第一章閑話 オペレーション-チョコチップ・マフィン

第十八話 オリヴィア艦長の休日1

 ずずず――コーヒーを啜る音が、どこか楽し気に響く。気づけばカフェインを取っているのは、もう半ば癖のようなものであり、彼女もどうにか止めようとは務めているのだが、どうしようもなさそうだった。

 がやがや――外に聞こえる喧噪の音。じりじりとした熱気は天から降るものだけではなく、密集した人由来のものもかなり強い。


 行ったこともない喫茶店だったが、滑り込んでよかった、と少女――オリヴィアは心底思った。さもなくば、誰かの間に挟まれて熱気で調理され、肉挟みパンスラメブルーテンのごとき姿になるところだった、と。

 部屋の中はずいぶん涼しい。おそらくは空調機器が効いているのだろう。まだ初夏のあたりだが、これはかなりうれしい配慮だ。その分だけ繁盛しているらしく、オリヴィアは席を取れたのは、それなりに幸運だったと言える。

 今日は艦長帽をつけていない楽な格好だった。とはいえ、オリヴィアは私服らしい私服を持っていないので、支給された官製服の中でもラフに見えるものを引っ張り出してきただけなのだが。

 なんにせよ、軍服を脱いで落ち着けるいい機会であった。




 ――空の試練より、四日ほどが経った。休憩を挟みながらの報告、いくらかの査問を超えた彼女に与えられた指令は、「一月の半休暇を得られたし」であった。半休暇とは、軍事訓練などを隔日にて受けながらの休暇である。

 中々の長期休暇であるが、それも妥当なことに思われた。なにせ、ヴァルカンドラおよびそのクルーは、大規模な占領事件に巻き込まれた挙句、立て続けの戦闘行為を行っている。クルーたちにかかった負担は決して軽いものではなく、実際に体調を崩してしまったものも多い。

 加えて、無理をさせたエンジンの調査、船体全体の簡易的な分解整備オーバーホールなども行われる。それらの事情を踏まえ、時間の調節は困難を極めるため、大幅に休みを取らせるというのは、妥当な判断であったのだ。


「火器管制長も軍役を退くとのことですし、次期火器管制長の選出も、ですか。大変そうですねえ、どうなるやら」


 小さくため息一つ、皿にのせられたチョコチップマフィンを一口かじりながら、オリヴィアは呟く。どこか他人事のようでもあった。

 それもそのはず、彼女自身は次期火器管制長の選出に関して、なんら権限を持っていないのだ。上層部、ひいてはその意見を聞いた皇帝が決定することであり、であるがゆえに決まるまでは完全に他人事そのものなのである。

 もちろん穏やかでない心境もあるが、そこはそれ、今は休む時間だ。マフィンとチョコの素朴で実直な甘味が舌の上で踊り、固まり切った心を少しずつ溶かしていく。悪くない心地であった。


 ぱさりと広げた新聞は、今日の朝刊である。茶色い紙に記載された帝国承認済の印は、正式な諜報機関でもある"帝国情報組合"発行であることを示していた。それ以外にもいくらか買ってはいるものの、もっとも正確なので、オリヴィアはこれを好んで読む。


 ――アルフェングルー、観光業を再開。異例の復興スピード。


 ――王国の明確な軍事行動と領空侵犯! 帝国の抗議文に対して反応はなし。


 ――南部連邦の独立過激派、帝国官僚を襲撃か? 暗殺未遂の背後に何者かの影。


 中々に物騒な大見出しがあちこちに踊っている。帝国の機関と直結しているだけのことはあり、戦争ないし戦争に関わりかねないことにはかなり敏感だ。

 抗議文の内容はオリヴィアもさらっと目を通す事ができたが、はっきり言って大したものではない。本当にただ"抗議"を入れただけ、という程度のものであり、帝国と王国の溝深い関係では、無視されて当然のものだった。


「まあ、妥当な所ですね。変に脅し過ぎると大惨事につながりかねませんし」


 下手に被害が出ていたならば戦争やむなしであったろうが、あくまで王国軍が行ったのは「空賊に拿捕された船の奪還」であり、それ以前の占領事件にはかかわっていない――という建前がある。

 事実がどうあれ、彼らが行ったのは領空侵犯のみということになっているのだ。言い分を否定できるものはほとんどなく、だからこそ、すぐさまの戦争はどうとでも回避できそうだった。


「さてはてそれで……南部連邦ですか」


 南部連邦サウル・ユナフェデン。その言葉を聞くとき、帝国民の反応はおおよそ二つに分かれる。喜びと、悔しさである。

 かつて、"帝国"は異常なまでの国土拡大戦略を行い、周囲の国々を飲み込んでいった。その数たるや二十を超え、文化さえ残せずに消えた国も少なくない。しかし、そんな中でも最後まで戦い抜き、名を残した国々というものはある。

 それが、南部連邦だ。


 所属していた国は総勢二十二。国力や軍事力はピンからキリまでといった具合だったが、かの軍事同盟は、類まれな結束力と決断力を持って帝国を押し返し続けた。

 最後には帝国へ下ることとなったが、そこに至るまで増え続けた帝国軍の消耗は、決して少ないものではない。その上南部連邦の所領と文化はほとんど残っているのだから、帝国にとっては半分負けたようなものだった。


 今でもかの国における独立の気風は強い。制圧用の兵が派遣され、それでどうにか押さえつけてはいるが、数年ごとに一度は騒動が起きるのだ。帝国なにするものぞという勢いは侮れるものではない。


「……しかし、このタイミングで、ですか。そこまで愚かとは思えませんが……」


 帝国は領土の拡大と安定にともない、かつての暴力的な勢いを失った。その代わりに根を張った殴り合いにたけ、総合的な国力においては、大陸に覇を唱えるにふさわしい。

 しかし膨れ上がった領土のすべてを管理しきることは、皇帝という一個人には難しい。二代前の"万筆帝"はすべての行政書類分類の整備に努め、大幅に皇室との負担を減らしたが、もはや負担を減らす程度ではどうにもならない領域に来ていたのだ。


 これらを重く見た皇帝、通称"硬岩帝"レヴィナス=アーノン=クフィシュトーゲンは、領土の"独立"を推進し始めた。これは国土拡大を重視し、それにすべてをかけてきた皇族にあって、異例の政策であった。

 一定の条件をもち、また独立を望む国には属国という形式で領土の保有を認め、ある程度の上前をはねつつ、管理その他はそれぞれに任せる。そうした形式をとることで、自壊しつつあった帝国の形をたもとうというのである。


 無論、その独立可能な対象には、南部連邦も含まれている。元来の要素を強く持つ彼らは、帝国にとって抑えづらく叩きづらい、まさに目の上のたんこぶだ。その利益だけを取りつつ、管理を手放せるなら、願ったり叶ったりのことだった。

 だからこそ、このタイミングでの暗殺未遂というのは、決して上手い手であったとはいえない。手続きをあれこれ行えば、独立は出来るのだ。わざわざ血を流させて、帝国の意識をとがらせる必要はどこにもない。


「……きなくさい、ですねえ」


 とはいえ、行き過ぎた過激派というのは、いつの世もとんちきなことをやらかすもの。報復だとか、矜持であるとか、原因をあげつらえばいくらでもある。考えても仕方のないことだ。

 オリヴィアはぐいと背を伸ばした。幼い背からパキポキと音が鳴って、固まった筋肉と関節がほぐれていく。


 考えても仕方ない事は考えない方がいい。オリヴィアが祖父から聞いた、数少ない教えの一つ。それを実践するときだ。つまり、今日という休日をぼちぼちと謳歌していかなければならない、ということである。

 再びつつき始めたチョコチップマフィンは、外から容赦なく襲い来る光の熱気にやられ、少しチョコが溶けていた。が、それはそれで美味しかった。

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