第5話 思わぬ再会

 フィジー共和国の南西に位置する海域。見渡す限りの大海原が広がり、北東の方角に僅かにフィジー諸島の島影がうっすらと確認できる。そんな海域を現在一隻の船が比較的ゆっくりとした速度で航行していた。


 その船はどう見ても漁船ではなく、さりとて観光用のクルーズ船でもない。勿論積み荷を運ぶタンカーでもない。その用途や航行目的のよく解らない奇妙な船であった。強いて言うなら定期運航される連絡船の形状に最も近いが、通常は島と島、もしくは島と大陸を結ぶ航路を運航するのみの連絡船が、このような沖合をゆっくり航行している事はあり得ない。


 謎の船の甲板上には何人かの男達が双眼鏡や望遠レンズのような器具を用いて、周囲をしきりに探査している様子であった。また船内でも何らかの探知機のようなものが作動していた。


「……!」


 やがて甲板上にいた船員の1人が、海面を漂う船の残骸・・・・のようなものに気付く。発見した船員はすぐに報告の為に船内に戻っていく。やがて船内から何人もの男達が出てきて、器具を使ってそれらの船の残骸を回収していく。




「主任! 検分の結果が出ました。これは漁船の残骸です。そしてこの破壊の形状からしても犯人・・は……」


「……『奴』か」


 船内のメインルーム。その中央に据え付けられた大きな机の上に、漁船の残骸が乗っていた。その残骸を囲むようにして数人の男達がそれを見下ろしていた。そのうちの1人、バージル・Bビリー・ホプソンは苦々しい表情で呟いた。


 中型規模の漁船を破壊できる生物がそうそういるはずもない。シロナガスクジラが恐ろしく凶暴になり人間に対する殺意に支配されでもしたら別だろうが、そんな事はあり得ない。そもそもシロナガスクジラの口では船を噛み裂いたり人間を食い殺したりは出来ない。


 そうなればどのみち導き出される結論は一つだ。


「一月ほど前にはニューカレドニアで観光客を多数食い殺した形跡が見つかっている。そして今度はフィジーとの間の海域で漁船を襲った。『奴』が北東に向かって進んでいるのは間違いない。そのまま行けばフィジー領内に入り込むな」


 上司・・の呟きにバージルは顔を顰めた。正確にはフィジーという単語を聞いたからだ。あの国では今、彼女・・が活動しているはずだった。



「『奴』はそのままフィジーを通り過ぎると思うか? そもそもどこを目指して進んでいるかも解っていない状態だが……」


「……いえ、恐らくフィジーに留まるのではないでしょうか。『奴』の人間に対する殺意を考えればニューカレドニアでも同じ条件ですが、『奴』は元々温帯域に生息していた。より赤道に近いフィジーの方が居心地が良いでしょう。いえ、もしかするとより活動しやすいと考えたのかも知れませんが……」


 バージルが一瞬の追憶から戻って渋々推論を述べると、その上司は鼻を鳴らした。


「ただ居心地のいい場所を求めて泳いでるだけだというのか? だとしたらフィジーの海を『縄張り』にするつもりなのかもな!」


 その上司――『エンバイロン社』の主任研究員であるタイロン・ベイルは引き攣った笑いを浮かべてからバージルに顔を近づけてきた。


「解ってるだろうな? 『奴』と我が社の関係・・・・・・がバレたら我々は一巻の終わりだ。『奴』がこれ以上暴れて余計な被害が増える前に何としても捕獲・・するんだ。失敗は許されん。同様に間違いも許されんぞ。お前の推論を信じて『奴』がフィジー領内に留まるという前提で動く。いいな?」


「……勿論解っていますよ、主任。『奴』の危険性もある意味であなた以上に解っていますから。推論ですが間違いないはずです」


「ふん、だったらいいがな。この栄えある歴史的な研究にお前のようなキィウィ・・・・を加えてやったんだ。その恩には報いてもらわんとな」


 オーストラリア人の中にはニュージーランドを属国だと思っていて見下している人間も多い。このタイロンもその手の人間だ。バージルは眉を顰めながらも反論せずに黙って頷いた。彼の脳裏には再び、かつて意見の相違から破局した美しくも激しい女性の姿が浮かび上がっていた。



*****



 フィジー共和国の首都スバ。レベッカは現在この街の郊外にある公営住宅を仮の住まいとしていた。フィジーに活動拠点を移すに当たっての不動産関係の問題も主にスヌーカの口利きで解消していた。住まいや仮の事務所なども含めてだ。


 なのでそういう意味でもスヌーカには頭が上がらないのであったが、それを盾に愛人関係を迫ってくるのは話が別だ。自分達の活動でスヌーカにも充分利益がもたらされているはずなので、それ以上の要求をしてくるならそこは突っぱねても問題ないはずだ。


 彼は変わりはいくらでもいるという事を匂わせていたが、自分達のように少人数で、なおかつ中国人相手でも忖度せずに妨害活動を行える環境保護団体はそうそういないだろう事は予測がつく。


 結局互いが必要としている状態なのだ。彼がそこまで強引に関係を迫ってくる事が無いのもその為であった。



「アンディ、ちょっと買い出しに行ってくるわね」


 御前10時を回った頃、身支度を整えたレベッカは同居している弟のアンディに一声掛けてから外に出た。アンディはもう10時だというのにまだベッドの上で寝ぼけており、生返事を返しただけだった。


 低血圧らしく昔から朝が弱いアンディは休日でも仕事でも午前中はほぼ使い物にならないと思った方が良い。レベッカは溜息を吐いた。ナリ―ニは今の弟の姿を見たらどう思うだろうか。いや、案外余計母性本能的なものをくすぐられたりするのかも知れない。


 自分も女ながら、女のそういう感情は全く理解できないレベッカであった。


 車に乗り込んで街の商業地区まで向かう。スバは首都とは言ってもフィジー自体が小さな国なのでそこまで大きな街ではない。のんびり車を流しながら、熱帯地方特有の常夏の気候を楽しむ。彼女は子供の時から寒いのが苦手で、逆に暑さは苦にならずに好きだった。


 祖国ニュージーランドも南極に近い場所だけあって冬は洒落にならない寒さになるし、特に南へ行けば行くほど過酷な寒さになるので、そういう気候の問題もあって早くあの国を出たかったのかも知れない。


 そう時間がかかる事も無く海沿いの商業地区に到着した。ショッピングモールの駐車場に車を停める。



「……!」


 車を降りたレベッカはそこで違和感・・・に気付いた。何となく視線を感じる。自意識過剰ではない。誰かに見られている。


(徐の手下の中国人かしら? それともマサイアスの方?)


 いくつか心当たりがあるレベッカは護身用に携帯している警棒を意識した。環境保護のためとはいえ、ヤバい連中を相手にその仕事を妨害したりしているのだ、こういう事態もあるかも知れないと予測はしていた。 


 レベッカはなるべく気付かない振りをして歩き出す。移動しても見られている気配が消えない。やはり偶然ではない。尾行されているようだ。


 彼女はあえて人気の少ない公園の方に歩いていく。するとその気配も後を付いてきた。あくまで素人に過ぎないレベッカにも察知されるくらいなので、尾行の主も素人である可能性が高い。


 レベッカは公園内にある大きめの公衆トイレの角を曲がった。そして足を止めると警棒を抜き出して、公衆トイレの壁に隠れた状態で尾行者を待ち構える。尾行者は彼女が待ち構えているとも知らずにそのまま角から姿を現した。



「――ってぇい!!」



「っ!?」


 レベッカはそのまま問答無用で警棒を振り下ろした。尾行者は男のようなので、問答などしていたら正面から相対する羽目になりこちらが不利になる。奇襲あるのみだ。


 尾行者の男が驚いたように硬直するが、レベッカはそのまま警棒で男を打ち据える。


「うおぉっ!?」


「この! このっ!! 私を襲おうなんて10年早いのよ! 誰の差し金!? 白状しなさいっ!」


 男が驚きと痛みに動揺して屈みこむと、レベッカは手を休めずに相手を滅多打ちにする。



「痛! 痛いっ! ま、待て! やめろ、レベッカ・・・・! 落ち着け!」



「……っ!?」


 屈みこんで防御態勢を取っている男が必死に叫ぶと、レベッカは目を見開いて動きを止めた。男が自分の名を呼ばわったからではない。その男のに聞き覚えがあったからだ。


「……ふぅ。まさかいきなり警棒で殴り掛かられるとは。尾行したみたいな形になったのは悪かったが、どう声を掛けていいか分からなかったんだよ。それも当然だろ? 別れた・・・女相手になんて声かけたらいいんだ?」


 レベッカの攻撃が止んだ事を確認した男が恐る恐るといった感じで顔を上げて彼女を仰ぎ見た。その顔は彼女の予想通りの物であった。


「あ、あなた……バージル・・・・?」


「流石に数年前に別れた男の顔は覚えててくれたか。久しぶりだね、レベッカ」


 男――バージル・B・ホプソンは、そう言って苦笑しながら立ち上がった。

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