第九話 焼け付く地にて3
アルフェングルーの街はいまだ、くすぶる余熱のようなものを感じられる有様であったが、表面上はほとんど傷なく残っていた。
止まっていた経済活動を再び回すため、無数の人々が動いている。食糧商人はだめになる寸前の品々を捨て値で捌き、飲食店やサービス業は一刻も早く立て直せるように、客呼びを入念におこなっている。
意外にも治安はいい。火事場泥棒の一つや二つ起こるかと考えられていたが、さすがに軍人があちこち歩いている状況では、そういう気も起きなかったのだろう。
その中をオリヴィアは縫うようにして歩く。幸い、人通りの量は普段よりも少なく、また体躯の小ささもこのときは有利に働いた。
空元気のように軽快に回る街の中、ある一角だけは隠し切れない寂しさ、悲しさが漂っていた。
今回の占領騒動での死傷者は約二百名。そのうち重傷者二十六名、軽傷者百一名、死者七十三名。死者のうち、軍人は七十名。戦役下でない平時においては、指折りの大被害である。
だが復興のためには時間も人手も足りていない。今葬儀をすると、必要な労働力をそっちに取られてしまう。だから、彼らはろくな葬式もできないまま埋葬された。改めて埋葬されるのはまだ後日のことだ。
幸いにも、というべきか、帝国が国教と定める黒天教においては、葬儀はなくなった直後にするより、時間をかけ、入念な準備と弔うべき人間がそろってから
オリヴィアが訪れたのは、そんな彼らをまとめて埋葬した簡易な墓石の前である。全く同じ没年と日付、それから名前だけが記された共同墓碑。簡素ではあるが、花も供えられている。誰も忘れ去られてはいない。
その前まできて、オリヴィアはゆっくりと姿勢を下ろし、膝をついた。
彼らは、今日を平然と生きているはずだった人々だ。よく食べ、よく働き、よく寝て、よく生きるべき人々。帝国の民は、皇帝による庇護と神々の契約のもと、健やかに過ごすことが義務なのだ。
けれど人は死ぬ。どうしようもなく、あっけなく死ぬ。現に彼らは、天命を全うしないまま死んだし、オリヴィアの母も若くして死んだ。
「ままならないもの、ですね」
帽子をはずし、胸元で小さく、円状に指を切る。
死者はほとんど帝国軍人だった。ということは、彼らは寡兵でありながら決死で戦い、ついに被害を最小限にとどめたのだ。立派な生きざまである。これ以上ない名誉である。そんな彼らを、このように簡易に埋葬せねばならないことは悲しいことだ。
だからオリヴィアは弔う。皇帝陛下以外にはあまり行われない最敬礼でもって。それが、帝国軍人としての責任を全うして死んでいった戦士たちへの、最低限の礼儀だと思ったからだった。
鉄面皮ぶ厚く、それゆえ冷血などと呼ばれることになるオリヴィアは、しかし死者に対しての礼儀正しさでも知られた。エリザ副艦長が後世に執筆するオリヴィア・エーレンハルトの伝記『暁の光』でも、このような記載がある。
「あの人を冷血などと呼ぶ人もいるが、それは風聞だけを見た誤りだ。あの人は人の死を知っている。人の死の悲しさを知っている。人の死を弔うことを知っている人なのだ」。
そうして頭を下げて、どのくらいの時間がたっただろうか。オリヴィアは無言で目を開けると、そのまま艦長帽をかぶりなおした。やるべきことは終わった。
すでに正午を迎え、空戦隊は艦に戻って休憩を始めているころだろう。オリヴィアもそろそろ休まねばならない。次の航行がどうなるかはまだ分からないが、これ以上軍人として動いていては心が休まる気がしなかったのである。
踵を返した彼女は、目前に人間が立っていることに気づいてひるんだ。危うくすっころぶところであった。
立っているのは、どこかひょろひょろな印象のある、なよっとした青年だ。素朴な恰好に眼鏡をつけていて、キャスケット帽が妙に似合っている。背の丈は同年代より少し低く、まさに少年期を少し飛び出たあたりといったいでたちだった。
どこぞの新聞記者の丁稚かなにかか。ともすれば、ここに知り合いが埋まっているのか。ならば邪魔だろう、そう思って横にどこうとした彼女に、青年は話しかけた。
「あっ、あの! 戦艦の、
「……ええ、まぁ。クルーといえばクルーかもしれませんね」
どう返答したものか迷い、曖昧な答えを返す。確かに船の一員ではあるが。艦長帽に気づかなかったのか知らないのか、どっちにしろ青年は安心した様子で話しを続ける。
「その、えーと。僕は一応、ジャーナリストの端くれで……」
「軍属ですので、そうしたものは上層部を通してください。それでは」
「わぁー待って! その、個人的興味なんだ! 記事にはまだしないから! 話だけでも!」
「……それで、何が聞きたいのですか。軍機にかかわるようなことは黙秘しかできませんけれど?」
結局、アルフェングルーをよく知らないオリヴィアは、青年の案内と奢りで適当な喫茶店によることになった。店は多少混んでいたものの、どうにか席を取ることができ、二人は腰を落ち着けることに成功する。
エドワードと名乗った青年は、手慣れた様子でコーヒーと紅茶を頼むと、手帳とペンを取り出した。ちらりと見ると、なかなか上等な品である。ただのジャーナリスト見習いではないのかもしれない。
「僕は感応能力を持つ人の話題を中心に取り上げたいと思っていてね。君もその年齢で軍の船に乗ってるってことは、たぶん感応能力者なんだろう?」
「ご明察です。で?」
「軍属中の出来事とか苦労について、あー……可能な限り教えてほしいんだ。もちろん、軍事機密や私的なことなんかは避けてくれていいけれど」
こういうとき、軍はあんまり話題提供してくれない、とエドワードの口から愚痴がこぼれる。それはそうだろう、とオリヴィアは思った。帝国における感応能力者の人口は全体のうちの一パーセントほどなのだ。
戦艦を動かすうえで必要不可欠なパーツであるのに、その数は常に不足している。おまけに大型艦を動かすとなれば、その一パーセントの中でもさらに限られた人間だけだ。
なにかしらで命を奪われたり、他国に引き抜かれたりすると、それだけで軍事力に大きな問題が生じてくる。結果、帝国は過保護とさえいえるほどの能力者保護を行っていた。
比較的高い待遇もその一環であるし、こうして不意を打ちでもしない限り、ジャーナリストと引き合わされることなどまずないのだ。そういう意味では、機会を逃さずオリヴィアを捕まえることに成功したエドワードは幸運な方であったといえる。
「そう……ですね。まず、強制的に士官させられるという噂もありますが、それは誤りです。事実、私は志願ですしね」
「あ、そうなんですか? てっきり……っと。いえ、失礼」
「軍属への志願を強く推奨はされますが、強制ではありませんね。望むなら能力を使わずに生きていくこともできます。感応能力者は精神状況が能力強度に深くかかわっていますから」
無論、多少の不利益であるとか、就職先が不思議と限られたりはするが、名目上は自由であるし、多少の不自由を無視して生活することは十分可能である。
それが結果として、帝国における能力者の不足を招いてもいるのだが、現皇帝はそこを曲げるつもりはないという。人間的にはよくできた人だ、という評価は、決して間違いではないだろう。
「ところで、なぜ志願したのかお聞きしてもいいですかね?」
「家庭事情です。……まあ、給料はいいですよ。非能力者の方が士官するより一・五倍から二倍ほどあるそうで。休暇もそれなりにとれますし、医療体制も非常に強固ですから、軍属さえいとわなければそれなりに良い暮らしができます」
「なるほど……厚遇というか、エリートって感じですね」
「……ただ」
ふ、とこぼれた言葉に首をかしげる青年。オリヴィアは何も続けなかったが、その代わりにエドワードに見える程度にテーブルに指で文字を書いた。"二つ左の席、目だけで"。
そのサインを読み取れたのかどうか、顔を明後日の方へ向けていたオリヴィアにはわからない。だが、もしいう通りに目だけで伺ったのであれば、おそらく黒づくめの男三人がこちらに注意を向けているとに気づいただろう。
エドワードは何気ない仕草で、届いた紅茶を飲み、それからなるほど、とつぶやいた。
「……プライバシーの侵害では?」
「"護衛"、という名目ですから。実際、頼もしいです。この通り、男性の誘いにも気軽に乗れますからね」
すまし顔でコーヒーをすすり始めたオリヴィアに対し、エドワードの顔は少し引きつっていた。
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