第17話:ヘムロック教会孤児院

 着任? してからの一ヶ月はあっという間に過ぎ去っていった。

 最初のうちこそ時折頭上を通過していく監察宇宙軍の航空機に気を取られることも多かったが、やがてその頻度は減り、気がつくとエクレアは紛いなりにもヘムロック教会孤児院の生活に溶け込んでいた。


 ネオ・ジーランドの気候区分は地球の温帯に酷似している。冬季は日中気温が摂氏5度にまで下がり、夏季はそれが摂氏35度にまで上がる。

 エリスの一年は五百と六日間だ。入植した移民たちの自治政府は季節の移り変わりを地球と同じくするためにとりあえず一年を十二ヶ月に分割した。自転速度は地球時間換算で二十五時間。エリスの地軸が少し傾いているため、地球と同じく二月が一番寒く、八月が一番暑い。

 一週間は地球と同じ七日間。地球での生活と同様、月曜日に週が始まり週末の土曜日と日曜日が休日となる。

 各々の一ヶ月は四十一日、ただし最初の一月と最後の十二月は四十八日間。毎年最後の七日間と年初の七日間はエリス自治政府によってエリス入植を記念する休日とすることが決定された。

 この決定は一部の国──特に二月を年の初めとする中華圏と九月を初めとするユダヤ圏──を出身とする人たちには不評だったが、かと言ってエリスの五百六日を地球の三百六十五日に割り振る妙案もなかったため、一部の人達は嬉々として、そして異議を唱える人々も渋々エリス歴に従った。

 キリスト教信者達はクリスマスの設定に頭を悩ませていたが、バチカンからの聖職者移民団がエリスの十二月を地球の十二月と同等に扱うと決定したことで今のところは落ち着いている。

 最悪だったのは世界で最大の信徒数を誇るイスラム教だ。イスラム教では日に五回の礼拝が義務付けられている上、一年の行事が綿密に設定されている。さらにイスラム教の新年は七月の半ば、彼らはいまだにイスラム教の教えをいかにしてエリスの環境に順応させるかについて議論を続けていた。

(バカバカしい。地球の神様がエリスにまでご加護を下さる訳がないじゃない)

 エクレアは家族を失った時にそうした信仰心を一切捨てていた。敬虔深い信者たちの白熱した議論を見るたびに白けた気分になる。かといってそれに割って入って議論を中断させるほどの熱意もない。

 こうしてエクレアは世間の趨勢からは少し弾き出された状態で今日も無神教者として生活していた。

 

 今年はエリス歴で二十一年目に当たる。そして今は九月、気候の良いこの時期は各学校が文化祭や運動会を開催することがいつの間にかに世間の通例となっていた。

「みんな〜、集まって〜」

 Tシャツ姿のルビアが大きく両手を広げ、自分の周囲に集まるように子供達に大声で呼びかけている。

 今園庭にいるのはルビアのほかシスターが四人、そして少し離れたところにエクレアが一人。

 一ヶ月子供達と過ごしてみたが、結局エクレアは孤独なままだった。

 初めの頃こそ物珍しげに子供達がエクレアの周りに集まったりもしていたが、特に面白いことをしてくれないことがわかると、子供達は徐々にエクレアの元から離れて行った。


 一人を除いて。


 その子の名前はアンと言った。カナダ系移民の両親はアンを安全な地下室に押し込むとイントルーダーの猛攻に果敢に立ち向かい、そして戦火の中散っていった。

「……アン、あなたは行かないの?」

 エクレアは棒のように突っ立ったまま、上からアンに声をかけた。

 今、アンはエクレアの足元の地面を棒で突いて何やらいたずら書きをしている。

「エクレア先生が行くなら行く」

 しゃがんだまま、アンがエクレアを見上げる。

 アンの瞳は綺麗なブルーだ。髪の毛はエクレアと同じシルバーブロンド。その髪は毎朝シスターの手によって綺麗に一本の三つ編みに編み上げられていた。

 年齢は六歳。ネオ・ジーランド事変が起きたのは十五年前だが、その後も散発的にイントルーダーからの被害は続いている。アンはそうしたイントルーダーからの攻撃による戦災孤児だ。

「そう。でもわたしは後ろから見守る係だから……」

 集団行動が苦手なエクレアは自ら子供達を後ろから見守る係を買って出た。

 エクレアに孤独癖があることに気づいていたシスター達もそれを容認し、今ではここがエクレアの定位置だ。

「じゃあ、アンも行かない」

 アンは再び手にした小枝でいたずら書きを始めた。

 両側に大きな人が線画で描かれている。その真ん中の小さな人物はきっと子供なのだろう。三角形のスカート。丸い顔に笑った瞳。

 アンの描く絵柄はいつも同じだった。二人の大人に一人の女の子。


 以前夜廻りついでにアンの寝姿を確認しに行った時、古いぬいぐるみを抱くアンの枕元に煤けた写真が大切そうに飾られていたことを思い出す。

(あれはアンのご両親が唯一遺した思い出の写真なのです)

 一緒にいたシスターがエクレアに囁いて教えてくれた。

 写真の中の両親、それに幼いアンが皆幸せそうに微笑んでいる。

 アンは、毎日その写真を地面に模写して過ごしているのだった。

「おーい、アンー、おいでー」

 遠くの方からルビアがアンに声をかける。だが、アンが動く様子はない。

「わたしが見ておくから」

 エクレアはアンの代わりにルビアに答えた。

「わかりました〜」

 ルビアはおどけて敬礼すると両手を広げて子供達を校庭の中心へと誘って行った。


+ + +


 ヘムロック教会孤児院は北米大陸の文化が色濃く反映されたアメリカ風の孤児院だ。

 名前のヘムロックは地球の北米大陸に広く分布する樹種の名前から頂いた。北米風の孤児院のため、ヘムロック教会孤児院にはいわゆる運動会というものがない。一応エリスにも体育の日フィールドデイが設定されていたが、これは自由参加のいわば休日であり団体で行う日本のような運動会とは大きく異なる。

 地球で日本文化が広く受け入れられていることを受けて、ヘムロック教会孤児院も日本の小学校の運動会を模倣した様式を取り入れていた。入場行進に始まってクラス対抗の徒競走、障害物競争に玉入れ、綱引き、中距離リレー。そして最後は子供達全員が参加するワルツの演舞。半日ほどのイベントだったが、これといって他に楽しいイベントがあるわけでもなく、子供達は運動会を心待ちにしていた。


 それにもう一つ、運動会には重要な目的がある。

 それは孤児達の引き取り先を募ることだ。

 孤児達もいつかは孤児院を離れて独り立ちするだろう。だが後見人は必要だ。そのため孤児たちの引き取り手を探すことも孤児院の重要な機能の一つとなっていた。

 ヘムロック教会孤児院の場合、春と秋の二回運動会を催すのが慣わしとなっている。それぞれで広く観客を集め、そして集まった観衆に孤児達の引き取りを呼びかけるのだ。


「アン、行かなくてもいいの?」

 エクレアは腕組みをして棒立ちになったままアンに訊ねた。

「うん」

 グジグジと地面にいたずら書きをしながらアンがエクレアに答える。

「だって、アンはエクレア先生が好きなんだもん。それにダンスの練習なんてしたくない」

 つと、アンは顔を上げると校庭の中央でグルグル回っている子供達を見つめた。

「……だって、面白くなさそうなんだもん」

「でもここでいたずら書きをしているよりは……」

 エクレアが発した言葉をアンが途中でさえぎる。

「アンはね、エクレア先生と一緒にいたいの」

 今日のエクレアはベージュのチノパンにグレーのトレーナーという出立ちだ。背中には特注したオレンジ色の稲妻が描かれている。

「アンはね、エクレア先生が好きなの」

 アンは顔を上げると、真っ直ぐにエクレアを見つめた。

(なぜ?)

 エクレアはその言葉に戸惑いを禁じ得ない。

 わたしは特にアンに好かれるようなことはしていない。

 ただ、そこにいるだけ。一応必要最小限の社会的な活動はこなしていたが、エクレアは自分がアンに好かれる理由がどうしても判らなかった。

「エクレア先生は優しいもん」

 アンがさらに言葉を繋ぐ。

「優しい?」

「うん。アンには優しいの」

 アンは真っ直ぐにエクレアを見つめたままそう答えた。

「他の先生と違ってエクレア先生はアンのことを叱らないもん」

「そう?」

 気がつくと、エクレアは腰を屈めて目線をアンに合わせていた。

「うん」

「そう、か。じゃあ一緒にいましょう」

「うん」

 アンは笑顔になるとうなずいた。微かに翳りを帯びた、でも嬉しそうな笑顔。

 運動会まであと二ヶ月と数日。運動会が終わればひょっとしたらアンにも良い里親が見つかるかも知れない。

(アンはわたしの妹分、なのかな?)


 それはエクレアが初めて他人との絆を感じた瞬間だった。

 思えば、エクレアは子供の頃は活発な明るい少女だった。

 だが、ネオ・ジーランド事変以降、エクレアは暗い子供になった。ずうっと部屋の隅にたたづみ、ただ暗い目をして外を眺めていた気がする。

 アンと同じだ。

(でも、じゃあアンのことはもっと大切にしないと)

 エクレアはそう決心すると、

「じゃあわたしも混ぜて?」

 とアンのいたずら書きの背景に森と平原の絵を描き始めた。

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