第8話:帰艦パーティ

 アルテミスの居住区画は艦の重心付近、回転するアームの先にあった。

 右舷スターボード左舷ポートサイドに別れたこの区画はちょうど〇.七五Gの重力を発生させるようにゆっくりと回転している。

 アームが展開されているということは、今は平時でイントルーダーの機影が見えないことを示していた。

 一度戦闘待機状態バトル・ステーションに入ればこのアームは艦内に収納され、居住区画もアルテミスの艦内に収容される。

 今アームが伸びて居住区画がゆっくりと回転しているこの状況は極めて好ましい。

「では、バレンタイン隊の帰還を祝って、乾杯サルート

乾杯サルート!」

 クリステル艦長の号令で艦内食堂ギャレーに集まった乗員はグラスを掲げた。

 酒の配給は艦隊の伝統だ。アルテミスは国連監察宇宙軍、エリス分遣艦隊のしかも旗艦だ。従ってたとえ軌道空母であろうともアルテミス艦内の酒の配給は艦長の権限だ、というのがクリステル艦長のロジックだった。

 配給はビール三缶、ないしはラム酒100ml。ネルソン提督の頃からの伝統でアルテミスにもちゃんとラム酒が常備されている。

 ただし、風紀を乱すような酔い方は厳禁、乱れた酔っ払いは問答無用で営倉送りになる。軌道空母の中は常に人手不足だったから監禁されるにしてもせいぜいが八時間だが、仲間が楽しそうにしているところで個室に閉じ込められるのはあまり嬉しくない。

 ギャレーに集まったのは五十名ほどだろうか? アルテミスの全長は四百五十メートル、乗員数も五千人を超える。どうやら上級士官しか集まっていないようだ。

「艦長、水兵さんたちがいないようですな」

 バレンタインはビール片手にクリステル艦長に歩み寄ると不審に思っていたことを直接艦長にぶつけてみた。

 バレンタインに表裏はない。逆にいえばそれだけガサツだとも言えるのだが、クリステル艦長はそんなバレンタインの直接的な物言いが嫌いではなかった。

「ああ、あの子達は今頃違う区画でパーティしてるわ」

 自身もビールを缶から飲みながらバレンタインに言う。

「こんな士官だらけのところに呼んでもかわいそうじゃない?」

「ま、確かにね」

 バレンタインは肩を竦めた。

 アルテミスの水兵達はいずれも十代の若い兵だ。中には三十過ぎのベテランもいたが、いずれも階級は曹長止まり。

 翻ってバレンタインは中佐、エクレアですら大尉だ。階級が二つも違えば下から見ると雲の上の人になってしまう。そんな連中が集まっているところに曹長をいれたところで気の毒なことにしかならないだろう。

「……なるほど。だからここはベテランズ・クラブなんですな」

「なによ、ベテランズ・クラブって」

「なに、若いのがいないって意味ですよ」

 バレンタインはヘヘヘ……と笑うと再びクリステル艦長に話しかけた。

「ところでアラン副長の姿が見えないようですが?」

「彼なら今頃ブリッジでむっつりしているわよ」

 クリステル艦長は楽しそうな笑みを浮かべた。

「艦長と副長が揃って酔っ払う訳にもいかないじゃない? だからね、相談したの。案の定アランが折れて私が今ここにいるってわけ」

 なるほどね、とバレンタインは頷いた。

 いかにもクリステル艦長を常に立てるアラン副長らしい判断だ。

「では、お言葉に甘えてこちらは楽しませてもらおうとしますか……」

 と、突然艦内の照明が暗転した。

 赤色の緊急灯。同時に艦内放送が艦内に響き渡る。

『アテンション。SIDスペース・イントルーダー・ディテクターシステムがイントルーダーの侵入を確認した。これより本艦は戦闘待機体制バトル・ステーションに移行する』

 艦内放送はアランの声。ブリッジの士官が出払っているため、自ら艦内放送を行なっているようだ。

「あらあら……」

 クリステル艦長はビールを流しに捨てると艦長帽を被り直した。

「バトル・ステーション。居住区画が収容されるまでここに待機。収容後各自任務に当たれ」

 クリステル艦長はよく通る声でギャレーに集まった士官達に命令を伝達した。


+ + +


 その頃、航空長のアーロン少将はローテーション表を眺めながら悩んでいた。

 出られるチームがほとんどいない。バレンタイン隊はもう飲酒してしまったようだからNG、エクレア隊は帰還直後。エクレア達は飲酒しないがこの前飛んだばっかりだ。

「参ったな……」

 一万キロ先にいるフナサカの航空長とも連絡を取ったが、フナサカは出せる隊がないという。それにフナサカはもうすぐエリスの裏側に入る。

 今入ってきているイントルーダーに一番近いのはエンタープライズ、だが今の軌道予測ではエンタープライズもイントルーダーが大気圏に突入する前にエリスの死角に入る。やはりアルテミスからアルバトロスを出すしかない。

 しかたなく、アーロン少将はバレンタインへの回線を開いた。

「バレンタイン隊長、エクレア隊は出せますか?」

 アーロンの物言いは腰が低い。傍目から見たらどちらが上官か判らないほどだ。

『ああ、出せます。あいつらただのバトルマニアですからね、喜んで出ると思います』

「ではお願いします。でも、もう一機はどうします?」

『少将、俺にそれを聞きますか? 私にそんな編成の決定権はありません……とは言え、気持ちはわかりますよ。最悪のタイミングですからね。タナカの隊はどうですか?』

「タナカ、ですね」

 アーロンはすぐにローテーションパネルを開くとタナカ隊が最後に出撃した日程を確認した。

「ああ、いいですね。最後の出撃は四週間前、か。タナカは出られるんですね」

『はずです。あいつらは酒を飲みませんし、それにバカ真面目ですから。今頃もうバトル・ステーションしているはずです』

「了解です」

 アーロンはすぐにタナカとの回線を開くと、スクランブル指令を伝達し始めた。


…………


 ヘッジホッグ隊は健闘した。

 一〇隻の軌道攻撃艇ガンシップヘッジホッグが出撃し、熱圏低層までイントルーダーを追撃する。核攻撃一〇回、噴射された三十ミリ劣化ウラン弾は五十万発。三体のイントルーダーは破壊したが、最後のイントルーダーがどうしても沈まない。

 最終的にイントルーダーが中間圏に侵入したところでヘッジホッグ隊は追撃を軌道要撃機インターセプターにバトンタッチすると、高高度軌道に展開している衛星基地へと引き返して行った。


 地球上でのスクランブルとエリスの軌道要撃機のスクランブルの最大の違いは待機時間の長さだった。

 地球上では領空侵犯があれば速やかに要撃機が出撃する。

 それに対し、地上に制空基地を持たないエリスではスクランブル命令がでてもすぐには出撃できない。全八隻の軌道空母が常に軌道を監視し、SIDスペース・イントルーダー・ディテクターシステムもイントルーダーの侵入に対して警戒している。高高度軌道に設置された合計七つの衛星基地群も同様だ。

 彼らはイントルーダーの接近を察知するとすぐにスクランブル待機指令を発令する。発令を受けた航空長フライト・オフィサー達は降下ドロップできる軌道要撃機を選出し、彼らを戦闘待機状態バトル・ステーションに移行させる。

 ところがここからが長い。

 イントルーダーとヘッジホッグ隊がせめぎ合うあいだ、軌道要撃機は軌道空母で待機状態になる。パイロット達は発艦デッキで戦術パネルを睨み、あるものは雑誌を読んで時間を潰し、あるものは音楽を聴きながら身体を揺する。

 あるいは耐熱パネルを装着し、射出に備えるパイロット達もいる。

 そしてエクレアは後者のタイプのパイロットだった。

 新品のOFA-71アルバトロスのコクピットに収まり、すぐに耐熱パネルを装着する。

 バックミラーの中のルビアは何を聞いているのか笑顔で身体を揺すっている。

 だが、その手は止まらない。イントルーダーが移動するたびにスクリプトを書き換え、これからの降下ドロップミッションに備えている。

『ルビア、何を聴いているの?』

 エクレアはインターコムを通じてルビアに話しかけた。

 スクランブル待機命令が出ると軌道空母の発艦デッキはすぐに解放される。

 真空になった発艦デッキでのコミュニケーションはもっぱらインターコムを通じて行うことになる。

 今、エクレアの前のコミュニケーション・パネルには空席のタナカ隊のパイロット席と楽しそうなルビアの姿が映っていた。

『エクレアも聴く?』

 ルビアがパネルを操作し、自分が聴いている音楽をエクレアのチャンネルにも回してくれる。

『ラテンよ。明るいでしょ?』

 それはスペイン語の歌謡曲だった。これをラテンだというルビアのコメントには正直同意できなかったが、アップテンポの楽曲は確かに楽しい。

『ありがと』

 エクレアは目の前の戦術パネルの表示をヘッジホッグ隊とイントルーダーの戦闘状況に切り替えると、ルビアが回してくれた音楽を聴きながらしっかりとリラックスした。

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