第9話

 月曜日の1限目。1週間で1番タルいこの時間は武田先生の数学だ。

 俺は数学が苦手だ。暗記は得意なので、暗記するだけで点を稼げるような教科は得意。でも数学は、公式に当てはめればすぐ出来るような問題とか解き方のマニュアルを知っているような問題なら解けるけど、出題者の性格の悪さが伝わってくるような複雑な問題になってくるともうお手上げだ。要はセンスがない。

 昨日も杉本が帰ったあと必死で宿題を片付けたけど、どうしても解けない問題がいくつか残った。1年時の復習だったのに…このクラスのレベルの高さを思い知らされた。


 昨日はその前日と違って早く目が覚めた。というか、覚めさせられた。

 目覚めた時なんか重いと思ったら、杉本の腕が俺の上に覆いかぶさっていたのだ。

 俺はイラッとしてその腕をどかした勢いで、そのまま両手で杉本を転がしてベッドから落としてやった。

 ドサッという音に少し遅れて「いでっ!」という声が聞こえる。

 杉本がムクッと起き上がると、寝ぼけた声で「あれ?俺、落ちた?」と言うので「うん、落ちた」と、しれっと言ってやった。落とした、んですけどね。俺、杉本に対する扱い悪すぎかな。ちょっと反省しよ。

「トイレ」

 ユニットバスに向かう杉本に心臓がドキッと跳ね上がる。

 昨日の夜、1人で致してしまった痕跡は残ってはいないだろうか。最期にちゃんと確認はしたけれど。

 というか俺は何で昨日、さらっと杉本を受け入れたのだろう。いきなりキスされて、生理的に嫌なら突っぱねることも出来たのに、何故か「ノって」しまった。てことは生理的には嫌いじゃないってことか。うん。嫌いじゃないってことか。うん。なんでか2回、確認する。

 ジャーとトイレを流す音と共に普通に出てきた寝ぼけ顔を見て、昨日の俺のした事がバレていないことを確信。

 その後「朝ごはん」と言って前日コンビニで買ったロールパンを食べようとする杉本に「宿題やりたいから、もう帰って」と無理やり着替えさせ、ロールパンとペットボトルを押し付けて追い出した。追い出してしまってから、洗濯カゴに昨日着ていた杉本の下着が入っているのを見つけて、くそっ、と触らないようにカゴごとベランダへ持っていって洗濯機の上でひっくり返した。2日続けて洗濯機回すなんて光熱費の無駄だ、とぼやきながら。


 武田先生が黒板を使って宿題の解説をしているところに、ガラッと後ろの扉が開いて「すいませ~ん、寝坊しました〜」杉本がと入ってきた。

 またかよ、と俺が思ったのと「またですかー?」と武田先生が抑揚をつけない声で言ったのは同時だった。

「遅刻10回で指導室だからな」

「わかってまーす。去年も行ってまーす」

 おどけて席に座ろうとする杉本に武田先生が「杉本」と声をかけて「眠気覚ましにこれやってみろ」と黒板に1つの数式を書き出した。

 あ。あれは…俺がどうしても解けなかった問題…。

 杉本はあからさまに、え〜、と嫌な顔をしていたけど、鞄を机の上に放り投げるとその足で黒板に向かった。

「因数分解。やってみ」

 そして武田先生は脇に下がって舞台を杉本に譲ると、腕を組んで見守る姿勢をとる。

 杉本がじっと黒板に書かれた数式を見つめた。

 10秒…くらいだったと思う。教室はシンと静まり返り、開け放たれた窓から鳥の鳴き声だけが聴こえていた。

 不意に、まるでそれが作法でもあるかのように、杉本が音もたてずにチョークをスッと2本の指でつまんで持った。

 左利き…。

 そういえばずっと左手でスマホを操作していた。

 それから一気にカッカッカッとチョークで黒板に=ひとつと数式ひとつを書いて、これが答ですという、スラッシュを2本並べたような印をカツカツと最後に書くとチョークを置いた。え?それだけ?途中の式は?

 武田先生に向かって「合ってる?」と問いかけると、先生はフッと笑って「おまえみたいなやつがいるから、俺ら教師はやりにくいんだよな」とため息をついた。正解、の意味。

 しゃっ、とガッツポーズをして席へ戻ろうとした杉本に「あ、今日、放課後指導室な」と武田先生が声をかける。

「え?まだ遅刻2回だけど…」

「俺、先週中に髪色、戻してこいって言ったよな?」

「……」

 クラスのあちこちから笑いがあがった。

 俺は笑えない。黒板の数式を見つめながら、あいつ俺の邪魔ばっかりしてたくせにいつの間に宿題なんかやってたんだよ、と考えていた。なんか腹立つ。

 杉本が席に戻ってきたその一瞬、目が合う。急に怒りが消え、ジワっと体が熱くなって、慌てて目を逸らした。あれ?俺、意識してる?

 あのときセックスには至らなかったものの、かなり濃厚なキスを交わした。それにあの、右手の感触が…。

 いやいやいや、大丈夫。今ならまだ、ただのクラスメイトに戻れる…はず。

「これなぁ…ったく暗算しすぎだろ…ここにあと3個ぐらい式、入れた方が解りやすいから」

 武田先生が、問題の式と杉本の書いた解答の間に矢印を入れて、補足の式を書き始めた。


「俺が宿題なんかやるわけないじゃん」

 数学の授業が終わり放課になったところで杉本に、いつの間に宿題をやったんだ、と尋ねたらこの回答だ。

「え?じゃあ、さっきのぶっつけでやったってこと?」

「うん。俺、数学得意」

 へー…。あ、そう。要するにキミは俺には無いセンスの持ち主だってことね。それで特進クラス。へ〜なるほど、なるほど、そーゆーことか…って腹立つ!

「あ〜放課後、指導室…」

 面倒くさそうに杉本が机に突っ伏した。

「へこむなよ」

 せめてもの腹いせに、からかうように言ってやった。

「へこんでねぇし!」

 すぐに抗議の言葉が返ってくる。が、「あ」と思い出したように言った。

「やっぱ、へこんでたわ」

「え?」

「拒否られた」

 え?

 杉本が突っ伏した腕の隙間から、チラッと片目だけで俺の方を見た。

 何のことを言っているのかは分かる。

 いやいやいやいや!アレは拒否ったとかそういうんじゃなくて、これからの俺たちの関係性というか、今後のことを考えてさ!え?なに?ていうか…おまえはヤりたかったわけ?

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