第16話【ゲームのボスからは逃げられない】

 この状況。あきらかに十二支石から声が聞こえてきていると、考えて間違いない。


 そして、アルターヴァルは十二支石の明滅に反応して動きを止めている。さきほどまでの殺意はないようだ。


 俺は、ゆっくりと息をした。身動きが取れないのだ。まるで、蛇ににらまれた蛙の状態である。


 相手はクジラの化け物だし、俺は人間……。いや、NPCだが。


 どうする、といっても援軍が来るのを待つしかない。アルターヴァルは、十二支石を恐れているように見える。問題は、この明滅がいつまで続くか、だ。


 今、すぐにでも止まったら? 動けない俺は、あの腐臭を放つ大口にすり潰されて肉片となって胃液で溶かされる。


 唾を飲み込んだ。口の中に残る酸っぱさに、嗚咽する。武器はとっくに鉄くずとかしている。あのときのように、エドガールもヴィクトリアもいないのだ。


 ヴィクトリアは、精鋭とともにこちらに向かっているという。どれくらい待てばいいのか。


 この十二支石が、どれくらいバケモノを足止めできる。アルターヴァルが、動き出せば戦うしかない。


 思考のループが続いている。


 ここで、アルターヴァルに喰われたら……。俺は、どうなる。HPとやらが0になっても、死ぬことはなかった。でも、それが不死身である証明にはならないのだ。


 十二支石の明滅は、激しくなる。同時に不安が、胸をかき乱す。消滅前の輝きのような気がしてならないのだ。


 線香花火が、最後にみせる破裂のような……


 十二支石の灯火こそが、俺の命のカガヤキであり、寿命をはかるロウソクだ。


 ガード【小範囲防御】を突破するほどの破壊力。身を持って知ってしまった。


 どうあがいても、助けが来るのを待つ以外の選択肢はないだろう。


『……S63、聞こえるか? エドガールだ。少し不味いことになった。救援に向かっていたヴィクトリアと精鋭部隊が、別のアルターヴァルと遭遇した……』


 俺は、心臓の鼓動が止まった気がした。いや、そもそもNPCに心臓があるのだろうか。


 エドガールの言葉は、衝撃的だったのだ。今にも消えるかも知れない安全圏。期待した助けも来ない。


「……い、今すぐ。て、転移は、はできないんですか? こ、ここ。ここから……」


『無理だ……。その部屋から出るしかないな。喰われればどうなるかもわからない存在だからな』


 資料室が、暗く狭く見えた。冷徹な口調。言葉と裏腹に焦るようすもなく、事実だけを突きつけてきていると感じる。


 エドガールから言わせれば、俺は貴重な存在であるはずだ。死守したいとは、思わないのだろうか。


 でも、逃げることはできるという。資料室の出入り口のドアは、オブジェクトではないらしいのだ。


 ここに来るときは、転移させられたのに。ここを出るとなると、ドアを使わなければならないというのもおかしな話ではあるが。


『以上だ。部屋を出たら、レポート【報告】を使え。強制的に転移させる……』


 エドガールからの通信は途絶えた。俺は、アルターヴァルに喰われたらどうなるのか。もう一度、確認をしたかった。


 聞こうとして開いた口を閉じた。


 自分たちの都合のみを押し付けてくるのは、許せない。俺は、再びレポート【報告】を行使する。


「つながらない……。クソッ!!」


 大きな声に返事をするように足が痛む。さきほどの攻撃で足が動かない。逃げられるはずがないのだ。ドアが霞んで見えた。


 今の状況なら、あの扉は、オブジェクトと変わらないではないか。動く手で、地面を叩いた。


 アルターヴァルは、相変わらず動かない。低く唸り声をあげたまま、俺を見ている。


 うらめしそうな視線だ。でかい図体のわりに目は、人間のものと変わらないサイズである。


 不気味だ。クジラの化け物から人間の意思を感じるようで、不気味である。


 十二支石は、弱々しく明滅を繰り返す。歯を食いしばりながら、立ち上がろうと呼吸を整えた。


「ッ──ぐゥッ!!」


 視界が、ゆがんで真っ暗になる。痛みをおさえようと神経を集中させた。


 激しい呼吸、大きく息を吸い込むたびにむせ返るような化け物の臭い。


 息をひそめて、喉と腹に力を込めて痛みを押さえ込む。ゆっくりと足を立てた。


(痛い……。NPCでこれ……なのか。これ、喰われたらどれだけ痛いんだ。溶かされる瞬間まで……意識が??)


 あの悪臭を吐き出す口の中で、噛み砕かれるのだろう。震える手に力を込めた。


 俺は、バケモノに咀嚼され全身の骨が砕かれる音と痛みに悶え苦しむはずである。


 無理矢理に体を動かそうとすればするほどにあらゆる場所が痛んだ。怯んでる暇はない。


 あんな石ころに命運を託せるほど、相手は甘くはないのだ。バケモノに慈悲などあるはずもない。


 何とか両足を地面につけることができた。あとは、立ち上がって……。嫌な汗が全身から吹き出る。


 俺は、懸命に立ち上がろうと地面をにらみつける。汗が、何滴もこぼれ落ちた。


 動かない。痛みよりも、重たさが立ち上がることを阻止している。


 十二支石が、発光しはじめた。今までのように暗くならずに。どこか様子がおかしい。


 アルターヴァルが、後ろに下がりはじめる。低い声をあげながら、後退する。


「え……逃げるのか。いや、逃げてくれるのか。はぁ……はぁ……今のうちに、ここから……。ぅぐわぁッ!!」


 十二支石のまばゆい光は、俺から視界を奪った。目に痛みがはしるほどの光。目をつむっても、まぶたを焼くような感覚がある。顔を伏せて、股ぐらにうずめる。


 やかんが沸騰したような高音が、資料室に響く。


 あたりが静かになると、まぶたを貫通するほどの光を感じなくなっていた。


 俺は、ゆっくりと目を開けた。


 第16話【ゲームのボスからは逃げられない】完。

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