6.今日はその日では…?

 フレッドとチェルシーの二人は仮面夫婦ではあるが寝室は同じだ。大きなベッドの真ん中に目に見えない壁が存在するかのように、互いのパーソナルスペースを確保して寝ている。それならいっそ別にしたほうがいいのかもしれないが、フレッドがそう言い出さない限りはチェルシーから言えるはずもない。


 それに一緒に寝ているお陰で、夜のおつとめも可能なわけで。チェルシーには世継ぎを産むという大義があるのだ。寝室を分けていれば、そういう雰囲気になることも難しいだろう。

 男性の詳しいメカニズムなんてチェルシーには分からないが、どうにも治まらないことがあると聞いた。なんとなくそのサイクルは月一で訪れるのではないか、と思っている。というのも、ちょうどそれくらいのスパンで行為に及んでいるからだ。

 その頻度について誰にも尋ねたことはないし、教えてもらうこともなかったので、それが誤解だなんてチェルシーが気付く由もない。


 フレッドはいつも仕事が忙しいのか、チェルシーが眠りに落ちてから寝室に入ってくる。たまに夜中に目が覚めたときに、ぼんやりとその存在を認識するのだ。

 しかし月に一度、そのときだけはチェルシーが起きている時間に寝室に来る。それがいつしか暗黙の了解となっていた。


 * * *


 寝支度を整えたチェルシーがベッドで本を読んでいると、ドアの開く音がした。そちらに目を向ければフレッドが寝室に入ってきたところだった。恋愛小説に夢中になり、いつの間にか夜更かしをしてしまっていたのかと時計を見ると、まだいつもの就寝時間よりも前だ。と、いうことはそういうことなのだろうか?


 最近したばかりなのに……。だってまだ前回肌を合わせてから、2週間も経っていない。


 今日もするのですか?なんて、乙女から言えるわけもなく。いや、しかし子作りをするとも限らない。フレッドだってたまには早く寝たい時だってあるだろう。絶対そうだ。

 危うく勝手に夜着のリボンを緩めてたりしていたら、恥ずかしい思いをするところだった、と内心で汗を拭う。


「お疲れですか?明かりを消しますね」

 平静を装いながら声を掛け、再び本に落としていた視線をフレッドに向ける。無表情で近付いてきた彼は、まだほんのりと髪の毛が湿っていた。湯あみを終えたばかりなのだろう。


 いつものときのように……。


「……消してもいいがまだ寝ない」

「へ?」


 混乱しきりのチェルシーは間抜けな声を出してしまった。しかしフレッドは気にするふうでもなく、彼女の持っている本をナイトテーブルに置いた。

 そして緩く編んでサイドに流したチェルシーのキャラメルブロンドの髪を解く。その手つきはとても優しい。


(えっ!えっ!今日はその日ではないのでは?一体どうしちゃったのかしら?)


 目を回しているチェルシーに構うことなく、頬に手を置いたフレッドは相変わらず無表情だ。でもいつもの眉間に皺はない。


「チェルシー。今日はいいことでもあったのか?」


 どうやら彼は無表情ながらも、チェルシーの変化を気にしてくれているらしい。

「そんなふうに見えますか?」

 しかし本人に拾った紙のことを尋ねるのも憚られたから、濁すように質問を質問で返した。

「とても楽しそうで……。珍しいと思った」

 そんなチェルシーに構うことなく、フレッドは答える。心なしか表情が柔らかく見えるのは、近すぎる距離なのに威圧感を感じないからか。

 しかし彼のほうが表情も、口数だって珍しいですけど……とは言えない。そもそもここまで会話が続いたことがあっただろうか。本日、二人の関係にとって、珍し過ぎることばかり起こっている。


 そして薄暗い中でチェルシーを見つめるフレッドの赤銅色の瞳は、マリーが娘に向けるそれにとても似ていた。これってもしかして……。


「可愛い……?」

「え?」

「可愛いと思って下さってます?」

「……!」

 目を見開いた彼のこの表情は本日何度目か。言ってしまってからもう遅いが、なんという恥ずかしい発言だろうか。考えなしに言葉を発してしまってから、羞恥に頬が熱くなる。


 ——真っ白なチェルシーの頬はほんのりと赤く染まり、深いエメラルドグリーンの瞳が揺らめいていて見上げている。自身のことで精いっぱいなチェルシーは、フレッドがグッと空唾を飲み込んだことに気付かなかった。


 フレッドからの返事はないが、代わりに剣だこのある固い掌が頬を撫でる。くすぐったくって目を少し細めた隙に、ついばむように合わされる唇。それはいつもよりもとても甘い。


 普段は申し訳程度に合わせるような口付けなのに、いつまでも離されず、ついには唇同士に隙間がなくなっていた。


(どうしましょう!いつもより息苦しいわ……!)


 余りにも苦しくて、酸素を求めたチェルシーは唇を少しだけ開く。するとその隙間から、ぬるりとしたものが入り込んできた。


「……んむっ」


 食べられてしまうような、こんな口付けは初めてだ。上半身は起こしていたはずなのに、いつの間にか背中をシーツに預けている。


 溺れてしまいそうで、苦しくて。必死になって受け入れていると、漸く唇は離れていった。

「ハァ、ハァ」

「あまりにも……。すまない」


 何に対して謝っているのか、ちっとも分からない。苦しいほどの口付けをしてきたことか、それとも既に夜着の前をはだけさせていることか。一体いつの間に……?


 合わせ目から手を差し込んで、結婚してから成長をした膨らみを持ち上げるようにして掌で包む。その時に指先が先端に触れて、チェルシーはぴくりと跳ねた。

 いつも身体を合わせるときにだって、ここには触れてくるが今日はなんだか性急だ。力加減は優しいが、指先が焦っているように思えてならない。


 ここでチェルシーは気が付いた。


 もしかしたら、するタイミングを間違えて慌てているのかもしれない。


(やっぱり今日は、する日ではなかったのにキスをしてしまったから……。どうしていいのか分からないのかもしれないわ。私だってお稽古の日を間違えていたのに、言い出せなかったことがあるもの)


 だからチェルシーは伝えようと思った。気持ちは分かっているから心配しなくてもいい、と。今ならまだどこも汚れていないから、このまま寝れるだろう。


「フレッドさま、気持ち、ぃ——っ!」


 しかし妖精の悪戯か。チェルシーが話し始めると同時に、フレッドの指先が敏感な頂を摘まんで磨り上げた。言いかけた言葉は中途半端になってしまったのだった。


 頤を反らしてしまったチェルシーには見えなかったが、フレッドの瞳がトロリと溶ける。


「チェルシー、ここが気持ちいいのか?もっと教えてくれ」


「えっ?」


 チェルシーの意識がはっきりとしていたのはここまでだった。あとは波に揺蕩う如く、フワリとした記憶しか残っていない。


 ただ覚えていることは、何度も迫っては弾ける快感と、眉根を寄せて苦しそうな表情をしているフレッドだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る