第2話 竜の友



 数ある妖精伝説の中でも竜の存在は特異である。目の前の彼は人間に近い容姿だが、伝説の中で語られる竜は全身を固い鱗に覆われ、四本の足と大きな翼を持つ巨大な怪物だ。その姿は他の妖精と違ってどんな人間でも目にすることができ、地形すら変える強い力を持つとされる。しかし強大な存在ゆえに、ドラゴンと目が合ったものは死んでしまうこともある、と言われるほどで。


(たしかに力強いと感じるけれど……綺麗な目、だわ)


 彼がこの場にやってきてからずっと互いの目を見つめ合っているけれど、恐怖は一切感じていない。焔の瞳とでもいおうか。暖炉の炎のようにその赤は揺らめいて見える。触れれば火傷をしてしまいそうな強さを秘めているがしかし、恐怖はない。ひたすらに美しい。けれど彼が竜である、というのも嘘ではないとその瞳が語っていた。



「先程、ようやく見つけたとおっしゃいませんでしたか……?」


「ああ。……俺は貴女を探していた。貴方は俺の魂の片割れだ。つがいと言えば分かりやすいだろうか……とりあえず対になる存在だと思ってほしい。俺にとって貴女はこの世で唯一愛せる相手なのだ」



 片割れ、番、対。唯一愛せる相手。初対面の竜に突然そんなことを言われても困惑するばかりである。

 彼によればずっと探していた番という存在が私であるらしい。妖精や竜の生態には詳しくないけれど彼は本気でそう語っている。少なくとも、私のことを番だと認識しているのは事実だ。


(番というのは……伴侶のことよね)


 しかし、私は女性の証が訪れなかった、結婚の資格がないとされる女である。私に求婚する相手には下卑た考えをもつ者だけになって、もう随分と経つ。

 誰かと結ばれたい、愛されたいなんて考えもしなくなっていた。求愛ともとれる言葉を純粋な目で向けられて、混乱しそうになる。そんな事情を知らない彼は随分と嬉しそうに瞳を輝かせて私を見つめていた。



「本来ならもっと早く出会うはずだったのだがな。……性悪に邪魔をされた。でも、ようやく出会えたのだ。貴女に頼みがある」


「頼み……」



 目の前の竜と名乗る男性はとても真剣な表情になる。その雰囲気に息を飲んだ。自分たちは番だと言う彼は、私に何を頼むつもりなのだろう。

 もしかして、と思う。番と言うくらいだし、そういう関係を求められてしまうのではないかと。そうだとすれば私は応えられないから、身構えてしまう。



「俺を貴女の友にしてほしい」


「……………………友?」


「そうだ。……俺たちはお互いを知らない。そんな状態で愛を望むのは、その、順序が違うと思う。まずは友として親交を深めるべきだ。その上でいつか互いに想い合うことができれば、婚姻を前提とした交際を申し込みたい……とは思っているのだが。だめか……?」



 彼の表情はとても真剣だった。真剣に、恋人関係になる前にまず友人として親しくなりたいと言っている。予想外すぎて急に肩の力が抜けてしまった。

 世の中には一夜の恋に興じる貴族もいるし、子供ができないなら丁度良いと思われたのか私もそういう誘いをかけられたことは何度もあったが、ここまで初々しい申し入れは初めてだ。彼は双方が恋愛的な好意を持つまで友人以上の関係を望むつもりがない。まずは友人として親しくなるところから始めたい。そんなお願いをされるとなんだか、胸の内を鳥の羽でくすぐられたような心地で思わず笑い声が漏れる。


(恋人や伴侶を望まれたら断るしかなかったけれど……まずはただのお友達、なのね)


 友人になりたい、という申し入れを断る理由はない。私が子供を産めない体であることは友人相手なら関係ないからだ。それに、初対面の相手にはなかなか言いづらいことでもある。……いつか、私が彼に好意を抱く日が来たら伝えよう。こんな体であることを。


(もしそれで友人関係ですら解消したいと思われたなら……その時は仕方がないわ)


 いつかは結婚前提の交際をしたいとはっきり彼が言っているのだから、本当なら子供が産めない体であることをこの場で告げるのが誠実なのかもしれない。貴族なら誰でも知っていることだが竜である彼はそれを知らないのだから。

 けれど。はぐれ妖精姫と呼ばれるようになって、友人は誰も居なくなってしまった。家族以外に親しい相手などいない。社交の場からも退いて、本当に他人との関わりがなくなってしまうというところに、友人になりたいと言ってくれる人物が現れた。……それに、縋りたくなってしまった。

 初対面の相手に言いにくい事情、という理由をつけて。ほんの少しだけ、暫くの間だけ、傍に居てほしい。これは私の酷い我儘だと自覚している。そんな罪悪感を抱きつつ、彼の提案を飲むことにした。



「では、お友達になりましょう。私はオフィリア。オフィリア=ジファールと申します。貴方のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「……妖精は、他者に名を明かさない」



 そういえば妖精にとって名はとても大切なものだと書物で読んだことがある。過去に妖精を見ることができ、親しくなった人間の手記によれば、妖精の名はその魂に響くもの。彼らは決して人間に名を明かしてはくれないと。



「けれど貴女には知っていてほしい。ただ、他の誰にも決して伝えないようにしてくれ」


「それはもちろんですが……本当によろしいのですか?」


「ああ。……俺の名はティタニアス。他者に知られぬよう、普段はニアと呼んでくれないか」


「……ええ。貴方の名は誰にも伝えません。我が名にかけて誓いましょう」



 そんな名前を簡単に教えてくれたことに驚きながら誰にもその名を知られないようにすることを約束した。出会ったばかりだというのにここまで信頼されているというのは気が重く感じるような気がするけれど、何故か私も大事な名を教えてもらえて嬉しいと感じてしまったのだ。

 先程までパーティーであらゆる悪感情を見せられたばかりだから、悪意が欠片も宿っていないティタニアスの瞳を見ているだけで、彼に好感を抱いてしまうのかもしれない。



「では、ニア様とお呼びしてもよろしいでしょうか」


「ニアサマ……? 人間は友人にそういう愛称をつけるのか。なら、俺は貴女をオフィリアサマと呼ぶ」


「いえ、そういう訳ではなく……これは敬称です。妖精の世界では、目上の方を呼ぶ時はどうされるのでしょうか?」


「俺たちは妖精同士でも名を知らないことが多いし、また勝手に誰かの名を広めてはならないからな。親しければ愛称で呼び、そうでなければ種族名で呼ぶ。敬称というものは存在しない」



 例えば花の妖精であれば「花の妖精」と呼ぶか、その者が模している花の種類で「バラの妖精」や「アネモネの妖精」という呼び方をする。親しければ双方で決めた愛称で呼び合うもので、それは上位妖精に対しても変わらないらしい。また、妖精界には王と女王が存在するがその二つを愛称で呼ぶことはなく、誰もが「王」「女王」とそれぞれを呼ぶそうだ。

 妖精と人間では随分と文化が違うのかもしれない。そのあたりの違いで価値観がぶつかることも、この先あるかもしれない。……それでも、この関係は悪いものにならない。そんな予感がする。



「俺は貴女と対等のつもりだ。目上の呼び方というのはやめてくれ。ニアでいい」


「……分かりました。それでは、ニア」


「ああ、オフィリア。……これからよろしく頼む」



 竜というだけあって鋭い目つきをしている彼が、笑った途端にとても柔らかい雰囲気を纏った。恐ろしい姿の茨の植物が花を咲かせるととても可憐であった時のような、枯葉のような蛹から美しい蝶が羽化した時のような。そんな思いもよらぬ変化を目にした瞬間の、感動にも似た感情が私の中に生まれる。


(……とても素敵に笑う人)


 私は彼を、ティタニアスという竜を好きになるという確信を持った。それは恋愛感情というよりはこの竜柄ひとがらが好きだという意味だけれど。

 そして同時に、私を番にと望む彼に隠し事をしたことを後悔した。しかしこんなに嬉しそうに笑う彼に今、言える訳もない。……いつか必ず、伝えなくては。



「友というのは、一緒にどこかへ出かけて友好を深めるんだろう? ……俺も貴女とそうしてみたいんだが、許して貰えるか?」


「そうですね。……ひとまず両親に許可を得てみましょう。私も貴方ともっと、親しくなりたいですから」


「……そうか、貴女にはこちらで暮らす家族の許可が必要なんだな。いい返事が聞けるといいんだが……」



 その後、ティタニアスとしばらく雑談を交わし、また明日と約束して別れた。ここに来た時と同じように彼は大きな翼を広げて夜の空へと飛び去って行く。私はその姿が見えなくなるまで見送ってから部屋に戻り、ベッドで横になった。


(ティタニアス……いえ、ニアとはなんだかとても、仲良くなれそうな気がする)


 出会って数分会話しただけだがそれまでに抱いていた不安感が消えてしまった。あの焔の瞳に見つめられるだけで心が穏やかになる。呼吸がしやすくなって肩の力が抜けるような、そんな安心感があった。それが魂の片割れで番という存在だからかどうかは分からないが、少なくともティタニアスとまた会いたいし、言葉を交わして親しくなりたいという気持ちが湧いてくる。……そして同時に、いつかは話さなければならない真実に彼がどういう反応をするのかを思うとほんの少し、心が重くなった。


(……でも……ようやく眠れそう)


 先程までは追い詰められた思考のせいで感じなかった社交パーティーでの疲労に、眠気を誘われる。また明日、ティタニアスに会う前とは違う心持ちで先のことを考えよう。


 貴族としての希望を捨てたその日、私は竜の友人と、友人が出来たことの大きな喜びと、それに伴う小さな罪悪感を手に入れた。


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