悪魔の証明裁判

 ここはさる遠い国の司法裁判所。たった今、この法廷では奇妙な殺人事件の裁判が行われている。


 何が奇妙なのかというとそれは被害者の外傷であった。銃殺であるのは間違いないのだが、後頭部には弾が貫通した痕があるのに、顔や眉間にはどこにも銃痕がない。


 被告人は同じ研究室の博士。取り調べで既に、助手を撃ったのは自身であると認めている。


 だがこれまたおかしなことに、被告人は一貫して無罪を主張しつづけている。


 大抵、殺人を認めた者が無罪を主張するというのは例えば突拍子もないことを言って精神疾患を装い減刑を狙うとか、もしくは警察に自白を強要されて、つい言ってしまったがそれを覆したいとかである。


 けれど彼の場合わざわざ診断書を提出し、証言前にはハッキリと「私は精神を患ってなどいないし、自白の強要もされていない」と裁判官に伝えて喋り出したのであるから、彼以外の、なんなら彼の弁護士も含めた法廷にいる全員が困惑したのである。


 さて、そんな不可思議な事件の不可解な被告人は、まるで研究の発表会のように以下の主張を始めたのであった──。


 「私は確かに研究室で助手を撃ちました。しかしアレは単に、量子力学的実験に成功し、失敗しただけという話なのです。


 ──こんな話を聞いたことがありませんか?『机を手で100億回叩いたら、そのうち一回は手が机をすり抜ける』…普通の人なら馬鹿馬鹿しいと、そうお思いになるでしょう。けれどもこれは素粒子の観点から見ると、とても理に適っているのです。


 では、この理論を凡人なる皆々様方に理解していただくにはどうしたらいいでしょうか。私は考えました。シンプルに机を100億回叩き続ける?いいや、それでは手がイカれてしまいます。それに手をすり抜けた瞬間を何とかビデオで撮っていたとしても、それはトリックだなんだと言われて終わりでしょう。なら、何なら納得していただけるのか。悩みに悩んでいると、ふと助手がこんな提案をしました。


 『私の体に物をぶつけ、肉体を通過した場面を撮るのはどうでしょうか』と、内容はこんなところでした。なるほど身体全体を映したものなら、手と机という一部分を映すよりも疑われにくいのではないか。そう考えた私は、彼の案を採用したのです。


 となると次は、何を彼の身体に通すかです。出来れば通す物は小さい物がよい。これは私独自の特殊理論なので説明は省きますが、なるべく小さく、それでいて速い衝突を起こす物がよかった。


 ふと引き出しを開けると拳銃がありました。なるほど、これなら丁度いい。ビデオをセットすると、私は助手に向かって銃口を向けました。


 『教授!何を!?』


 助手は驚いていましたので、私は実験に最適な物がコレなのだと丁寧に説明したのですが、どうも理解を得られなかったようで。


 『やめてください!』


 と叫び、彼は私の手から銃を取ろうと掴みかかってきました。


 『何するんだ!理論の証明がしたくないのか!実験が成功すれば君は無傷なんだから、問題ないだろう!』


 『なんてふざけたことを…!あなたは狂ってる!』


 助手は助手のくせに、私を狂ってるなどと戯言を言いました。そしてそのまま取っ組み合いをしていると、ある拍子に私は引き金をひきまして。


 そこで奇跡が起きました。100億分の1となる出来事が起こり、実験が成功したのです。…いや、正確には彼が死んでしまったので失敗なのかもしれませんが。残念ながら後頭部には穴が空きましたし、ビデオカメラは銃弾が当たって壊れてしまった。


 けれど私は確かに見たんです。弾丸が彼の皮膚に触れる一瞬、皮膚を破かないですり抜けた弾を…皆さんも見たでしょう?助手の死体の眉間には穴が空いていないんです!傷の一つもついてなかった!これはとてつもなく貴重な出来事なのですよ!助手も研究者として、あの世で喜んでいることでしょう!


 …失礼、興奮してしまいました。つまりですね、私が言いたいことは『助手は運が悪かった』ということです。もし完璧に実験が成功していたら、弾は彼の身体を全て通り抜けて、彼は今も元気に生きていたはずですからね。なのでこれはではありません。言うなればこれは不慮の事故なのでありまして、そうなるとやはり、私は無実となるのです」


 裁判員も検事も弁護士も、全員が絶句した。仮に精神疾患の診断が無かったとしても、この男は狂っている。


 もちろん被告人の言い分は通るはずもなく、一向に反省の色も無かった事から、博士は超危険人物だと認定され、即刻死刑が言い渡された。


 この国の死刑方法は皮肉にも銃殺刑であった。博士は土壁前の棒に縄で括り付けられ、無数の銃口を向けられる。そして銃殺隊の隊長の合図により順々に引き金が引かれたのだが──


 ──その刹那、不思議なことが起こった。撃ち放たれた最初の一発が博士の体をすり抜け、後ろの壁へと当たったのだ。


 「!!どうだ!私は間違ってなかった!今のを見ただろう君達、これが──」


 が、博士が感激の言葉を言い切る間もなく、身体には次々と銃弾が撃ち込まれ、彼は忽ちに死んでしまった。


 銃殺隊は皆、銃弾がすり抜けた瞬間をしっかりと目で見ていた。けれども、今残っているのは無惨にも穴だらけになった死体と銃痕だらけの壁。これではもう、どの弾がどこにすり抜けたのか全く分からなくなってしまった。


 「しまったな。カメラを用意しておくべきだった」


 誰かが、口惜しそうに呟いた。

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