第二章 穿つ檄槍と狼の群影

プロローグ 森の中の狼たち(1)

 宇宙から見下ろす地上に刻まれた一本の黒い線。

 日本列島の中央に、最大幅1キロメートルで南は太平洋から北は日本海まで及ぶ大地の裂け目。

 大断裂。

 観測によれば深さは無限大。その物理的原理は不明。

 地球にのみが打ち込まれた様だと畏れられているその異様の一部を拡大していく。比較的狭い幅100メートル程の局地が1500メートルに渡って灰色に塗り込められいた。

 要塞だ。

 その名も大塹壕基地。が東からの進行を打止められて久しい鉄壁の城塞。

 再度、地理を確認する。

 基地の北にはケーキのように真っ二つにされた大山嶺、南の平原はプレートごと崩壊して今尚崩れ続けている。

 西には基地の一部である整地された地面が幅にして西方角へ20キロメートル、長さは基地よりもやや大きく広がり、その周りは人の手による管理が入った森。

 東には再三の激戦で剥き出しになった半径50キロメートルの荒れ地とそれを囲う削り残された樹海がある。

 我々は部隊輸送の際、道を通してなお深くうねった樹林を抜け出てその先の平地で戦闘隊列を構成するのだが、統制民族の粗兵がいつも運搬を失敗して戦闘前に各種車輛の数%を損失させていた。

 と、思考に関係のない愚痴が混じり始めたことを認識したその男は、宇宙の視界を見ながらこめかみを叩いた。

 衛星からのリアルタイム映像が切れ、闇が目を覆う。

 男はバイザーを頭から外した。

 精悍な顔立ちと男性にしては長い肩まである黒髪。自ら作成したギリースーツを着用しているが、その上からでも屈強に鍛えられた肉体は見て取れる。背高で鍛錬と実践で引き締まった姿は肉食獣を思わせた。

 しかしその漆黒の瞳には、夜空から人々を導く星の様な理性と光輝が宿っている。


           §



 男、影狼ユンランは外したバイザーを右手に握つた。

 宇宙からの視界は消え、代わりに自分の肉眼が周囲の景色を捕らえる。

 そこは先ほど見ていた樹海の中、荒れ地への出口の近傍だ。100メートル先に針の穴のような隙間から夜明け直前の薄い光が見える。

 鬱蒼とした暗い緑の中、呼吸をすれば森林特有の湿気を含んだ真冬の空気が肺の中に吸い込まれる。

 それは自分の故郷の思い出に少しだけ触れた。

 そのような場所で自分が行っていたことは単身での独立探査だ。衛星リンクモニタや、僅かな木々の隙間からさらに茂み越しで双眼鏡を使い塹壕基地を観測していた。

 それもたった今、完了したところだ。

 一呼吸、吐息を白くさせぬ技で空気をはき一切の動きを作らず筋肉の緊張を解す。

「おや、貴方にしては珍しいですな影狼ユンラン様」

 わずか右3メートルから唐突に声と気配が現れた。

「……おきなですか」

 瞬間的に戻った筋肉の構えを戻しつつ、右手側に現れた老人へ声を返す。

 翁と呼んだ老人は、灰色の古臭い国民服の上から軍服の上着を羽織のように痩躯の肩にかけていた。その顔は白い髭と髪に頭ごと覆われ直接は見えないが、柔和な雰囲気を相手に感じさせる。

 独自迷彩の為に肩ほどまで伸ばした黒い後ろ髪を撫でつけながら翁へ話す。

「霞の様に側に現れるのは止めて頂きたいと申しているでしょう」

「ふぉふぉ、これは失礼を。しかし安地とはいえ行動中に影狼様が気を緩めるなどこれまで見たこともありませんでしたから、つい心配でお声を掛けてしまいました」

 翁は独特な笑い声を出しながら答えてくる。そしてこちらの横まで歩み寄ると、同じ方向、塹壕基地の方へと向き直った。

「統制民兵士がしくじった先の攻勢、その不始末の処理。更に勇ましき我らが現地司令将軍の無策な二次突撃への諫言、誠にお疲れ様でした」

 翁が長い髭を抑えつつ頭を小幅に傾けて告げる。

「無駄死を避けて下さること、我ら隷属民兵士一同、常より感謝しております」

「礼には及びません。何故なら、俺はこれから貴方たちを自身が策案した作戦に投じるのですから」

「それでも、ですよ」

 頭を戻し、白い左眉を上げて隠れた目線を向けながら語る。

「無意味な侵略戦争に圧し込められた隷属民族出身者にとって、まともな戦術で戦えることがせめてもの慰めです」

 悲壮な言葉を聞いて、自らも同じ立ち場故に思わず沸き上がる大陸に座す支配者共への感情を飲み込む。

 そして自分を奮うためにも言の葉を紡いだ。


 如何なる月の下でも牙は研ぎ澄ませよ。

 如何なる土の上でも肢は漲らせるべし。

 これ即ち我ら祖なる天狼より賜いし掟。

 湖面の輝星は揺らぐとも光るを絶えず。


 自分たちの一族を示す口伝の秘文。統制民族に敗北し隷下になろうと健在の信念。

 千年前の方言で語ったうたは翁には聞き取れなかったであろう。しかし、言わんとするところはくみ取ったはずだ。

 翁が髭を撫でながら口を開く。

「どのような運命の流れにあっても、自身へ向ける誇り高さを失うことなくあれ、ですか。確かに、戦場に立たざるを得ないならば悲観するよりも正しいですな。しかし……」

 老人は髭を撫でていた手を後ろに回し腰に当てた。

「本来その誇りを持って立ち向かうべきは、あの基地が守る人々ではなく、我々を屈従させている大陸の支配者であるべきだ」

 深く息が吐かれる。

「理想、ですな。我が一族も、他の部族たちも、そう在りたいと思いながら現実の残酷にいつしか諦めてしまった」

 どれ程崇高な理念であっても、絶対支配政治と無差別爆撃の前には敵わない。抗ったものは残虐に消され、残ったものはやがて気力を失った。

 信念は現実と必ず衝突を起こす。その苦しみを抱き続けるくらいならば捨ててしまった方がいいという感情は道理である。

 しかしだ。

「心向きを強制するような事はしません。それでは支配級の統制民族共と同じです」

 ならば。

「妥協するしかない。信念そのままが現実には成り立たない事は千も万も承知。現実に合わせて信念の一部は置いておく。残るところを現実に合わせて行動する」

 バイザーのベルトを握る手に力がこもる。

「支配者の欲に巻き込まれた戦争でも、生き残るために戦う事は、彼らとその親類たちにとっての絶対の正義です」

 翁へと姿勢を正して向かい立つ。

「故に、俺自身と他の者たちの為に、俺は塹壕基地とあの巨人を下し、皆と共に必ず勝利を得ます」

 ゆっくりと屈んでいき、座礼を示す。

「翁。どうか今一度、部下達を立ち上がらせる言葉を掛けて頂きたい。長老であり、最古参であるあなたの言であれば叶うはずです」

「ふぉふぉ。頭をお上げください、そしてお立ちなさいな影狼様」

 言葉に従い上体を起こし、再び脚を地に立てる。

「この老体、元より義に果てるつもりですとも。それよりも、皆の先頭に立つあなたがその様な態度を見せてはそれこそ士気に差し障りますぞ。目の前のはどうぞおしゃべりないわおとでも思いなさいな」

 冗談交じりに答えてくれる翁に感謝すると共に、自分の心の内で勝利への決意がより強くなるのを感じた。

 その時、三人目の人間が現れる。

 少年だ。

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