第12話

 桜木の言う通り、映画はミステリー色の強い学園物のホラー映画だった。


 死の呪いにより、自殺、他殺、病死、事故死等、多数の死者が出る中で、主人公達は何とかそれを回避した。しかし、死を免れたのは彼らだけで、来年再来年とその呪いは次の世代へ受け継がれていくのだった。


「壮絶なストーリーだったけど、終わり方は呆気なかったな。」


「でも、その緩急がいいよね。」


「樹咲、大丈夫だった?」


「ち、ちょっと嫌なシーンがあった……けど、良かった。」


 大歓声が巻き起こる訳では無いが、未だ現実に引き戻されず、喪失感と素肌に触れる静かな空気感が心地よい。


 後ろの桜木は満足気にしているので、この映画の楽しみ方はこれで合っているのだろう。


「神栖先輩、どうでしたか?」


「面白かった。此れはレビューが捗りそうだ。」


 そう伝えると、桜木は笑みを浮かべた。


 カーテンを開けた。日はもう傾いて、外は薄暗い。肌寒い外気が窓枠から流れ混んで、肌が粟立つのを感じる。


 電気を付け、椅子も片付ける。皆は口々に映画の感想を語り合いながら、片付けを手伝ってくれている。


 この状況に何処か懐かしさを覚える。中学の頃は、他者との関わり持った学校生活を送っていた。ふざけ合って時には喧嘩したり、馬鹿やって職員室に呼び出されたり、そんな忘れようと追いやっていた記憶が、決壊したように流れ込んでくる。いつの間に、頬が緩んでいた。


 俺が変わったのは、やはり卒業してからだ。


「無人、此れ上げちゃっていいのか?」


 久遠がスクリーンを指差している。


「ああ、1回下に下ろせば勝手に巻き取られるよ。」


 彼はその様に実行した。勢いよく天井に巻き取られていく巨大スクリーンだが、不自然な挙動を取った。脈打つ様に前後に揺れ、終いには壁に飾られた時計にぶつかっとしまった。


 プラスチック製の時計は落下し、これまた当たりどころが悪かったのか、破片が床に散乱し大きく破損した。


「きゃっ!!」


 大きな音が鳴った事で、美妃と純恋が小さな悲鳴をあげる。


「あんた何やってんの!? 怖いの見た後だから、凄いびっくりしたんですけど。」


「あー、悪い……え? でも、これ俺のせい!?」


「取り敢えず、拾おっか。私、ちりとり持ってくるね。」


 白鷺がそう言って、後ろのロッカーを漁る。落下した時計の近くに居た椿は、大き目の破片を拾い始めた。俺は彼女の傍に行って、それを手伝う。


 久遠はというと、「これ直るかな」等とブツブツ呟いて、時計本体をこねくり回していた。


「……映画どうだった?」


 しゃがんで、破片を拾う椿に聞いた。


「面白かった、と思う。」


「……思う? 何か引っ掛かる所でもあった?」


「あんまり分からないの。でも、皆んな面白いって言ってるから、面白いんだと思う。」


 彼女の静かな声は哀愁が漂っているようにも、無表情な顔は怒っているようにも見える。本心は一体何処にあるのか、その床を見た眼には、何が映っているのだろうか。


 俺は彼女の事が何1つ分からない。


「そっか……今度、映画のレビューを新聞部に提出するから、手伝ってくれよ。椿の意見をもっと聞きたい。」


「……私で良ければ。」


 彼女がそう言った途端、手に持ち上げた破片が落ちた。その先端には血が付着していた。


「椿!?」


「大丈夫。これくらい……」


 彼女が手を押さえている。


 プラスチックだと思って侮っていた。割れ方が悪ければ凶器にもなり得たのに。


 異変に気付いた純恋が近寄って、ポケットからハンカチを差し出した。


「こ、これ! 使って大丈夫だから……」


「ありがとう。」


 ハンカチで傷口を押さえる。


 血は床や破片に付き、指を切ったにしては意外と量が多い。


 赤い綺麗な色をしている。それに安堵したのは、椿には内緒だ。


「俺と椿は保健室へ行くから、他の皆んなは先に帰ってくれ。」


「私、待ってるよ?」


「白鷺さん、ありがとう。でも、大丈夫だから。どちらにしろ、顧問には顔を出さないといけないし。」


「あっ、そうなんだ……」


「このゴミはどうすればいい?」


「それも顧問に聞いてくるよ。多分廃棄だから、袋貰ってくる。」


 後のことは、一応部員の桜木に任せた。視聴覚室の鍵だけ貰い、俺と椿は鞄を持って保健室を目指した。



「お、来たね。今日はどうだった?」


 保健室へ入ると、顧問の西華先生が早速出迎えてくれた。他の生徒の姿は無かった。


「先生、椿が怪我しちゃって……」


「え、そうなの!? 大変ね、こっちへいらっしゃい。」


 西華先生の前に丸椅子が出され、椿は姿勢良く座る。何気に後ろ姿の椿を見るのは、初めてかもしれない。長い髪は水面のように揺れ、そして美しい。


「どれどれぇ。あら、痛そうね。どうしちゃったの?」


「時計の破片で切ってしまいました。」


 よく分からないといった風な西華先生に、俺は補足する。


「時計が落ちてきて、その破片を拾っていた時に切ってしまったんです。すいませんが、後で袋貰っていいですか?」


「あちゃー……まあ、いいわ。私がやっておくから、此れが終わったら帰んなさい。」


「はい、ありがとうございます。」


 西華先生は面倒見が良くて、優しい先生だ。高校入学時からお世話になっている。俺は周りの人達に恵まれている。それに甘えて素直になれず、拗ねているのは、俺だけだ。


「痛い?」


「大丈夫です。」


「そっか、偉い偉い。映画鑑賞部に入ってくれて、ありがとね。無人君1人だったから、これからも宜しくね。」


「いえ、私こそ。」


「うん。はい、これでお終いっ!」


 椿の指には、絆創膏が貼り付けられた。その程度の手当で済んで、俺はホッとした。


「ありがとうございます。」


 俺と椿は、西華先生にお礼を言って、視聴覚室の鍵を預けた。


 保健室を退出後、その足で校舎を出た。赤い大きな鳥居を潜った所で、俺は話を切り出す。


「一緒に帰ってもいいかな?」


「別に構わない。家、何処にあるの?」


 外はすっかり暗くなり、街灯の光が目立っている。まばらな輝きに魅せられた彼女の顔は、より一層ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。


「御ノ社町だよ。藍堂の近くだから、家まで送るよ。」


「分かった。」


 俺と椿は、そして歩き出した。彼女の歩幅は、幽霊の葵さんと同じだ。歩き慣れたこの感覚は、懐かしく思う反面、切なくもある。


 だが、今は一緒にいるのは椿だ。葵さんと重ねるのはやめて欲しいと、はっきり本人から言われている。俺は椿の事をもっと知って、彼女だけの思い出も作っていきたい。


 聞きたい事は沢山あるが、最も気になる事がある。コソコソと影で噂されているのも知っている。


「嫌だったら話さなくてもいいんだけど、前にマスクの事を聞いたよね? いつも身に着けているのって、どうしてかなって……」


 特に此方を見る訳でもなく、眉や眼元に変化も無く、ただ淡々と彼女は語り始めた。その声は、肌寒い気温も相まってか妙に冷たかった。


「感情を面に出すのが苦手なの。笑ったり、泣いたり、喜んだり……感情も出ないものだから、表情も無い。だから、顔を隠すの。あんまり皆んなに誤解されたくないから……」


 特になんの事はない真っ当な理由だ。ここで大切なのは、彼女は決して感情が無い訳ではない。


「そっか、でもそれは立派な個性だと思う。感情が出せないのは、きっと起伏が少ないだけで、楽しい事をして育んで行けばいいんだ。」


「そうすれば笑ったり出来るの?」


「椿は、楽しいけど笑えないのか、そもそも楽しいと思えないのか、どちらになるの?」


 少し間があった。


「……どちらかと言うと、後者かも。」


「産まれ持ったのも有るだろうけど、やっぱり感情ってのは後天的に伸ばして行けると思うから、そうで有れば沢山楽しい事をやって行けばいいんじゃないかな……少なくともマイナスには働かない。」


「分かった。そうしてみる。」


 綺麗事のような、無責任なアドバイスをしてしまった自覚はある。でも、少しでも彼女の役に立てたなら、それでいい。


「マスク、外せる時が来ればいいね。」


「ええ。」


 藍堂周辺に到着してからは、彼女の誘導に従って道を進んでいく。学校から離れると、極端に道は暗く、古い家々が立ち並ぶ。人が住んでいる様子は無い。


 奥へ奥へ、深い暗闇の中。ぽつりと暖かい明かりを放つ一軒の家があった。明かりは2階から漏れている。


「ここが私の家、送ってくれてありがとう。もし良かったら、ご飯食べていく?」


 街灯の無い暗闇に佇む一軒家。その背後では、針葉樹林が不気味に揺れている。


 椿は俺の手を引っ張った。


 ギィィ、と金属音を鳴らして門が開かれ、椿の思うまま、俺は進んでいく。まるで、地獄へ導かれているような錯覚を覚えたが、それもまた一興なのかもしれない。


 椿は、ポケットから取り出した鍵で、玄関を開けた。もう後戻りは出来なくなる。好奇心と彼女の冷たい手には抗えない。


 俺は1歩踏み出し、暗く静かな暗闇に飲まれて消えた。

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