第4話 黄島秋子①

 鍵を返却した後、自分の鞄を取りに教室へ向かう。

 それから、生徒用玄関から外へ出る。

 さっさと家に帰りたいところだが、あんなことを言った手前、花恋や蒼井たちと遭遇するのは避けたい。

 となると、ちょっと遠回りして帰るか。ついでに駄菓子屋にでも寄るとしよう。


 夕方といえど、五月ということもありまだ空は明るい。空の端は少しずつ薄い橙黄色に染まっていた。

 この時間帯の空の色は鮮やかで、穏やかな気持ちになれる。ただ、一人で歩いていると切ない気持ちにもなるが――。


「だあああっ!! またダブりだ! ちくしょう! 残っているのは千円だけ、か……。両替するか? いや、でもこの千円は今日の晩飯代だしなぁ」


 しみじみと感傷にふける俺の思考を吹っ飛ばすかのような叫びがその場に響く。

 何かと思い、視線を下げると、そこにはガチャガチャの機体の前で千円札を握りしめる金髪ロングに棒付きキャンディを咥えた少女がいた。

 着崩した制服の上からパーカーを着ているその少女を、俺はよく知っている。


「なにやってんだよ、黄島」

「あ? 誰かと思えば千歳じゃねーか。丁度良かった! 百円くれ」


 最初こそ警戒心丸出しで睨みつけて来た黄島だったが、俺に気付くと直ぐに目を輝かせて手のひらを突き出してくる。


「なんでだよ」

「なんでって、ガチャガチャするためだよ」

「いや、それは見れば分かる」


 チラリと視線を黄島の足元に向ければ、黄島が取ったであろうガチャガチャの殻がいくつも転がっていた。


「そんなにたくさん引いたならもういいだろ」

「よくねーよ! まだニャン吉三太郎を引けてないんだぞ! ニャン吉太郎とニャン吉次郎を引けちまった以上、ニャン吉三太郎だけ残せるかよ!」

「知らねーよ。てか、その流れだと三郎だろ。なんで三太郎なんだよ」

「とーにーかーく! 百円くれ! 頼む! この通り!」


 合掌し、頭を下げる黄島。

 ぶっちゃけ、断って放っておけばいいと思う。だが、何を隠そうこの黄島も花恋の友人だ。

 友達が幸せだと私も幸せだよ! と本気で言う花恋のことを思うならば、黄島に百円を渡すことが正解だ。

 いや、でもこいつ百円くれって言ったよな。絶対返す気無いよな。


「ちっ。後でこっそり桃峰に千歳がストーキングしてるってチクってやる」


 俺が渋い表情をしていたことに気付いたのだろう。黄島は舌打ちをひとつしてからボソッと聞き捨てならないことを呟いた。


「ちょっと待てえええ!! 誰がストーカーだって!?」

「お前だよ。ことあるごとに桃峰の名前叫んで桃峰と美藤の周りを付きまとう変態ストーカーじゃねえか」

「ちげーよ! ただの幼馴染だ!」

「ストーカーは皆そういうんだよ」

「ああ! くそっ! 分かったよ。百円やるよ。百円やるからストーカーと花恋に言うのだけはやめてくれ」

「お、サンキューな!」


 財布の中から百円を取り出すと、黄島は満面の笑みで百円を奪い取り、即座にガチャガチャの前にしゃがむ。

 そして、百円を入れ、レバーを回し始めた。


「ニャン吉三太郎来い! ニャン吉三太郎来い! ニャン吉三太郎来おおおおい!!」


 ガチャという音と供にプラスチックの玉が一つ出てくる。

 その玉を黄島は即座に手に取り、緊張した面持ちでその玉を開けた。


「ニャン吉三太郎来たああああ!!」


 ブスッとした表情の猫のキーホルダーを天に掲げ黄島が叫ぶ。

 その後も、三太郎、三太郎と飛び跳ねて喜ぶ姿はまるで子供のようだった。だが、そこまで喜ばれると俺も気分がいい。

 それに、黄島が飛び跳ねるごとに発育のいい胸がゆれるところを見るのは、男として何というかこう、感じるものもある。

 マイラブリーエンジェル花恋に弱点があるとすれば胸が慎ましいことだな。スタイルという点では花恋、蒼井、黄島の三人の中で黄島が群を抜いている。


「いやー、千歳のおかげでニャン吉太郎、次郎、三太郎の三兄弟が揃ったぜ。ありがとな」

「喜んでくれたなら何よりだ。じゃあ、俺は帰るな。黄島もそろそろ暗くなるから遅くならないうちに帰れよ」

「まあ、ちょっと待て」


 黄島に背を向け、家へ向かおうとするが、黄島に肩を掴まれる。

 振り返ると、上機嫌な黄島の笑顔があった。


「暇だろ? 積もる話もあるし、飯食いいこーぜ」


 千円札を人差し指と中指で掴んで俺に見せつける黄島。

 今日は家で晩飯を作る予定だったが、折角の機会だし、丁度いいかもな。


「いいぞ」

「お、珍しく素直だな。その辺のファミレスでいいよな。行くぞ」


 そう言いながら黄島はキーホルダーを大事そうに抱えて歩き出す。その後ろを少し遅れて俺も付いていった。



***



「ミートドリアとドリンクバー、それとシーザーサラダで」

「ハンバーグ&エビフライのAセットとドリンクバーで」


 案内された席に、黄島と向かい合う形で座り、素早く注文を済ませる。そして、ドリンクバーに飲み物を取りに行く。

 夕方の六時前ということもあり、店内の客数はそこまで多くない。店内を見渡しながらドリンクバーの機械の前に行くと、禍々しい色の液体をグラスに入れた黄島が待ち構えていた。


「ほら、千歳の分も注いでおいてやったぜ」


 そう言いながら黄島が両手に持っている二つのグラスの内、片方を差し出してくる。


「おい、何だよこれ」

「黄島秋子スペシャル。それより、いつまでもここにいたら他の客の迷惑だし、席戻ろーぜ」


 仕方なくグラスを受け取り、席に戻る。

 席につき、改めてグラスの中の液体に目を向ける。

 ドリンクバーと言えば、色んな種類のドリンクを混ざるのが定番ではある。あるが、どうすればこんな禍々しい色のドリンクが出来るというのか。


「ん~、やっぱこれだよな。あれ? 飲まないのか?」


 信じられないことに、黄島は禍々しい色の液体を美味しそうに飲んでいる。

 いや、黄島秋子スペシャルという名前をつけるくらいなんだ。お気に入りなんだろう。

 つまり、だ。少なくとも不味いというわけではないのだろう。

 これは黄島なりのさっきの百円へのお礼なんだ。


「黄島、これ美味しいのか?」

「おう! 私のお気に入りだ!」


 やはり、美味しいらしい。それならもう心配することなど何もない。

 遠慮なく飲もう。


「じゃあ、貰うな」

「ああ、グイッといってくれ」


 グラスを持ち、一気に飲む。

 口いっぱいに広がる不快な苦味と甘み、そして柑橘系の香り。更に冷たいとも温かいとも言い難い絶妙な温さが気持ち悪さを加速する。


「……ッ!!」


 意地でなんとか飲み切ったが、ハッキリ言って不味い。

 今も、後味に残る苦味が後を引いている。


「どうだ? 美味いだろ」

「美味くねーよ! 何混ぜたらこんな絶妙に不快なドリンク作れるんだ!」

「なっ!? 千歳てめえ! あたしの黄島秋子スペシャルをバカにするって言うのかよ!」

「バカにしてねーよ。純粋に疑問に思ってるんだよ!」

「ああ? なら、教えてやるよ。まず、コーラとオレンジジュースを混ぜる」


 なるほど。

 ここまでなら普通だ。


「それから烏龍茶」


 はい、おかしい。

 絶対に美味しくないって予想出来るだろ。


「そして、ホットコーヒー。これによりドリンクの温度が上がり、コーラの炭酸が抜けやすくなる」

「なんで炭酸抜くんだよ」

「炭酸さ、口の中でパチパチして痛いだろ?」

「なら、炭酸入れるなよ……」


 そもそもコーラは炭酸ありきの美味しさだ。炭酸抜きコーラって、どこの格闘家だよ。世界最強でも目指してんのか。


「最後にその日の気分で好みのドリンクを混ぜて出来上がりだ。今日はアイスコーヒーにしてみた」

「もう何も言えねえよ」


 インパクトが強すぎる。常人には到底理解出来ない領域だ。


「なんだよ。折角、百円くれたお礼しようと思ったのによ」


 唇を尖らせながらグラスの中の黄島秋子スペシャルを飲む黄島。

 こいつ、よく平気な顔して飲めるな。いや、慣れか。

 それより、やっぱりこのドリンクは黄島なりのお礼だったらしい。


「いらねーなら、あたしが飲むからそのグラス寄越せ」


 黄島がそう言いながら手を差し出してくる。

 正直言って、黄島秋子スペシャルは俺にとって不味いドリンクだ。これ以上飲みたくない。

 だが、人の善意を受け取れないほど俺は腐っていない。


 覚悟を決めて、グラスを持つ。そして、味を感じる前に一気に口から胃に流し込む。


「……はーっ。ごちそうさん。お礼、確かに受け取った」


 気持ち悪さを必死に抑えて、笑顔を作る。

 笑顔とありがとうは人と人を繋げる魔法! とは花恋の言葉だ。


「千歳……お前、笑顔下手くそだな」


 あ、ぶちぎれそう。

 ぶちぎれてもいい? いいよな。


「誰のせいだと思ってんだああああ!!」

「うーわ、逆ギレかよ……。お前が花恋に選ばれない理由がよく分かるぜ」

「ゲフッ!!」


 俺の渾身の一撃に合わせた強烈なカウンター。

 一発で俺のライフは0。何ならオーバーキルなまである。遠ざかる意識の中で、俺は願う。

 来世はおおらかな性格になって、花恋と結ばれますように……。

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