット-Masterマスターは、自身のゲームクライアントに導入されているチート検出プログラムに引っかかり、自動BANと相成った。


 脅威が去り、MatonマトンHatchetハチェットの口約束を引用する。


「――これで、になったな」


 安堵した空気から、緊張感のある空気に切り替わる。


「……Fact.leeファクトリーの話を聞きたいんでしょう?」

「ああ。Fact.leeファクトリーの使用者について。

 使用した者は、仮想世界ヴェインから現実世界に、スキルの影響を及ぼす事ができる……そう俺は見立てている」


 Matonマトンの推測を、Hatchetハチェットが肯定する。


「ええ、そうよ。

 Fact.leeファクトリーを使用した人は、ヴェイン上のスキルの効果を現実世界にも反映できる。

 Fact.leeファクトリーの使用者であり、現実世界にスキルを持ちこめる者――これを、現界蝕者ファルシフィエルと呼んでいるわ」


 現界蝕者ファルシフィエル

 Flareフレア-Sunbringerサンブリンガーも、Cherryチェリー-Hatchetハチェットも――そして、藤守雷善ふじもりらいぜんもカテゴライズされる、異能力者のラベル。


 Matonマトンの推測を確定させたHatchetハチェットは、更に真実を付け加える。


「その現界蝕者ファルシフィエルが使用したスキルの全てが、現実に作用させる訳ではない――そうだろう?」


 Matonマトンからの指摘に、Hatchetハチェットが頷いた。


「そう。現界蝕者ファルシフィエルのスキルが全て現実化するのなら、わたしは一生対人戦PvPなんてしないでしょうね」

「……現実化に必要な条件は何だ?」


 逸るMatonマトンを抑えるように、Hatchetハチェットは人差し指を彼の唇に当てる。


「なっ――」

「……言葉で説明するよりも、実際に見せた方がいいわよね。

 チーターを撃退してくれたお礼に、あなたにスキルをかけてあげる」


 Hatchetハチェットの指が離れ、体が離れ、彼女がすう、と息を吸う。

 息と共に吐き出されるのは、おごそかな詠唱。


「――闇に差せ光芒。励起せよ命脈の熱。汝の瞑目めいもく方今ほうこんあらず――大聖歌セイント・チャント!」


 Hatchetハチェットがスキルの名を唱えると共に、白く燦然とした光がMatonマトンを包む。


「……これは……」


 Matonマトンの口から感嘆の声が上がり、自分自身の体を見回す。

 大聖歌セイント・チャント。クラス:吟遊詩人バードの上級回復スキル。対象のHPを全回復する。


 MatonマトンのHPはスキルを使用する前から全快状態である。システムの上では無意味なスキルの行使だったが、それだけでMatonマトンが理解した。


「ただの回復スキルではない。……現実世界の、俺自身にも作用している」

「そう。これが、現界蝕者ファルシフィエルの力。

 詠唱する事。

 使用クラスが現界蝕者ファルシフィエル化した時と同じクラスである事。

 使用先の対象がプレイヤーキャラクターである事――。

 この三つの条件を満たす事で、対象のプレイヤーに、現実世界でもスキルの効果が及ぶようになる。

 詠唱しなかったり、わたしが吟遊詩人バード以外のクラスのスキルを使用したり、対象がプレイヤーでないオブジェクトだったりした時は、現実化の効果は不発になるの」


 Hatchetハチェットによる詳細な補足を聞き、Matonマトンは目を閉じ、何かを思い返していた。


「……なるほど。得心が行った。

 ありがとう、Hatchetハチェット。お陰で、俺の目的に一つ指針ができた」

「えっ!? あ……うん、どういたしまして」


 Matonマトンから感謝の言葉を受け、驚いたHatchetハチェットが目をしばたたかせた。

 Hatchetハチェットの態度を測りかねたMatonマトンが、その真意をただす。


「……何か、失礼な事でも言ったか?」

「いや……失礼なのは、どっちかっていうとわたしの方かな」


 首をひねるMatonマトンに、Hatchetハチェットが本心を明かす。


「……わたしね、チーターとかハッカーとか、そういう人たちは規約違反する悪い人たちだけかと思った。

 けど、あなたと会って、認識が変わったわ」


 Hatchetハチェットが、曖昧に微笑んだ。


「他人の事って属性で見がちだけど、その中にはあなたみたいに、誰かを助けたり……ちゃんと感謝できる人がいるのね。

 でも、だからこそ、そんなあなたが規約違反のハッキングなんてするのが不思議に思えるわ」


 Hatchetハチェットの疑問に、Matonマトンの雰囲気が変わる。

 一瞬だけ棘のように鋭く目が窄み、すぐに理性でほぐされる。


 努めて冷静な声色で、Matonマトンが口を開いた。


「……事情がある。

 俺自身としても、こんな手段を取るのは愚かしいとは思っている。それでも……俺には、止まる事のできない目的があるんだ」


 沈痛な面持ちのMatonマトンに、Hatchetハチェットが少し表情を濁らせた。


「まあ、会ったばかりの他人に語れるものじゃない、ってことね。

 分かったわ。それなら、わたしは何も訊かない」

「……助かる」


 Matonマトンがシステムウィンドウから時計を表示する。

 ウィンドウに浮かぶ「12:26」の白文字。ヴェイン運営の自動サーチの定期実行、1分前。


 Matonマトンが、Hatchetハチェットに手を振った。


「俺の体は、botボットを乗っ取ったものだ。そろそろ俺はBANされる。

 Fact.leeファクトリーと……現界蝕者ファルシフィエルについて話をしてくれた事、感謝する」

「助けられたのはわたしの方よ。こっちこそ、ありがとうね」


 HatchetハチェットMatonマトンに手を振り返す。


 システムウィンドウの時計が、ジリジリと時を刻む。

 その中で、心配げに眉を下げ、Hatchetハチェットが声をかけた。


「あなた……現界蝕者ファルシフィエルになろうと思ってる?」


 その声を受けたMatonマトンは、首を振る。


「いや。俺は現界蝕者ファルシフィエルの人間を追っているだけだ」

「そっか。なら、良かった」


 Hatchetハチェットは、過去から来る思いを隠し、明るさを保って別れに臨む。


「あなたみたいな人には、現界蝕者ファルシフィエルにはなって欲しくないのよ」

「……それは――」


 疑問符を浮かべたまま――。

 Matonマトンが彼女に手を伸ばした瞬間、彼の姿が宙に掻き消える。


 システムウィンドウに映った「12:27」の残滓が、Hatchetハチェットの目に焼き付いた。


     *   *   *


 Searchサーチ-MatonマトンがBANされ、意識がヴェインから強制的に排出された。

 通常のログアウトよりも強引な覚醒。罰のような痛みが脳髄に走り、Searchサーチ-Matonマトン/遊木ゆうき零一れいいちが痛みを払うように頭を振る。


「……Hatchetハチェットの……最後の言葉は何だ?」


 ――あなたみたいな人には、現界蝕者ファルシフィエルにはなって欲しくないのよ。


 慈悲深い警告。

 今まで提示された情報の上では、現界蝕者ファルシフィエルはヴェインのスキルを現実化する能力を持つ。それだけだ。

 それ以上の何があるのか――しかし、それを問い質す機会はとうに無い。


 現実世界の屋上に立ち、零一の眼前には給水塔のコントロールパネルが設置されている。

 ――ヒビの一つも見受けられない、新品同然のコントロールパネルである。


「…………」


 ログインする前は、傷哮マンドラコールで破損していた物体。

 それが、Searchサーチ-Matonマトンにかけられた大聖歌セイント・チャントの詠唱によって、修復されたのだろう。


現界蝕者ファルシフィエル。異能力者は……実在する」


 傷一つないコントロールパネルを撫で、零一が囁く。

 今はその情報だけでいい。

 その情報がある事で、自分の正気が保証される。


 屋上でしばし立ち尽くした後、沈黙を裂くのは一つの異音。


 ……ぐう。


 腹の音だった。

 気づく。昼休みも30分過ぎた頃であるが、昼ご飯を食べていない。


 一気に現実に引き戻された。流石に空腹のまま午後の授業を過ごすのは、体調に支障がある。

 零一の顔がハッカーから男子高校生のものへと切り替わり、時間に迫られて屋上を抜けた。


「あと20分……間に合うのか……?」


 早足で階段を降り、食堂へ向かう。

 既に食事を終えた生徒たちとすれ違う中、零一は空腹を抱えて食堂のドアをくぐった。


 注文のピークを終えた食堂のカウンターには、一人だけ女子生徒が立っている。


「はいよ。注文のサンドイッチね」

「ありがとうございます。いただきます」


 夜桜がお礼を言ってサンドイッチを受け取る様子が、零一の視界に入る。

 知人と遭遇した。挨拶をした方が良いかと逡巡する間に、夜桜の目が零一に向けられた。


「あ……! 遊木ゆうきさん」

「あ……その、夜桜よざくら、さん」


 サンドイッチを受け取った夜桜に、零一は会話を試みた。


「食堂……サンドイッチ、メニューにあるのか」

「うん……わたし、ちょっと友達と話しこんじゃって、まだお昼ご飯食べてないの。

 だから、お昼は軽く済ませようかなって」


 零一が食堂のカウンターに近寄り、夜桜の世間話に合わせる。


「俺も少し用事があって、まだ食べてなかったんだ。

 確かに軽いものがいいな。昼休みが終わるのもあと少しだから」


 零一はタッチパネルの上で「サンドイッチ」のボタンを押そうとした後、逡巡の一瞬を挟み、その隣にある「おにぎり」のボタンを押した。

 電子決済を終え、食堂のお婆ちゃんがラップで包まれたおにぎりを持ってきて、零一はそれを受け取った。


 その様子に、くすりと夜桜が笑う。


「もしかして、一緒のにしようと思った?」

「え? まあ……そうだな。

 一緒にしようかと思ったが……友人でもない人間が、一緒のものを頼むのは……夜桜さんから見て、気味が悪いかと思って」


 頬を掻き、面映ゆそうに零一が目線を外す。

 夜桜は、零一との距離をせばめ、解きほぐすように笑顔を見せた。


「思わないよ」

「え……」

「別にね、遊木さんがわたしと一緒のサンドイッチを頼んでも、気味が悪いなんて思ったりしないよ。

 大丈夫。わたし、遊木さんのこと、嫌いじゃないから」

「……その、ありがとう」


 互いに頬に赤が差しこみ、夜桜と零一の視線が絡む。

 そして、夜桜と零一が、同じタイミングで口を開いた


「あの――」「あの――」


 絞り出した言葉も、一瞬だけ一緒だった。

 言葉がかぶさり、零一は続きの言葉を切る。


「……いや。ごめん。何でもない

 その……また後で」


 そう言って、零一が食堂から出ていった。


 食堂に残る夜桜は、その零一の背中を視線で追いかける。


「……一緒に、食べようかと思ったけど」


 互いに勇気を持てず、夜桜はサンドイッチに目を落とす。

 その提案はできなくとも、夜桜の頬には笑みが浮かんでいた。


     *   *   *


 夜9時前。

 Vヴェインアイドルとしての生配信を直前に控え、夜桜は精神の安定を図る為にベッドの上で目を閉じていた。


 目を閉じて思い浮かぶのは、今日の出来事。


「今日は……色々あったな」


 独り言をこぼし、夜桜の頭に一つの事象が思い浮かぶ。


 現界蝕者ファルシフィエル

 昼休みに会ったハッカー、Searchサーチ-Matonマトンに教えた概念。


 ヴェインのスキルを現実化させる異能力者。だが、それだけではない。


「良い人には、現界蝕者ファルシフィエルになんかなって欲しくない」


 Searchサーチ-Matonマトンにしても、もちろん遊木零一に対してもそうだ。


「ヴェインで死んだら――現実世界でも死んじゃうんだから」


 そう。

 ヴェインでHPが0になる。平たく言えば戦闘不能状態になってから3分間、蘇生されずに放置された場合――現界蝕者ファルシフィエルは現実でも死に至る。


 それが、Searchサーチ-Matonマトンにも教えなかった事実。

 夜桜は現界蝕者ファルシフィエルである。その死亡条件を他人に教える事は、自分の急所を明かす事だ。

 彼は悪人ではない。それでも、そこまでの信頼関係を築けていない。


 目を開く。

 配信の開始時刻まで5分前。そろそろ準備をする頃合いだ。


 夜桜はベッドから起き上がり、ヴェインに突入する準備をする。

 当然、ヴェイン内での活動は、戦闘不能に陥る危険性がある。


 それでも、彼女はVヴェインアイドルとしての活動を止めない。


「……わたしには、力があるんだから」


 現界蝕者ファルシフィエルとして、他者の傷病を癒やす力。

 ヴェインだけではなく、現実世界の肉体をも回復させる特権。


 その力を持っているからこそ、自分はヴェインで、他の為に献身しなければならない。


 それは過去の、決して晴らす事のできない後悔の為に。


「オープン・ザ・ヴェイン」


 夜桜はCherryチェリー-Hatchetハチェットのアバターを着て、己の心を殺しに行った。

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