第5話 バック・ファイア

『…………』


 沈黙し、屋上に転がるZi1chのアバター。

 火に焼かれ、倒れ伏し、白煙を上げるZi1chを、Flareフレアが罵る。


「……所詮はガキか。バカバカしい」


 自分と同程度のクラッカーだと評した事を、Flareフレアは後悔した。

 一度でも讃えた相手が、ただ無策に逃げ惑い、小癪な時間稼ぎをし、挙句の果てに攻撃を食らって屋上に転がる。


 全くもって、腹が立つ。


、猿真似ヤロウ。それがオマエの猿知恵かよ」

『…………』


 狸寝入りが通じないと分かり、Zi1chが諦めて立ち上がる。


 そう。Zi1chは死んだふりをしていただけで、実際は生きている。

 威力を不正に引き上げた閃迅炎刃ブレイズ・ブレイドを受けてなお、戦闘不能に陥らなかった。


 その理由は、Flareフレアが一番分かっていた。


「オマエ、オレの無敵化チートをコピーしやがったな?」

『……ああ』


 Zi1chが、緊張に目を細める。

 それが、Zilchの一つの策だった。


 チート解析の時間稼ぎ。

 相手の攻撃を凌ぎ切るに際して、手っ取り早いのは自身も無敵化チートで固める事。


 チートをコピーする技術自体は、完全解析よりも程度は低い。

 Flareフレア世界崩壊ワールド・ブレイクの穴に落とした時の、時間稼ぎの合間。

 その時間に、無敵化チートのコピーは完了できていた。


 しかし、それはFlareフレアを倒す直接の手段にはならない。

 Zi1chは、Flareフレアから逃げ回る事で、自分が無敵化チートをコピーした事を悟らせないようにし、この無敵化チートの解析と攻略に時間を割いていたのだが――。


「だが残念、時間切れだ。

 オマエも分かるだろ? オレはその無敵化チートの制作者なんだよ。

 それを剥がす方法ぐらい、オレはよーく知っているとも」


 Flareフレアの手が光る。


『くっ……!』


 Zi1chのアバターから輝く粒子が放出され、消えていく。Zi1chの無敵化チートが解除されていく。

 全ての無敵化チートを剥がされて、Zi1chのデータが無防備になる。


 そしてFlareフレアが詠うのは、Zi1chに向けての鎮魂歌レクイエム


「原初の釜、煮え立つは万象」

世界ワールド――!』


 Zi1chが、最後の足掻きを叫ぼうとして、


「断ち錐穿て、閃迅炎刃ブレイズ・ブレイド


 Flareフレアの放った火炎が、意思を塗り潰す。


     *   *   *


 HP:0。

 戦闘不能。

 無慈悲な現実が、数値として現れる。


「……フン」


 今度こそ終わったと確信して、FlareフレアがZi1chの死体アバターを見下げた。


「これが人一人を殺した感覚か……随分とあっけないモンだなぁ」


 指をコキリと鳴らし、FlareフレアがZi1chを踏みつける。


 Flareフレアの見立てならば、これで明日のニュースは決まりだ。


 青年変死。

 謎の人体炎上。

 オカルトの連中が大きく騒ぐ事だろう。


「つまらない末路だが、オマエはオレの最初の贄だ。名前くらいは憶えておいてやるよ」


 FlareフレアがZi1chの公開データをウィンドウで開き、名前の欄を指でなぞる。

 その名、


「Zi1ch-Zi11ion……ああ、あのヒーロー気取りのクソガキか」


 名前の響きに覚えのあるFlareフレアが、その名のトリックに気づかず読み下す。


「チートのコピー」という複雑な罠を経て、単純な罠がFlareフレアの油断を引き起こした。

 罠の名前は、「偽物」である。


「小文字のl」を単に「数字の1」に置き換えただけの、Zilchジルチ-Zillionジリオンの偽物の名前。

 その名前を持つアバターは、ZilchジルチのサポートシステムであるPragmaプラグマによって操作されていた。


 それが、Functionファンクション:Doppelgängerデルタの実行内容。

 本物のZilchジルチ-Zillionジリオンと同じキャラクターモデル、衣装を持ち、Zilchジルチの言動を模倣する傀儡かいらいを、Pragmaプラグマは演じていたのだ。


 本物のZilchジルチは――跳空エアステアで飛び上がった上空100メートルで制止し、Flareフレアの無敵化チートの全解除処理を走らせていた。


「……お前のチートが十重二十重とえはたえなら、俺も十重二十重とえはたえに策を講じている」


 Pragmaプラグマの逃亡の失敗も、Pragmaプラグマにコピーした無敵化チートの即時解除も、全ては計算の上。


 それでも、Pragmaプラグマに無敵化チートを着せたのは、チート解除プログラムを手に入れる為だ。

 FlareフレアPragmaプラグマの無敵化チートを解除したその時。

 無敵化チートの解除アルゴリズムそのものをコピーする事で、Flareフレア自身の無敵化チートを解除する手段をそのまま得られる。


 Zilchジルチの仮想キーボードが、最後のエンターを響かせた。

 Flareフレアの無敵化チートは全て解かれ、響くのは遥か上空からのプレゼント。


「――絶対零度アブソリュート・ゼロ!」

「……あ?」


 それが、敗北の一言。

 Flareフレアの四肢は上空から打ち出された氷の槍に貫かれ、屋上ではりつけとなる。


「ギぁアアァァァッ!?」

「……っ」


 跳空エアステアを解除し、屋上に降り立つZilchジルチ

 HP:0。戦闘不能状態となり、無力化されたFlareフレア


 ZilchジルチFlareフレアに問うのは、未だ不明なアイテムの存在。


「――Fact.leeファクトリーとは、何だ?」


 Flareフレアが猫耳の少女から奪って使用した、謎のレアアイテム。

 それは一体何なのか? そして、それを使用すれば何が起こるのか?


 無知の第三者であるZilchジルチに対し、Flareフレアが吐いて捨てた。


「オマエがVRゆめから覚めれば……分かるだろうよ……」


 言って、Flareフレアの意識が落ちる。

 プレイヤーの意識途絶を感知して、Flareフレアのアバターは空中へと掻き消える。

 ログアウトの処理動作だった。


「…………」


 架空の屋上で、Zilchジルチはしばし立ち尽くす。


 ――Fact.leeファクトリーとは、何か。

 Flareフレアほどのクラッカーが求めたアイテム。

 その正体、その効用。何もかもが分からない。


 だが、余韻にふけるほどの時間はない。


「……!」


 デベロッパーマップに、一人のプレイヤーが浮き上がる。

 そのプレイヤーが、Zilchジルチのいる屋上へと接近している事を察知した。


 この田質町というマップに、己が出現している事を広く知られる事は避けたい。

 過疎エリアへの出没は、Zilchジルチがそのエリアに由縁があると推測されるからだ。


 自身の所在がバレてしまえば、仇である藤守雷善ふじもりらいぜんへの接触が困難になる。


「……クローズ・ザ・ヴェイン」


 Zilchジルチはログアウトの命令文を紡ぎ、光に包まれヴェインからログアウトした。


     *   *   *


「――誰が……一体……!」


 少女のアバターが、屋上への階段を駆け上がる。

 同級生を苦しめた正体。その理由を知りたい。


 少女は屋上への扉を開け放ち、状況を把握した。


「……いない」


 既に誰の影もない屋上を見回し、少女がつぶやく。


 先程まで起こっていた戦闘の通知は屋上を示していたが、とうに全ては終わっていた。

 それは、自分がやるべき事が、何もない事を表している。


「…………」


 全てが終わった中で、彼女は拳を握りしめる。

 電子の風が、桜のモチーフを散りばめたドレスを揺らした。


     *   *   *


「……ん」


 零一の目が覚める。

 彼は保健室のベッドで寝転び、白い天井を見上げていた。


 零一れいいち/Zilchジルチは帰還した。現実世界の空間に。


「…………」


 ベッドの上で、保健室内の気配を探る。

 誰もいない事を確認して、零一は保健室から抜け出た。


 廊下を渡り、1年2組へと戻り、教室の中に入る。


 1年2組の生徒と、野次馬の生徒でごった返す教室内。

 人だかりの中心で、女子生徒が大きな声で泣いていた。

 それと、その女子生徒の友人らしき女子もまた、彼女を抱きしめて泣いている。


 ヴェインでの被害から現実へと逃げ帰り、二人は抱き合いながら言葉を交わす。


「――怖かった! めっちゃ怖かった!」

「わたしも怖かったんだから! 離れてる間に襲われたなんて、真凛と一緒にいれば良かった!」


 涙を流す女子生徒2人に、教室へ駆けつけていた養護教諭がたしなめる。


「そ、そうね。プレイヤー・キラーに襲われてたのね。

 でも大丈夫よ、ここ現実だから」

「ホント怖かったんだよー!」


 平和を取り戻した喧騒に、零一が安堵のため息を吐いた。

 少なくとも、Flareフレアが残した不穏な言葉は、同級生の人命を落とすようなものではなかったのだ。


「――あ、遊木ゆうきさん」


 零一の隣の席にいた、小動物のような女子生徒――夜桜よざくらが、彼の姿を認めて近寄ってきた。


「保健室の先生を呼んでくれて、ありがとう」


 夜桜が、小さく感謝の言葉を囁いた。


「え……?」


 虚を突かれた声を出し、零一がはたと思い出す。


 Flareフレアとの戦闘のせいで、自分が直前にどんな行動を取ったのか、すっかり忘れてしまっていた。

 痙攣する女子生徒を前にして、すぐに自分が養護教諭を呼びに行った。

 夜桜が言っているのは、その事への感謝らしい。


 感謝を受けた零一は、不思議そうな顔で返す。


「別に、夜桜さんから感謝されるような事はしていない」


 零一の返答に、夜桜が首を振る。


「……わたし、あの時パニックになっちゃって、先生を呼びに行くって事を忘れてたから。

 すぐに行動できた遊木さんは……凄いと思う」


 夜桜が微笑みかけ、零一をまっすぐに褒めた。


「そ……そう、か」


 零一は真正面からの感謝を受け、むず痒い恥ずかしさで歯切れの悪い返事をする。


 夜桜は零一に顔を向ける。

 見上げる視線は、純粋な輝き。


「あの女子2人は、ヴェインから無事に帰ってきてくれた。

 椅子から倒れた女子も、一応先生が怪我とか診てくれたけど、特に異常はないみたい」

「……それは、良かった」


 自然、零一の頬に微笑が灯る。

 そうだ。この事件はこれで終わりで、何も問題はない。


 零一は自分の鞄を取り出し、帰宅の準備をする。


「……帰るの?」

「ああ。別に、俺がこれ以上いる理由もない」


 夜桜はその言葉を受け、零一に手を振った。


「そっか……じゃあ、また明日だね。その……遊木さん」

「……また明日、夜桜さん」


 互いに別れの挨拶を済ませ、零一は教室から出た。


     *   *   *


 夕日を背に受け、零一は帰路に就いていた。


「…………」


 終業時間から1時間以上過ぎ、歩道を歩く生徒は零一だけ。

 一人だけで浴びる夕日は、炎のような赤い色。


「炎……」


 ――フレア

 Flareフレア-Sunbringerサンブリンガーの操る火炎魔法のスキルは、謎の詠唱を唱え始めた際に、その性質を変えたように思えた。


 それは一体何だ?

 それは、一体何を引き起こした?

 それは――。


「……何だ?」


 目の前の景色に、零一が唖然とする。


 零一の住んでいるアパートの前に、消防車が停まっていた。

 胸の不穏が一気に押し寄せる。零一はアパートへと駆け寄った。


「……っ!」


 アパート、「グリーンハイツ」。202号室。

 零一が借りている部屋の内壁が、窓越しでも焦げているのが分かる。

 既に消火活動は終わったのだろう。消防士が周囲に訊きこみをし、部屋に突っこまれていた消化ホースはズルズルと消防車に回収されていく。


「火事……」


 ――Flareフレアがヴェイン上で焼き尽くしたのは、偽物のZilchジルチを操っていたPragmaプラグマ


 そして、そのPragmaプラグマを動かしているのは――。

「グリーンハイツ」の202号室のリビング。そこに配置された、5台のPC。


 焼け跡の酷い部屋は、まさにそのリビングだった。


「……まさか、」


 架空上で放たれた火が、現実に延焼する。

 ヴェインでFlareフレアPragmaプラグマを焼き殺す。

 その結果として――現実のPragmaプラグマの器であるPCをも燃やし尽くす。


「本当に起こる……事なのか……?」


 それを荒唐無稽だと、零一は思わなかった。


 回想する。

 かつて、己に襲い掛かった理不尽を。

 ヴェイン上で、チート使用のプレイヤー・キラーに襲われた事を。


 ――そして襲われた結果、ヴェインだけではなく、現実に襲撃の影響が波及した事を。

 父を、母を、妹を。自分の全てを、奪われてしまった事を。


「……そうか。そうだったか」


 笑みが浮かぶ。納得がいく。

 VR

 ――そんな事ができるのならば、やはりお前は俺の幻覚ではなかったという事だ。


 脳の底を流れる感情の汚泥が、獲物が真に存在するという理解で喚く。

 藤守雷善ふじもりらいぜん――!


「……クククク……ハッハハハハハッ!」


 笑みは三日月。冷たく、酷く、おぞましい笑み。


 零一の哄笑が、火事の夕焼けに響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る