第四章 人形と悪魔
第四章 人形と悪魔 1
エリアスに呼び出されたのは、機構に戻って二日目の朝のことだった。
会議室でイザヤを出迎えたエリアスは、形式的な挨拶すらすることなく、唐突に話し始めた。
「場所はジェリコ村。前回と同じく、教会案件だ。だが今回の任務は、通常とはやや異なるものになっている」
「と、言いますと」
イザヤの曇った眼差しを、エリアスがちらりと見返した。
「目的は、回収ではなく調査だ。もちろん、必要とあらば回収は行ってくれ」
そう言うと、彼は早々に手元の書類入れを閉じた。
「以上だ。詳しいことは、同行司祭に聞いてくれ。もう門の前に来ているはずだ」
そうして丸眼鏡を押し上げると、「健闘を祈る」と早々に部屋を出て行ってしまった。
『今回はまた、ずいぶんと雑だな』
「忙しいのでしょう」
廊下を歩きながら、イザヤはため息まじりに答えた。
門番に名刺を差し出し、名を告げる。確認を終えて門が開けられると、緑色の祭服が目に飛び込んできた。
「お待ちしておりましたよ、イザヤさん」
その若い司祭の顔を見て、イザヤは目を見開いた。
「ラザロさん? ということは、今回同行してくださる司祭というのは……」
「はい。僕です」
そう言って、ラザロはそばかすの顔をうれしそうにほころばせた。
ジェリコの村は、馬で半日もあれば着くということだった。教会の馬に乗って街道を南へと進み始めると、ラザロはさっそく口を開いた。
「今回の件は、僕が独自に調査していたものなんです。送り込んでいた密偵からの報告を待っていたのですが、ついに今朝待ちかねていた一報が届きましてね。すぐさま機構に連絡して回収人の方を――と思ったときに、イザヤさんの顔が浮かびまして、僭越ながら指名させていただいたんです。イザヤさんとは、もっとお話ししたいと思っていましたから」
「私と?」
思いがけない言葉に目を丸くすると、ラザロは馬上の顔を楽しげにほころばせた。
「だって、年が近いし、新米という立場は同じでしょう? 修道院の一件は、僕自身とても楽し――勉強になりましたし。魔力のことを知るにも、イザヤさんみたいなお友達がいれば百人力だと思って。だから、いろいろ教えてくださいね」
「そう言われましても、私に教えられることなど……」
「たくさんありますよ。僕は神話については明るくないですし、魔力だって、実際に見聞きしたのは今回が初めてでした。まあ、僕は話を聞いただけで、イザヤさんや傀儡魔の使う魔術をこの目で見ることはできなかったんですけど」
そう言うとラザロはくやしそうに口を尖らせた。かと思うと笑顔になり、
「そういうわけで、よろしくお願いしますね、イザヤさん。よろしければ、お友達になってもらえるとうれしいです」
手綱から離した片手を差し出してきた。突然の申し出に困惑していると、エレミヤが朗笑した。
『仲間は多いに越したことはないからな。友好的に行こうぜ』
勧めに従い、差し出された手を握り返す。その手の冷たさと柔らかさが、「友達」という語句とともにイザヤの中に染み入った。稀人であることを気にせず、まっすぐ目を見て話をしてくれるだけでもありがたいと言うのに。
「こちらこそ。よろしくお願いします、ラザロさん」
イザヤの言葉に、ラザロはうれしそうにうなずいた。
「お友達になれたばかりで何なのですが、そろそろ仕事のお話をしましょうか。楽しいおしゃべりは、後にとっておきましょう。あ、宿のことは心配なさらず。きちんと用意してありますから」
そこで言葉を区切ると、ラザロはえへんと咳払いをした。
「僕らが向かっているジェリコ村は、人口二百人ほどの小さな村です。第十三教区の端っこにあって、小さいながらリベル教会もあり、常任司祭もいます。税金も滞ることなくきっちりと納められていますし、ここ数十年の間、表立ったトラブルは一切報告されていない平和な村だったのですが……最近、ちょっとした問題が発覚しまして。というより、謎といったほうがいいのかもしれません」
「謎、ですか」
「ええ。ジェリコ村には、実に十年以上、男の子供が産まれていないのですよ」
「男の子供が?」
確かめるように繰り返したイザヤに、ラザロがうなずく。
「もうずっと、女の子しか産まれていないんです。ね、不思議でしょう?」
そう言うと、ラザロは不敵な笑みを浮かべた。確かに、事実であるならなんとも面妖な話だ。
「このことを発見したのは、実は僕なんです。たまたまカナン支部で信徒籍の整理をしていたときに気づいたんですよ」
そこで言葉を止めたラザロに、イザヤは「さすがですね」と合いの手を入れた。ラザロは得意げな顔をして続ける。
「支部の上層部に報告したところ、念のため調査をすることになりまして。その役を僕が仰せつかったというわけです。イザヤさん、どう思います?」
突然問われて、イザヤは顎に手を当てる。
「そうですね。不思議ですが……偶然、という可能性は、ないんでしょうか」
「十年ですよ。その間産まれた子供は十三人。その全てが女児だなんて、さすがに不自然ですよ」
『そうだぞ。魔力の存在を疑うべきだ』
エレミヤが妙に真面目くさった口調で言う。イザヤがむっとする中、ラザロは神妙な表情で続けた。
「そしてこの間、十歳以下の子供の死亡の記録も一切ないんですよ。たまたま男児ばかりが不幸にも事故や病気で早くに死んでしまった、という可能性もないわけです」
「死亡の届け出を怠っていたとか、忘れていたということはないのでしょうか」
イザヤの疑問に、ラザロはとんでもないと言わんばかりに大きく首を振った。
「ありえませんよ。あの村は納税だけでなく、届け出を含めたそうした細かい報告もとてもきっちりと行っているんです。村の祭りで何をどれだけの量発注したか、どれだけの寄付が集まったのか、重量や個数まできっちりと報告してくるんですよ。とにかく馬鹿丁寧、馬鹿正直なんです」
そうして正面を向くと、はあっと長いため息をついた。
「そもそも男児が産まれないということであれば、それも問題ですが……僕は、実際は産まれているのにも関わらず、それを隠しているんじゃないかって考えてるんですよ」
「隠す、というと」
かつて稀人に対して行われていた因習のことが頭をよぎる。が、ラザロの言葉は意外なものだった。
「『嬰児虐殺』です。二歳以下の男児を殺すようにという王の命令で、大量の嬰児が殺されたという出来事ですよ」
なるほど、とイザヤは息をついた。嬰児虐殺。リベルの書に記載されている物語のひとつだ。
東方の三博士から「新しい王」の誕生について聞いたヘロデ大王は、ベツレヘムおよびその近郊にいる二歳以下の男児を全て殺すよう命令を下した。天使のお告げによりこのことを知った救世主の両親は、エジプトに逃れたためにこの危機を免れた。この虐殺のエピソードは「嬰児虐殺」という主題で呼ばれ、多くの画家に描かれている。イザヤも教育を受ける中で、一つだけ見たことがあった。
「嬰児虐殺の魔力に侵された傀儡魔が、産まれた男児を即座に殺している、ということですね」
「ええ。どうです、いかにもありそうに思えませんか」
ラザロの興奮ぎみの表情に、イザヤはゆっくりと首肯する。
「そうですね。じゅうぶん、ありえると思います」
嬰児虐殺には、サロメの「皿」やプシュケーの「蝶」といった形式的なアトリビュートは存在しない。ヘロデ大王やその宮殿、赤子を殺そうとする兵士、子を守ろうとする母親たちという場所や人物で表される主題だ。二歳以下の男児が殺されているというのであれば、傀儡魔は「命令を下した王」あるいは「命令に従う兵士」の役割を担っていることになる。アトリビュートは、王だとしたら王冠、兵士は剣になるだろうか。宮殿という可能性もある。いずれにせよ、現地に行ってみないことには特定できないだろう。
「密偵からの報告では、昨夜産気づいた妊婦がいるということなんです。僕らは偶然を装って村に立ち寄り、その出産に立ち会おうというわけですよ」
「出産に? 私たちが?」
「問題ありません、僕は司祭なんですから。産まれた赤ん坊には、すぐに洗礼を施さないとでしょう」
「ですが、立ち会うというのは……」
「もちろん、お産をその場で見守れってんじゃないですよ。男児か女児か確認して、女児であれば残念ですが、教会を含めた村の調査を続けます。男児であれば即座に洗礼を受けさせ信徒籍の登録をし、密偵に監視させます。必要であれば僕らも留まりましょう。とにかく、産まれたのが男児であった場合、それを隠したり殺したりする間を与えなければいいだけの話です。僕は密偵の協力を得て妊婦の家に入る手はずになっていますから、イザヤさんは家の周りを監視してもらえませんか。下手な小細工ができないように」
「すみません。その、さっきから気になっていたのですが、『密偵』というのは一体どういう人なんです? 教会の関係者ですか?」
「いえ、違います。カナン市街で探偵事務所を開いている、元傭兵ですよ。敬虔な信徒とは言えませんが、報酬分だけきっちり働きますので、仕事に関しては信頼できます。今回の件は、現地の司祭が加担している可能性があるので、教会関係者は使わないほうがいいと判断したんです」
「司祭は、どんな方なんです」
「お会いしたことはないですが、かなりお年を召した方のようです。もう三十年近く、生まれ故郷でもあるジェリコ村の主任司祭をひとりで務めてらっしゃるんですよ」
それなら、「産まれてくる子供が女児のみ」という異常事態にも気がついていないはずがない。魔力の介在の可能性が少しでもある以上、ラザロのように上に報告して指示を仰ぐのが普通だろう。
「密偵の報告によれば、村人には大変尊敬されているようですよ。『新たな王』――自分の地位を脅かす指導者の誕生を恐れている、と考えることも、そう突飛ではないと思います」
その力強い口調は、ジェリコ村の主任司祭への疑惑が確信へと変じているらしいことを示していた。何にせよ、教会と司祭は詳しく調べる必要があるだろう。
――赤子殺しなど行われていないことがわかれば、一番いいのだけど。
イザヤはラザロに悟られないよう、街道沿いの森に向けて小さくため息をついた。
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