第3話

 幽霊の葵さんと出会って、「半年」が経過した。俺は進級し神委高校2年生に上がった。三つの校舎が平行して並ぶ神委高校は、旧校舎(第一教室棟)と新校舎(第二教室棟、第三教室棟)に分けられる。二年の教室は真ん中の第二教室棟3階にあった。


 新しいクラス、新しい校舎で新学期を迎える事となった。


 「友達」は未だ居ない。孤立している訳では無い。同級生は、小学校、中学校を共にしている為、皆顔見知りだ。だが、俺にとって「友達」と呼べる仲の良い同級生は一人も居なかった。


⭐︎


「これ、誰の席?」


 誰かがこう言った。


 新学期になって数日が経過したある日、座席が一つ増えていた。それは俺の隣だった。


 口々に憶測が飛び交うが、皆一様に転校生の存在を疑っている。


「無人、何か知ってるか?」


 当然隣の席である俺にヘイトが向いた。喋り掛けてきたのは、俺の前に座席を持つ遠鐘久遠という男子生徒だった。


「……いや、分からない」


「そっか……ってお前、顔色悪いぞ。ちゃんと飯食ってるか?」


「……朝は苦手だから、それだけだよ」


「ははは、お前いっつも朝寝てるもんな。野菜食って血流良くしてけ。緑色のな!」


 彼とは小学校以来初めて同じクラスになった。その筈なのに、この饒舌っぷりである。苦手なタイプだ。


「……お前は健康そうだな」


「筋肉は世界を救うんだよ」


 力こぶを作ってアピールする彼の腕は、本当に筋肉質だ。どれ程の努力を重ねれば彼のような体格になれるのか、俺は想像も出来ない。


 「何言ってんだ」と久遠の背後にいた友人らが笑う。彼らは自分達の輪を一度崩して、陣形をやや広げている。


 仲間に入るか? とでも言いたげだった。


 この「好意」に対して、俺はどんな「行為」で返すべきだったのだろうか。彼らの会話はまるでマシンガンのようで、文字通り俺の入る余地は無い。自然と彼らは自らの住処に戻っていってしまった。




「転校生だよ! 凄く可愛い女子生徒のね!」


 学級委員長の白鷺めいが言った。噂止まりだった話が現実となった。他でも無い彼女の発言だ。疑いようが無い。


「マジで!」

「転校生なんていつぶり!?」

「女子とか、テンションあがるわ!」

「男子キモいわ、流石に」

「めいちゃん、転校生と会ったの!?」

「うん、来る途中にね」

「何処から来たんだろう?」


 ゲリラ的会話の乱立。新学期早々、グループなんて関係無しに会話が飛び交うのは、十年来の顔見知りが成せる技だ。いや、顔見知りと思っているのは、恐らく俺だけで、皆は全員友達だと思っている。


 俺も中学校を卒業するまでは、そうだったんだから。


 浮き足立ったクラスメイトによる無秩序空間は、チャイムの音さえ消し去っていき、ガラリと前方の扉から担任の藤崎先生が姿を現した。


「お前ら……チャイムなったぞ! ほら席つけぇ」


 ガタガタと椅子が動かされる。静かになるのは早かった。


「この様子だと、サプライズはバレてるみたいだな……まぁ、隠してた訳じゃないけどな。お察しの通り、転校生だ。喜べ」


 先生から「転校生」の言葉が出た事で、改めて実感する。そして、窓の外で黒い人影もあった。


「転校は2度目だそうだが、こんな片田舎とは違って、都会出身だ。勝手が分からないだろうから、助けてやってな。白鷺宜しくな」


「はい」


「……後、神栖」


 急な名指しに背筋を立て直した。藤崎先生は此方を見つめて、多分返答を待っている。


「……俺ですか?」


「当たり前だろ? 隣なんだから」


「……分かりました」


「はい、宜しい」


 悪事でも働いたような、そんな気分になったのは何故だろう。


 二十三名のクラスは、今日より一名追加される。それにより、最後尾の窓際は俺では無く、転校生となった。


 俺は改めて自分の気持ちを確かめる。


 女子生徒の転校生、隣は俺だけ。確かにこの好条件が気分の高揚に一役買っている。


 だが、俺にはやるべき事があった。


 俺には「幽霊の葵さん」が居る。彼女とは、「大切な約束」をしているのだ。


 それは転校生何ぞに邪魔されて良いものでは無い。罪悪感はあるが、白鷺に全て任せて、俺はいつも通り孤独な生徒を演じよう。





「お前らが今にも廊下に出ちまいそうだから、そろそろお呼びするか……転校生、入ってい……」


 藤崎先生が言い掛けたその時、小さな悲鳴がひとつ上がった。全員がその方向に顔を向ける。


 鳴った先は窓際の女子生徒からだった。


「純恋、どうした!?」


 彼女、純恋樹咲は先生の呼び掛けが聴こえていないようで、隣の旧校舎の屋上を覗き見ていた。


「……樹咲?」


 事態を重く見た白鷺が近くまで立ち寄って、純恋の肩を叩いた事で、漸く我に返った。


「大丈夫?」


「え? ……うん」


 藤崎先生が溜息混じりで問い掛ける。


「一体どうした? なんか居たか?」


「人が居たような気がして……多分、見間違いです。……すいませんでした」


「何処に……?」


「……旧校舎の屋上です」


 純恋がそう呟くと、クラスの女子生徒を中心に悲鳴が上がる。


 旧校舎の噂は特に有名であり、全員が知っている。頭に過ぎるは、自殺した生徒の姿だ。


「なぁなぁ、落ち着けって! 噂は俺も知ってるし、亡くなった生徒がいるのは事実だ。でも幽霊なんている訳ない、そうだろ? 転校生もそこまで来てるんだから……って」


「あれ?」


 教室の扉の窓にあった人影が、いつの間にか無くなっている。藤崎先生は急いで、廊下に出て確認するが、それも遅かった。


「……居ないわ、転校生」


 またクラスがざわめいた。俺は確かに転校生の影を見ている。ここにきて「幽霊でした」なんてオチは、流石の俺も背筋が凍りそうだ。


「ちょっちょっ、俺が一番焦ってるんだから……ったく、何処行ったんだ!?」


「先生、あれ!!」


 誰よりも怖がっている純恋をあやしていた白鷺が、窓の外を指差している。


「あ? 今度は何っ!?」


「多分転校生です。旧校舎の方角へ行きました」


「おい、まじかよ? くそ、ちょっと行ってくるわ!」


「先生!! 落ち着いて下さい。皆んな怖がってます」


 藤崎先生は教室を飛び出そうとした勢いを、扉枠に手を置いて殺した。先生の焦りと苛立ちは、声に乗って生徒を不安にさせていた。


「あ、あぁ、そうだな。済まなかった……取り敢えず、お前らは静かに待っててくれ」


 後数分で朝のホームルームが終わろうとしている。幸い次の数学の授業は、藤崎先生が担当している。自己紹介くらいの時間は用意してくれる筈だ。




 藤崎先生が転校生を探しに行ってから少し経ち、クラスの雰囲気は幾分かマシになった。


 というのも、ここぞとばかりに久遠を筆頭とした男子生徒達による、転校生の容姿や性格、転校理由の討論会が行われたからだ。


 転校早々、不思議な行動をする彼女を皆気になっているのだ。それはもう、屋上の人影よりも。


 そしてチャイムが鳴り終えた頃、教室の扉が開かれた。今度は前置きを一切無くして、突然、彼女は教室に現れた。


 騒めきは歓声に変わり、その可憐さが男女の注目を集めていた。


 だが、俺の心は渦巻くように響めいていた。


 転校生は、顔の半分以上を黒いマスクで覆っている。それでも、俺は見間違える事は無い。


 彼女は、彼女だった。


 髪型から体格、左目に並んだ2つの涙ホクロまで、全く同じ。唯一違うのは、肌の露出が極端に少ない事だけ。一方の彼女は出会ってから昨日までずっと季節問わず夏服を着ていた。


 俺は混乱している。


 どうして彼女がここにいる。どうして皆んなにも見えている。俺にしか見えないのは、とっくに彼らで確認済みだ。


「葵椿です。宜しくお願い致します」


 転校生から初めて声が発せられた。冷たく、覇気の無い声だった。恥ずかしがっている様子も、笑っている様子も無い。


 まるで感情の無いロボットのようだった。


 名前を知ったのは初めてだが、苗字は同じで容姿も同じ。仮に双子や姉妹だとしてもホクロの位置まで同じはあり得ない。


「……それだけ? 他は?」


 歓声から一変して、転校生の声に耳を傾ける為、静寂となる。


「……何を言えばいいですか?」


「何って……ほら、もっと色々と……自分についての事だろ?」


 葵椿は床に目を落として考え込み、そして口を開いた。


「誕生日は7月7日。好きな食べ物は卵焼き。彼氏は居ないし……想いを寄せる相手も居ない。今の家は藍堂にある。兄弟はいない。猫派。身長は161cm、体重は51kg。将来の夢は……」


「ストップ、ストップ!! そこ迄は聞いていないよ」


 とんでも無い事まで口走りそうな彼女を、遅ばせながら藤崎先生は止め、感嘆を吐いた。


 若干変な空気になっている事を、流石の彼女も察知して、弁明をする。


「男子生徒からは良く聞かれる事だったのですが……」


「答える葵も葵だが……体重なんて聞く愚か者は何処の何奴だよ……お前ら、くれぐれも変な質問するんじゃないぞ!!」


 藤崎先生は特に久遠の方を睨み付けた。「俺を見ないでよ」と久遠が乗っかって笑いを取ったところで、自己紹介の時間は終わりとなった。


「じゃあ、分からない事あったら、白鷺と……」


 白鷺が手を振って示す。


「隣の席の神栖を頼ってくれ。あ、お前の席はあっちな。さ、行った行った」


 転校生は周囲の生徒から注目を買い、ゆっくりとした足取りで此方へやって来る。背後では藤崎先生が授業を始めようと黒板に何かを書き始めた。


 「可愛い」「めっちゃいい匂い」だの、彼女の通り過ぎた女子が小声で騒いでいる。


 そして、見下ろした彼女と一瞬だけ眼が合わさるが、深い黒円をした瞳はすぐにキョロっと動いて、視線を外された。


「んじゃあ、授業を始めるぞー。教科書の……」


 彼女は一体何者なのか。確かめようにも彼女の人気は凄まじく、話をする機会は数日後の昼休みまで訪れなかった。


 そして、この日から幽霊の彼女は姿を見せなくなった。

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