不気味なもの

◆ご挨拶

こんにちわ、だいなしキツネです。

今回はつらつらと「不気味なもの」について考えていくよ。


◆不気味なものとは?

キツネたちは、普段何に不気味さを感じるだろうか。


フリードリヒ・シェリングは、「秘められているべきものが表に現れること」が不気味さの本質だといった。これを受けてフロイトは、不気味さというのは新しいものや異質なもののことではなく、「馴染みのあるものが抑圧されて疎遠になっている状態のもの」だという。具体例としては、ドッペルゲンガーや生きたままの埋葬など。これらは、太古のアニミズムや母胎回帰幻想に由来するそうだ。つまり、実現しないはずのものが実現する、反復しないはずのものが反復する、そういう強迫観念が不気味さの正体なんだね。「そんなことはあり得ない」という抑圧が、逆に不気味さを生み出しているということ。


現代の心理学者は、不気味さをもう少し簡単に定義する。フランシス・マクアンドリューとサラ・コエンケは、人間に備わった脅威検知器が作動することを不気味さと呼んだ。

不気味さの脅威検知器は、相手を恐れるべきかどうかわからないときに作動する。例えば、相手が恐れや不安を感じさせる場合。奇妙な特徴が性格の一部として表れている場合。相手が自分に性的関心を持っているかもしれないと感じる場合。

しかし研究の結果、この脅威検知器はルックスの良し悪しで有利不利が決まったり、単に他の人と違うところがあるという理由で作動したりするので、大して当てにならないということがわかっている。


◆不気味なものの文学

E.T.A.ホフマン「砂男」やエドガー・アラン・ポー「早すぎた埋葬」「ウィリアム・ウィルソン」に言及するまでもなく、不気味なものの描写は文学の中では一大ジャンルを形成している。いわゆる怪奇小説だね。キツネの好みでいうと、シャーロット・パーキンズ・ギルマン「黄色い壁紙」やクロード・ファレール「静寂の外」が思い浮かぶ。前者は壁紙の中の女と次第に一体化してしまう狂気を、後者は早すぎた埋葬を幻聴する阿片中毒者の狂気を描く。どちらも常識的な理性から淡々と距離を取った作品で、固有の文体を持つ。


それにしても、仮に不気味なものが文学の中では〈正しく作動した脅威検知器〉だとすれば、それは怪奇小説に限られたものではないだろう。

有名な文学理論に〈異化効果〉というものがある。これは、日常の見慣れたものを未知の異様なものへと変貌させる効果のことだ。有名なものとしては、トルストイ『戦争と平和』におけるオペラの場面。


「……多くの人間が走り出てきて、さっきまで白い衣装を着ていたのに今では空色の衣装を着ている娘を引っぱっていこうとしていた。だが、すぐには引っぱっていかず、しばらく娘と一緒に歌を歌ってから引っぱっていった。……」


オペラを知らない人間にとって、舞台上で展開されているあれこれは実に異様だ。この不気味さを炙り出すことで、社会的なドグマはだいなしになるんだね。


キツネとしては、これこそ不気味なものの価値だと言いたい。一見して不気味なものを不気味がるのではなく、漫然と当たり前だと思っているものが不気味になる瞬間にこそ、芸術は輝く。

心理学や日常生活が不気味さをうまく扱えないのであれば、文学でそれを成そうではないか。

などと言ってみるキツネ。


それでは今日のお喋りはここまで。

また会いに来てね!

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