12.5話 未知の欲



 ティタニアスは日が沈む前に迎えに来た馬車に乗ったオフィリアを空から見下ろしていた。一応、家に戻るまではあとを着いていき、彼女が無事に帰り着いたことを確認してからその場を去る。

 今日は朝から今まで共に過ごせた。その分夜に会いに行くことは出来ないのが少し寂しい。別れ際の会話を思い出すと殊更にそう感じる。



「また明日会いましょう、ニア。……今日からは恋人なのね。そう思うとやっぱり別れが惜しいわ」


「……俺はいつも別れが惜しい」


「ふふ、知ってるわ。貴方の尻尾は別れ際にいつも元気がなくなるもの。……明日も待ってるから、絶対会いに来てね。約束よ」



 その時のオフィリアは別れを告げながらはにかむように微笑んでおり、まだ早いと思っているはずなのに抱きしめたいと考えるくらいには大変可愛らしかった。その姿を思い浮かべるとティタニアスの口元も自然と綻んでいく。



(あの時は本当に息ができなかったが……)



 今日、オフィリアから「お友達をやめましょう」という提案を受けた。それを言われた瞬間は、持ってはいけない欲を持ち、それを向けられていると知った彼女に拒絶されたのだと思い心臓を握りつぶされるような心地になったが、そうではなかった。

 互いに恋をしているから友達をやめて恋人になるべきだ。そう言われて自分の好意が恋愛感情であること、オフィリアも自分に同じものを持ってくれていることを知った。……それは二十数年の孤独など吹き飛ぶくらいの幸福だ。今死ねば満ち足りた生に思えるだろうと感じるくらい、強い衝撃だった。



(……現実感がない。夢の続きを見ているのではあるまいな)



 作りかけの家に戻ったティタニアスは、羽衣虫から採れる布で作ったベッドの失敗作に身を沈めた。やはり見ただけでは上手く作れるものではなく、布の中に緩衝材となりそうなものを詰めたそれはただ柔らかく体を受け止めるだけの塊になってしまったのだ。しかしこれはこれで身が沈む感覚が心地よく、気に入ったために残している。……ベッドにはなりえないが。

 そこに体を落ち着けながらオフィリアに出会って作り始めた家と、その家具の数々を眺める。これは顔も知らない番を追い求める最中に何度も見た、その相手と親しく過ごせる夢ではない。こんなに具体的な目標など夢の中にはなかった。この世界は現実だ。



(友ではなく、恋仲になった……全く考えていなかったから、どうすればいいのかよく分からない)



 友として十年は交流を重ねるつもりだったため、その先のことまで頭は回っていない。ティタニアスがゆっくりと縮めようとしていた距離をオフィリアが軽々と飛び越えてきたのだ。それには本当に驚かされたが決して嫌だとは思わなかった。むしろ自分が出来ないことをやってしまうその心の強さにより一層、彼女への好意が大きくなってしまったような気がする。



(けれどオフィリアは……あんなに柔らかい手をしている。俺が手を握って、痛い思いはしなかっただろうか……?)



 自分に触れた手があまりにも小さくて柔らかく、力を籠めれば壊れてしまいそうにさえ感じて、自分から触れるのはまだ少し怖い。けれどそれでも、そのぬくもりに触れられると心が歓喜に震える。その反動のように、彼女の手が離れていく時は喪失感にも似た寂しさを覚えるのだ。



(帰ってきたばかりなのに既に会いたい。……昨日までより酷いな。満たされるどころか欲深くなるのは何故だ)



 ティタニアスはオフィリアが欲しい。どう欲しいのか具体的には表現できずに“欲しい”としか言えない欲求がある。本人にもその言葉は伝えた。するとそれは「愛している」と言うべきだと教えられ、これが愛という感情なのかと気づかされた。ならば愛とはとても、欲深いものなのだろう。

 また明日と別れてその姿が視界から消えると、もうすでに物足りずに会いたいという欲求が生まれる。壊してしまいそうで触れるのが恐ろしいのと同時に、腕の中に閉じ込めてしまいたい欲求にも駆られる。



(だがまだ早い。三年は…………ああいや、それは遅いんだったか。難しいな)



 オフィリアに出会うために二十数年掛かった。そのせいかどうやら彼女との時間間隔にずれがあるようだ。ティタニアスが待つべきだと思っている時間はオフィリアからすれば「長い」「遅い」となってしまうらしい。待ちきれなくなったら自分から抱き着くとまで言われてしまった。



(……しかし……それでは心の準備が……)



 ティタニアスとて愛しい番には触れたいと思っている。ただ他者との触れ合い、距離の取り方というものを知らなさすぎる自分にとってはどうするのが正しいのか分からない。触れたくてもそれをためらってしまう。……そうして足踏みしているとオフィリアの方がしびれを切らすということらしい。

 彼女から触れてくれるならティタニアスが力加減を間違う心配はいらないのだが、心臓は飛び出しそうなほどに跳ねてしまう。突然抱き着かれた日には本当に飛び出るのではないだろうか。


 ぼんやりと己の手を見つめた。ここに重なっていたぬくもりを思い出して、それを離さないようにぎゅっと拳を握る。

 今日、ファクルの花畑で過ごした時間は夢のようだった。色が移り行く花畑で舞うオフィリアは輝くように笑っていて、この手から彼女のぬくもりが伝わってきた。あまりにも幸福で、それが逃げてしまうような気さえして、見えない何かを掴みたくなったのだ。



(……落ち着かない。家具を作ろう)



 オフィリアはいつかこちらの世界にくるつもりであるような口ぶりだった。それならティタニアスは彼女が暮らしやすい家を作っておくべきで、そのためにできることは山のようにある。

 体を起こしたところで視界にきらりと光るものが入り、自然とそちらに目が向いた。輝く物に意識を惹かれるのは竜の生まれ持つ性質だ。

 先日出来上がったばかりの小さな机、その上に一つの宝石がある。他の金銀財宝は地下に集めてあるが一つだけ目に入る場所へ持ってきたものだ。それに近づき、手に取った。……まるで虹を閉じ込めたように、様々な色の輝きを放つ宝石を。



(オフィリアの瞳の美しさには敵わないが……少し、似ている)



 輝くものを集める性質によって行く先々で見つけた宝石を大量に保管している。輝く物を見るのは好きだ。それらの山を眺めればそれなりに満足感を得られる。その中でこの石が目についたのはただ、七色の輝きがオフィリアを連想させるためだろう。

 地下の宝物庫からこれだけ持ち出して目につくところに置いているのは、会えない間にこれを見ていれば少しでも気が紛れるかと思ったから。



(……会いたい。欲しい……いや、愛しい、か)



 宝石の表面を指の腹で撫でる。冷たいはずの石が何故か温かく感じた。数ある宝石の中でもこの石がひと際美しく思えるのは愛しい妖精の瞳に似ているから。この石に感じる愛おしさはオフィリアに向けられた愛情から派生するものだ。

 気が付くとその宝石に唇を寄せていた。そんな自分の行動が自分で理解できずに固まる。食べたいと思ったわけではない。宝石から食事はできないし、食欲だって感じていなかった。それなのに何故。ただ、オフィリアに似た輝きを愛おしいと思っただけなのに。



(……俺は……オフィリアにこうしたい、のか……?)



 それはティタニアスの知らない欲求だった。何故そんなことをしたのか、したいのか、自分で全く理解ができない。愛しい番は傍に居ないのに、心臓の鼓動が耳障りなほどうるさく聞こえる。何か恐ろしいことをしてしまったような、悪いことをしてしまったような、そんな気がしてティタニアスはそっと宝石を机の上に戻した。



(俺はおかしくなってしまったんだろうか。食べる気もないものに口をつけたくなるのは……おかしい、はずだ)



 これはさすがにオフィリアにも言えない気がする。いや、むしろ相談するべきなのだろうか。しかし「俺は貴女に唇で触れたくなるようだ」と言われても彼女は困るだけではないか。これは自分の奥底にしまっておくべき欲求ではないだろうか。



(…………どうしても堪えられなさそうな時が来るまでは……しまっておくべきか)



 もし、いつか。この欲求に耐えられなくなったらオフィリアに話すべきだろう。その時に拒絶されてしまえば立ち直れそうにないが、彼女なら笑って許してくれるかもしれない。それは竜の性質なのか、とでも言って。



(ああ、そうか。……これは番を求める竜の性質かもしれない)



 オフィリアと恋仲になった。そう認識してから出てきた欲求なのだから、その可能性もなくはない。それならまだ、自分はおかしくなってしまった訳ではないと少し安心できた。

 ただ、窓から差し込む光を反射して輝く宝石を見ているとなんだか罪悪感に苛まれてしまうためにそっと布をかけて隠す。今日はもうこれを見られそうにない。



「さて……やるか。今日こそ成功するといいんだが」



 意識を変えるためにも声に出して自分に言い聞かせた。風の妖精が唯一必要とする家具、それがベッドだ。彼女がゆっくり休めるようにいいものを作りたい。

 そうしてティタニアスは家具づくりを再開した。材料を集め、試行錯誤しながら記憶を頼りに組み合わせる。何度も失敗作を生み出しては作り直しているが、構わない。時間は山のようにあるのだから。


 いつか、オフィリアがこの家に住むことになる日まで。それまでに出来上がればいいのだ。婚姻を前提とした交際は始まったばかりで、彼女が伴侶となってくれるのはまだまだ先の話だろう。



(これはさすがに時間がかかるはずだ。十年……は長いと言われそうだな。……八年くらいか?)



 それだけの年数があればさすがに家が出来上がっていない、ということはないはずだ。いつか、きっと、毎日別れを告げなくてもいい日が訪れる。そんな日を夢見ながらティタニアスは作業に没頭することにした。

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