第15話 妖精の感謝祭



 感謝祭当日。朝から私の家族は王城へ向かう支度に忙しくしていた。私と言えば療養中ということになっているためそちらの準備は必要ない。

 今までは家族四人で王城のパーティーに参加をして結婚できるはずもないのにそれを勧められるという遠回しな嫌がらせを受けていたが、今年は私がいないのだからそんな嫌味もなくなるだろう。感謝祭はティタニアスが一緒に過ごしてくれると約束をしているし、この家に私を一人残すことは気にせず楽しんできてほしいと伝えてある。


(感謝祭にのんびり過ごしているだなんて不思議な気分)


 今までは私もこの日は朝から支度に追われていたのでゆっくりと家の外を見ることもなかった。二階にある自室から見える街の方が随分と飾り付けられていることに今日初めて気が付く。


(なんだかとても楽しみ)


 私たちが街へ出るのは日が傾き始める頃だ。大人が妖精の仮装をして出歩くのはそれくらいの時間であると聞いている。

 本当は私が羽を仕舞えるようになれていればよかったのだが、それはまだ難しい。羽ばたくことはできるようになったし、なんとか体の内に羽を沈めて仕舞うこともできるようになった。しかし気を抜けばすぐ外に出てしまう。羽を隠して出かけて、人前でまた露わにしてしまう方が誤魔化せなくなるだろう。


(そろそろニアが来るかしら?)


 今日は昼食を一緒にどうかと誘っている。家族は皆、朝から外出するため昼食は私一人の予定だった。しかし一人での食事は味気ないものであるし、何より恋人と少しでも長く過ごしたい。

 待ちきれない思いでバルコニーに出ようと窓を開けたところ、その場に影があることに気づき空を見上げる。その先で予想通りの人物と目が合った。



「ニア、御機嫌よう」


「ああ、オフィリア。……俺が来たのが分かったのか?」


「いいえ、そろそろかと思って出てきたところだったの」



 丁度ティタニアスが空上から降りてきているところに私が窓を開けたようだ。二人で部屋の中へ戻り、使用人にお茶の用意を頼んだ。すでにティタニアスの存在が公認となったためにできることだ。……ただ、使用人が下がるまでは竜の瞳を伏せていてもらわなければならないが。

 ティーセットを運んできた使用人は目を伏せたティタニアスの姿をちらりと見て軽い足取りで部屋を後にした。使用人たちは私やティタニアスといった目に見える妖精にとても好意的だ。一目だけでも見たい、何か仕事を申し付けられたいという気持ちがあるらしい。


 始めのうちは屋敷の人間を怖がらせてはいけないと使用人が来るたび部屋を出ていたティタニアスだがこの屋敷に彼を怖がる者がいないと理解してからは目を伏せるだけになった。使用人たちの噂話が聞こえてくるため、そこで自分が怯えられていないという確信を得ることができたらしい。

 自分を恐れない人間、というのは彼にとっても貴重でありがたい存在であり「ここでは誰も脅かさなくて済むのだな」と安心したように言われたことを思い出す。



「……人間の街の様子は上から少し見ていたが、普段と違う賑わいだった。羽を付けた人間の子供が多かったと思う」


「午前中は子供たちの時間だと聞いたわ」



 貴族の感謝祭と平民の感謝祭はまるで別物だ。私も初体験となるため事前に使用人から話を聞いておいた。

 まず、午前中から昼過ぎまでは子供たちの時間。妖精に仮装をした子供たちが街の大人たちにお菓子を貰って回る。この日のためにどの家でも菓子が用意されていて、訪れた妖精には必ずその菓子を渡す決まりだ。子供の姿の妖精は明るい時間に活動すると考えられているため、その時間に仮装して外に出ていいのは子供だけである。

 そして日が傾き始めてからは大人の時間となる。子供たちの仮装は愛らしいものだが大人たちの本気の仮装は手の込んだ衣装も多い。誰が最も本物らしいか競うコンテストまであるという。それぞれの家や店の前には卓が出され、無料で料理や菓子などが振舞われ、妖精の仮装をしているものなら誰が何を食べてもいいのだとか。



「きっと私たちが遊びに行っても妖精だなんて思われないわね」


「ああ。だから俺でも参加できると思ったんだ。……俺が竜だと知れば皆怯えてしまうだろうからな」


「そのようなことはないと思うのだけれど……」



 ティタニアスはどうもそのように思い込んでいる節がある。妖精の世界では目が合わぬように彼を避ける者ばかりでも人間は竜に関しての知識が乏しい。絶大な力を持っていること、誰の目にも見えることだけは事実とされているものの、あとは童話の不確かな情報くらいしか持っていない。実際、私は竜に番が存在することもその目の力のことも彼に会うまで知らなかった。

 だから人間が仮面をつけたティタニアスを見て竜だと理解したとしてもそれだけで怯えるとは思えない。しかし彼はそれを一番恐れている。……怖がられ、嫌われることが彼を最も傷つけるのだ。



「道中で浮足立っている妖精も何体か見かけた。この国に住む妖精にとって毎年の楽しみだという噂話も聞く」


「あら、そうなの?」



 貴族のパーティーの方で妖精を見かけたことは無かったが、平民たちの祭りの方には本当に妖精も交じっているらしい。ここで振舞われる料理を口にして、また人間を手伝って、そうやって共存共栄していく。それが私たちの妖精の国、ララダナクなのだ。



「王城の方でもたくさん料理は出ていたけれど……妖精はあちらにはいかないのね」


「……それはあの方角のことか? あそこは空気が悪いからな。オフィリアもあまり行かない方がいい」



 妬み、嫉み、嘲り、虚飾――貴族ばかりが集まるとそういった負の感情が溢れる。全員が悪人という訳ではない。しかし、見栄を張り誰の前でも隙を見せられず息の詰まる空間であることは間違いない。妖精は人間の明るい感情を好み、暗い感情を嫌う。陰謀渦巻く王城にはほとんど近寄らない、という。



「貴女はまだ羽が生えたばかりだ。悪影響があったらいけない」


「ニアは過保護ね。……確かに、王城は息苦しいとは思っていたけれど……」



 その息苦しさは王族を前にする重圧なのだとばかり思っていた。妖精の性質で苦手に感じていたなんてさすがに――そうしてふと、高貴な紫の瞳を思い出す。美しいアメジストのような瞳なのに、その輝きには霞がかかったように見える。その目は私を婚約者として受け入れてくれていたようには思えず、その人に会うのは苦しかった。



『美しいオフィリア。とても残念だ。私は貴女を愛しているが、王族は血を残すのが役目。貴女とそれができないのは本当に残念だ。……私たちの婚約は、今日を持って破談となる。しかし貴女が私への愛しさを捨てられないと言うなら』


『いえ、私は全てを受け入れます。いままでありがとうございました、センブルク殿下』



 紫の瞳に嘘が宿る。第二王子、センブルク。王族との結婚は我が家にとって利益があるのを理解していたし、私もそれを受け入れる気であったが彼に対する苦手意識が消えたことはなかった。その婚約解消にに内心ほっとしてしまったのをよく覚えている。



「ニア、少しいいかしら」


「どうした?」



 呼びかければ澄み渡るように美しい焔の瞳が私を見つめる。悪意の欠片も感じられない。歪んだ感情も見えない。強い力と熱を宿したその目が私は本当に好きだ。心の中に溜まった悪いものが洗われるような気さえする。



「貴方の目を見たかっただけ。……貴方に見つめられると落ち着くの」


「……そうか。……俺は少し落ち着かない」



 口元を押さえる姿が珍しく、印象的だった。彼の尾が赤みを帯びてぱたぱたと動かされているのはいつも通りだけれど。普段は尻尾以外に感情が出ることが少ない人なのでそれ以外の動きがあると目に付くのだろう。


 その後は王城へと向かう家族を見送り、二人で食事を摂る。妖精はカトラリーを必要としないのでその使い方から教える必要はあったがティタニアスは飲み込みがよく、すぐに扱えるようになったので問題なく食事を終えた。礼儀作法も教えればすぐに覚えてくれるのではないだろうか。……私が受けた教育を誰かに継ぐことはないのかもしれないと思っていたけれど意外なところで役に立つものだ。



「……そろそろいい時間ね」



 日暮れ前、私は銀色の仮面を取り出した。今日の服は羽の付け根が見えにくいデザインになっていて、あとはこの仮面をつければ妖精の仮装をした人間――の仮装が出来上がるという訳だ。



「その仮面は……」


「ふふ、そう。ニアの仮面に似せて作ってもらったの。平民の中ではお揃いの物を身に付けるのが恋人の証になるらしいから」



 感謝祭では妖精の仮装をした恋人同士もよくいるそうだ。そういう者達は同じ羽や仮面、似たデザインの衣装などを着るらしいので私もそれに倣うことにした。ティタニアスの尻尾もまんざらでもなさそうに床を叩いている。



「さあ、行きましょうか。……今日はエスコートしてくれるのでしょう?」


「ああ。……練習もしたからな。これはもう早くない」



 ティタニアスの腕に自分の腕を絡める。背後でたしたしと床を叩く音が聞こえてきたことに笑いながら共に屋敷を出て街へと向かう。

 街に近づくほど賑やかな音が聞こえてきた。明るい音楽と、歌声や笑い声。それに呼応するかのように私の胸も期待に満ちていく。これが人間の陽の感情を好む妖精の性質だろうか。



「まあ……本当に妖精だらけ。なんだかとても楽しいわ」


「そうだな。……本物もちらほら見える」



 人で賑わう街中に様々な妖精の姿がある。とはいってもそのほとんどは作り物の羽を背負った人間であるのだろう。しかし子供よりも小さな妖精や飛んでいる妖精は本物のはずだ。そんな彼らはこちらに気づくとそそくさと離れて行ってしまったけれど。



「そこの妖精さん方、是非うちの料理を食べて行ってね!」


「こっちのケーキは美味いぞー!」



 妖精の仮装をしていない人間も多くいる。自慢の料理を作ったから是非食べてほしいと声を張り上げる者、広場で楽器を奏でる者。彼らもまた祭りを賑わわせる大事な一員だ。

 そんな賑わいの中を二人で歩く。私たちは本物の妖精だ。一歩踏み出す度に金粉が舞う私の羽や、揺れ動くティタニアスの尾は目立つことだろう。しかしそれについて誰かが言及してくることはない。どれほど本物らしくともその正体について探ってはいけない。……これは妖精が紛れても彼らが気にせず楽しめるようにするための祭りなのだから。



「わあ、きれいな羽!」



 背後で聞こえたその声に振り返ると仮装をした子供が私の羽に手を伸ばしている。ただ、その小さな手はティタニアスのマントの裾で遮られ、傍に居た母親らしき女性もまた慌てたようにその子を引き戻したため私の羽に触れることはなかった。



「すみません! 人の仮装に触っちゃダメだって言ったでしょう。謝りなさい」


「ご、ごめんなさい……」


「いえ、大丈夫よ。気にしないで」



 触れれば本物であることが分かってしまったかもしれない。内心ひやりとしたがティタニアスのおかげで助かった。母親は何度も謝りながらその子を連れて近くの家へと入って行く。今が丁度、子供の帰宅の時間なのだ。……幼い子でなければ他人の仮装部分に触ろう、とはしないはずなので二度目はないと思いたい。



「ありがとう、ニア。助かったわ」


「ああ。……羽に触れていいのは伴侶だけだからな。妖精の常識だ」



 その言葉に少し驚いてティタニアスを見上げた。銀の仮面でその目は見えないものの、尻尾は上下に小さく振れている。機嫌がいい時は左右に揺れるため、これはもしかすると機嫌を損ねているのではないだろうか。



「……少し怒ってる?」


「…………そうかもしれない。何故だろう」



 彼は軽く小首を傾げている。自分でよく分かっていないが機嫌が悪くなったのは確かなようだ。私も考えてみて、思い当たる理由は一つだけあった。しかし。


(独占欲なんて……ニアにそんな感情、あるのかしら)


 たとえ子供相手でも大人げなく振るまってしまうような、そこまでの独占欲が彼にあるのだろうか。今日、ようやくエスコートをしてくれるようになった。まだ腕や手に触れるくらいしかできない、初心で硬派な性格の彼に。



「ニア、私の羽に触りたい?」


「なっ……そ、……早すぎる。伴侶しか触れてはいけないものだぞ、ふしだらだ」


「ふふ、そうなのね」



 触れたくないとは言わないのだな、と可笑しくなって笑う。聞こえてくる音楽とは別のリズムを刻む尻尾の音は、祭りの喧騒で聞こえないことにしてあげるべきだろうか。



「ニア、広場に行きましょう。そこなら踊れるはずだから」


「ん……ああ、そうだな。踊ろうか」


「ダンスの後には抱きしめてくれてもいいのよ?」



 半分本気で、半分冗談。ティタニアスは抱きしめるまで三年と言うくらいなのだ。毎日手を握ってみたり、エスコートをお願いしてみたりと距離を縮める努力はしているが、彼にとってはそれすらも目まぐるしいほどの変化かもしれない。急に近づきすぎても戸惑わせてしまうだろうから、してもらえれば嬉しいが早いと言われるならそれはそれで構わないくらいの気持ちで尋ねてみた。



「それはまだ早いと思う。……オフィリアにとっては早くない、のだろうか?」



 まだ早いという答えは予想通りだったが、その後に私の感覚について尋ねてくれたのは初めてだ。これは彼なりの歩み寄りで、それがとても嬉しい。胸がきゅっと締まる心地になってしまう。……そしてこれが訪れる度に私は一段と彼を好きになるのだ。



「……私が堪えきれずに抱きしめる日の方が近いかもしれないわ」


「……分かった。覚悟はしておく」


「あら、覚悟が必要なことなの?」



 とても真面目に頷いた彼が「心臓が飛び出るかもしれないからな」と珍しく冗談を言ったので私はまた笑った。

 そこで辺りの建物がなくなり、視界が開ける。広場では楽器を持って集まる人々が一つの音楽を奏でていた。貴族のパーティーでは聞かない、平民たちの歌。力強く明るく、走り出したくなるようなメロディだ。

 そんな音楽に合わせて妖精の仮装をした人々が楽し気にステップを踏み、思い思いに踊っている。それを眺めながら談笑する人も、手拍子を打ったり声をかけたり囃す人もいる。そんな広場の一角で、私はティタニアスの腕から離れた。



「一曲踊ってくださらないかしら」


「ああ、よろこんで」



 踊るために自然と手を取って、向かい合う。最初はこれすらも緊張したように固まって中々できなかったことを思い出し、可笑しな気分になってきた。ようやく手に触れることが自然にできるようになったのだ。こうして一つずつ、距離が縮まっていけばいい。


 音楽も人の声も気持ちも、全てが明るいもので満ちたその広場で私達は一曲踊った。踊り終えて互いに一礼した後、何故か拍手喝采が沸き起こって驚いたけれど悪い気分ではない。

 人々の目にあるのは祭りに浮かされた熱と、興奮と、称賛だ。悪意も敵意も嫉妬も侮蔑もそこには存在しない。……この目に見られるのは、嫌ではない。おそらくティタニアスも同じだろう。その尾は楽し気に揺れている。



「もう一曲踊ってくれよ、そこの妖精さん方!」


「……と言われているけれど、どう?」


「ああ。……構わない」



 感謝祭はまだ、始まったばかりだ。いつの間にか集まってきた群衆に見守られながら私たちはまたステップを踏み出した。


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