第4話 小旅行



 町娘が着ている一般的な服を数種類、使用人に頼んで用意してもらった。着替えの手伝いも必要なくいつでも自分で着替えられるのがとても便利だ。

 一応おかしなところがないか侍女に尋ねてみたところ「良家のお嬢様でございます」という評価であった。……立ち振る舞いがどうしても町娘からかけ離れているらしい。ただ、貴族と断定されるほどではないようなのでもうそれで良しとした。

 あとは目元まで隠せるベールつきの帽子を被って完成だ。私の目は特殊な色をしているので覚えられないようにするためである。



「お嬢様、本当に共の一人もつけずに行かれるおつもりですか?」


「ええ。妖精と一緒だもの。不幸なことにはならないわ」



 ララダナク国民なら誰しも妖精を信仰しているが中でも貴族の信仰心は厚い。己の祖先であり、土地の基盤である妖精は幸福と富の象徴である。豊かな土地や財力のある場所には見えなくても妖精が多く居るとされているのだ。

 そんな存在が傍についていれば幸運になる、という迷信を信じている者も多い。妖精にどうにか屋敷に居ついてもらおうとありとあらゆる努力をする貴族もいるくらいだから。


 貴族が外出するなら使用人や護衛などの御供つくものだけれど、今回彼らは連れていかない。妖精が嫌がるといえば父も渋々納得させられた。この国で最も優先されるのは妖精の意思だと貴族ならばそう考える。


(妖精は普段人に姿を見せたがらないというのが常識だけれど……ニアが私の身内に姿を見せたくない理由は少し違うように思えるのよね)


 二人で出かける計画を立てながら供の人間についての話が出た時。ティタニアスの表情は僅かに眉を寄せただけだったが尾はくるりと輪を描くように丸まっていて、どことなく困っているように感じられた。



「貴女の身内にはまだ、姿を見られたくない。貴女の身の安全は私が保障する。……私とオフィリアだけで出かけることはできないだろうか」



 その口ぶりから察するに、いつかは家族に姿を見せる気があるけれど今はその時ではないと思っているようだ。私も屋敷の者が傍に居ると貴族としての振る舞いを決して崩せない。ティタニアスの提案を受けたのにはそういう理由もある。

 一番の理由は「何者にも貴方を傷つけさせない」と真剣な顔で語る彼を信じたからだろうか。地形を変える程強い力を持つとされる竜がそこまで言ってくれるのだから、友人として信頼したくなったのだ。


(妖精の友人と自由に遊ぶなんて、心が弾んで弾んで……今にも踊り出しそう)


 待ち合わせ場所はジファール領南西にある“妖精の小道”の入り口だ。出かける支度を済ませてさっそく馬車でその場所へ向かう。私を一人残すことに不安そうな御者が何度もこちらを振り返りながら去っていき、見えなくなると急に頭上の日差しが遮られるように影がかかった。

 どうやらティタニアスは先に来ていて、見えない程高い空の上で待っていたようだ。私の目の前にふわりと降り立つと、嬉しそうに微笑んで見せた。



「オフィリア、来てくれてありがとう」


「いいえ、ニア。私も楽しみでしたから」



 軽い挨拶を交わして森の小道へと歩き出した時にふと、異性と待ち合わせて二人きりで出かけるなんてまるで秘密の逢瀬のようだと気づいた。社交パーティーでも男女が二人でこっそりと抜け出して密な時間を過ごしたり、約束を交わして誰にも知られぬよう二人きりで会う話は耳にしたことがある。しかし稀に女性が意に沿わぬ行為を強いられることもあって、問題になっていたことを思い出す。


(……考えから抜けていたわ。けれど、ニアならそういうことはないと確信できる)


 竜という人外の存在ではあるがティタニアスは異性だ。普通、妖精をそういう対象で見ることはあり得ないのだけれど私たちの場合は違う。妖精である彼の方が「そう見てほしい」と願っている。

 今はまだ、知り合ったばかりでも気楽に過ごせるただの友人だ。平均より身長の低い私の歩幅に合わせようと苦労して隣を歩くティタニアスの姿を見ていると微笑ましく思えてくる。この竜が間違いを犯すことはないだろう。何故なら――。



「ニア、手を取って歩きますか? 多少、歩調は合わせやすくなるかと」


「……俺たちにはまだ早いと思う」



 何故なら、彼はこんなにも硬派なのだから。真面目な顔でそういう彼の後ろで落ち着きなく尻尾が揺れている。その色が赤紫っぽくなっていることで気づいた。人間が羞恥で赤面するように、竜の尾も赤みを帯びるらしい。


(どうしましょう。からかいたくなってしまうわ)


 童心と共に置き去ったはずのいたずら心がむくむくと沸き上がってくる。ティタニアスと二人でいる時は、貴族である必要がない。周りの目もない。だからこそ心の奥底にしまい込んだはずの本性のようなものが出てこようとしてしまう。……私はこんなにも悪戯っぽい性格だったのかと自分で驚く程だ。



「……今日向かうのは、海の街でしたか?」



 そわそわとする感情を落ち着けるためにも話題を変える。妖精の小道を使えば離れた街に出かけることもできる、ということに気づき知らない街まで足を延ばすことにしたのである。

 私は貴族同士の屋敷を行き来するため屋敷近在に出る道順しか知らないけれど、ティタニアスはあらゆる街に出る道を知っているというので案内を頼んだ。私を探している間にいくつか綺麗だと思う街を通ったらしく、今日はその中の一つへ行ってみることになっている。



「ああ。海に面した街で、人間の構造物はすべて白い色をしていたな」



 その街の建物は全て白く塗られている。日が沈むときは街全体が夕日色に染め上げられてとても美しかった、とティタニアスが教えてくれた。ただ、私の帰りが遅くなってはいけないから今回はただ白い街の散策を楽しむだけだ。帰りの馬車も日暮れ前に来てもらうよう頼んである。



「こちらだ、オフィリア。ここを曲がればすぐに出られる。……その前に仕舞っておくか」



 ティタニアス背中の羽が折りたたまれたと思ったら、段々と見えなくなっていった。機嫌良さそうに揺れていた尾も同様だ。……彼の尾は感情を表していて見ていると可愛らしいと感じるので少々残念な気持ちになる。



「……本当に近いのですね。まだ歩き出して五分程度だと思いますけれど」


「この道は世界中につながっているし、距離は関係ないからな」



 ティタニアスの言うとおり、道を曲がって一歩踏み出すとそこには知らない景色が広がっていた。海から続く斜面に家を建てた街のようだ。眼下に一面白い建物が並んでいて、その先に青い海が広がっている。



「ああ……とても美しいですね。この光景を目にできただけでも胸が詰まるような思いです」



 青くきらめく海に面した白く輝く街。その中にぽつりぽつりと鮮やかな花を育てている家があって、それらがアクセントになりとても目を引く。

 貴族にとって美しく価値のあるものとは宝石や高価な美術品や装飾品、入手しにくい高級品のこと。確かにそれらは質が良く美しいけれど、それだけが美しいという価値観は間違っているはずだ。……私は今日、こんなにも美しい街を見た。貴族社会に居るだけでは見られなかっただろうこの景色に価値がないなんてことはありえない。



「……俺はあまり人間は好きではないのだが、時折人間が作り出すこういうものは嫌いではない。ここには妖精も多いようだし、俺と似たような印象をを抱いて住み着いているんだろうな」


「ここには妖精が多いのですか」



 思わず辺りに視線を巡らせてみたがそれらしい存在を認めることはできなかった。しかし、あちらこちらから誰かに見られているような気はする。……これは妖精の視線なのだろうか。



「俺たちには人間のようなものを作り出すことはできない。だからこそ、それを愛しいと思ったなら守る手伝いをする」


「……ああ。だから妖精が多い場所は栄えると言われているのですね」



 例えば知らぬうちに掃除や庭を手入れされている、珍しい花が突然咲くこともある、土地の動物や植物が生き生きとしている。壊れた物をいつのまにか修理されたり、馬車が改良されていたりということもある。そういう生活の小さな手伝いを妖精たちがしてくれることで人間は心が豊かになり、栄えていく。

 時に悪戯をするという彼らもまた、その内容は人間を戒めるためにあるのではないか、という話が多い。きっと妖精が居れば人間は心を豊かに、穏やかに生きていけるのだ。



「俺たちはその場に存在するだけで自然に力を分け与えているようなものでもある。もし一人の人間に肩入れする妖精がいるとすれば、その人間に力を与えることになるだろう。……たとえ見えなくても妖精に好かれる人間はいるからな」


「なるほど。それが幸運の正体でしょうか」



 迷信はただの迷信ではなく、それなりの根拠があったようだ。それならティタニアスの傍に居る私も幸運ということになるだろうか。


(……幸運かどうかは分からないけれど。とても、心地よいのは間違いない)


 ティタニアスが語る妖精の話はとても興味深い。表裏のない言葉を話す彼と過ごすのも心地よい。貴族としての時間を過ごさなくて良い解放感もあるのかもしれない。ただ、彼との時間はひたすらに心の内が温かいのだ。



「さあ、街を見て回るんだろう? 行こう、オフィリア」


「ええ。……しかし、その仮面は前が見えるのですか?」



 行こう、と言った彼が取り出したのは銀の仮面だ。飾り用なのか本来穴が開いているべき目の部分は目の形に縁取りが掘られているだけで、それを着用すれば視界は完全に塞がれてしまうように思えた。



「目の部分は薄い膜を張るような造りだ。……俺の目なら見えなくはない」


「では見づらくはあるのですね」



 彼の目は力が強すぎてとてもじゃないが人間が見られるものではないという。だからこうして隠すのは、街へ行くなら仕方がないのだけれど。人間の街に行くことを提案したのは私なので申し訳なくなってくる。



「転ばないよう、私が支えましょうか? 腕を組むなどすれば支えやすそうです」


「なっ……それでは密着するではないか。気にしないでくれ、俺はこれでも問題ない。ただ少し視界がぼやけるだけだ」



 旅人が使う砂塵除けのフード付きのマントを取り出してサッと被ってしまった彼には今、尾がないけれど。それがあればきっと赤紫色に変わっているのだろうなと想像が出来て小さく笑った。

 二人で並んで街へと降りる。この白い街の人々は随分と人懐こいというか親し気に話しかけてくる者が多かった。どうやら私は“良家のお嬢様”には見えなかったようだ。旅人風の装いの上、奇妙な仮面をつけているティタニアスと一緒にいることで“旅芸人”のようなものと認識されているらしかった。


(目立っているといえばそうなのだけれど……こういう勘違いなら、問題なさそう)


 貴族であると分からないならそれでいいのだ。何か芸を見せてくれと次々に声をかけられティタニアスは戸惑っていたけれど。



「旅芸人だと勘違いしてもらえるのは都合が良いですね。危険な旅もする彼らは護衛の手段を持っているため、賊にも狙われにくいと聞きます」


「……なるほど。それなら次は火でも吹いてみよう」


「まあ。それは、本当に何の種も仕掛けもございませんね」



 竜の息吹をそんなことに使うなんて冗談だろうと思って笑ったのだけれど、ティタニアスは次に芸を見せて欲しいと言い出した住人の前で本当に小さな火を上空に向かって吹いて見せた。……なんて贅沢な芸だろう。まさか本当に仕掛けがないことを知らずに喜んだ住人は軽くチップを支払ってお礼と共に去っていった。



「こんなことで喜ばれるのか」


「ふふ……次回からも旅芸人という設定を使いましょうか」



 白い街の中を歩いて目で楽しみ、賑やかな市場を見て、多くの住人に話しかけられて、もう随分と時間が経っている。そろそろ帰るのにちょうどいい時間だろうと思い、そう口にしたらティタニアスがピタリと足を止めてしまった。



「……また、俺とこうして出かけてくれるのか?」



 私は“次”を当然のように考えていた。けれど彼にとってはそうではなかったらしい。友人となった私たちがこうして交流を重ねていくのは当然のはずだけれど。


(……この御方に、二度目を約束できる相手が居なかった、ということかしら)


 誰とも目が合わないのだという。誰からも恐れられるのだという。孤高の竜にとって“次”があるというのは驚くべきことなのかもしれない。



「ええ、ニア。貴方が私の歩幅に合わせることに疲れていなかったら、また遊びに出かけましょう?」


「……それは疲れるようなことではない。貴女こそ、疲れてはいないか?」


「それが、あまり疲れを感じていなくて。とても楽しいからかもしれませんね」



 普段から全く体を動かさない訳ではないが、慣れない外出にも拘らず体に疲労感はほとんどない。心に満ちるものが多く、それが私の活力となっているのかもしれなかった。

 真っ白な建物の間を通る細い道や階段をいくつも通って歩き続けた疲労よりも、この町の輝きや人の活気に与えられた力の方が多いと感じる。ただティタニアスと二人で知らない街を散策しただけだが、それがとても楽しかった。



「…………そうか。よかった」



 心底安心したような声だ。形のいい薄い唇が弧を描いているから仮面の下ではきっとその目も柔らかに笑っているのだろう。今、彼の感情を如実に表す尾も、まっすぐな心が見て取れる瞳も見えないことが残念でならなかった。

 再び二人で並んで歩き出す。私の歩幅にはすっかり慣れたらしいティタニアスはゆっくりと隣を歩んでくれている。そんな中、一軒の家の前を通りかかった。

 小さな庭の中に大輪の鮮やかな赤の花が美しく咲いている、他の家とは離れた場所に建てられた一軒家だ。その狭い庭の中で一人の少女がうろうろと歩き回っており、不安そうな表情につい視線を吸い寄せられる。

 ふいに困り顔の少女がこちらを向き、目が合う。瞬間、彼女は驚きに目を丸くして、大きく口を開いた。



「お願いします! 助けてください!」



 青い瞳に涙を溜めた少女は、私に向かってそう叫んだ。


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