生贄団地

第1話

※※※




 これは、俺が十五年程前に住んでいた、ある団地であった実際の出来事である。




※※※




「想像してたよりボロいな……」



 ポツリと小さく呟くと、目の前に建つ年季の入った団地を見上げる。

 築21年だというその団地は、周りに建つ高層マンション群に囲まれ、日当たりが悪く陰湿な雰囲気を漂わせているせいもあってか、その年数以上に古めかしく感じた。

 こうして改めて見てみると、真新しいマンションに囲まれて建つこの団地は、綺麗に整備された土地にそぐわなすぎて随分と異質なものに見える。


 急遽、一年間の期限付きで出向を命じられた俺は、出向先であるこの土地での仮住まいをネットで探すことにした。

 最近の賃貸契約とは随分と便利なものがあるようで、物件探しから手続きまで全てネット上で済ませられるものがあるらしい。そこで出会ったのが、この団地だった。


 正直、一年間ということを考えると、通勤に不便でさえなければどこでも良かった。この土地に永住するわけでもなければ、住宅手当が出るほどの高待遇でもない。とすれば、やはりこの団地に決めた理由はその家賃の安さだった。

 

 最寄駅からタクシーで移動する最中、目的地を告げると「あぁ……あの、”生贄団地”ね」と言った年配の運転手。その運転手によれば、その昔この土地では、長きに渡る日照りで作物が育たない時期が続くと、人身御供ひとみごくうの生贄を捧げて雨乞いをする風習があったのだとか。

 その名残りからか、かつて生贄の祭壇があったとされる土地に建てられた団地は、今では”生贄団地”というなんとも不名誉な名前で呼ばれているらしいのだ。


 だが、目の前に建つ団地を見ると、そう呼ばれるのも妙に納得してしまう。

 それほどに、暗く陰湿な雰囲気がこの団地から漂っているのだ。



「まぁ……一年だしな」



 家賃の安さを思えば、”生贄団地”なんて人から呼ばれていようが特に気にはならなかった。

 チラリと敷地内を見渡すと、一角にあるブランコで子供達が遊んでいる姿が目に入る。どうやら、全く人が住んでいないというわけではないらしい。

 


「後で、挨拶にでも行くか」



 大した荷物も持たずにキャリーバッグ一つで越してきた俺は、階段で五階まで上がるとさっそく荷解きに取り掛かった。男の単身での引っ越しとは簡素なもので、荷解きを10分程で終わらせた俺は、その足で近くにある商業施設へと出向くと、布団やカーテンなどといった必要最低限の家具だけを購入した。


 一通りの準備を済ますと、予め買っておいた菓子折りを持って四階へと降りる。

 どうやら向かいの部屋は誰も入居していないようなので、下の階の住人にだけ挨拶をしておけば充分だろう。そう思いながら、俺は目の前のチャイムを押し鳴らした。




 ———ピンポーン




『——はい』


「あ。すみません、上の階に越してきた山下です。引っ越しのご挨拶に伺ったのですが……」


『…………』


「あの……?」


『……あ、はい。今出ます』



 長い沈黙の後、目の前の扉から現れた主婦らしき四十代の女性。まるでいかがわしい者でも見るかのような態度に、俺は随分と不躾だと感じながらも笑顔を向けた。



「これ、つまらないものですが……。よろしくお願いします」


「……五階に?」



 挨拶を返すでもなくそう言った女性は、菓子折りと俺の顔を交互に見るといぶかしげな顔を見せる。



「あ、はい。山下です。……よろしくお願いします」


「…………わかりました、それじゃ」



 憮然ぶぜんとした態度で奪うように菓子折りを受け取った女性は、それだけ告げると扉を閉めた。



「……っ!?」



 そんな態度に呆気に取られながらも、気持ちを切り替えてその向かいのお宅のチャイムを押し鳴らす。




 ———ピンポーン




『——はい』


「……あ。上の階に越してきた、山下といいます。ご挨拶に菓子折りをお持ちしたんですけど……」


『…………。そこに置いておいて下さい』



 それだけ告げると、プツリと途切れた音声。俺は言われた通りにノブに菓子折りを下げると、そのまま五階にある自宅へと戻った。

 先程の女性といい、ここの住人は随分と不躾な人が多いようだ。まだ二人の住人としか挨拶を済ませていないとはいえ、そのあまりに失礼な態度を目の当たりにした俺にとって、この団地に暮らす住人は最悪だと印象付けるのには充分な出来事だった。

 

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