治療の行末

 「先生、私はどうすればいいのでしょうか。もう消えてしまいたい。死んでしまいたいのです」


 診察室へ入ってきた男は前屈みに椅子へ座るなり、頭を抱えてそう呟いた。彼は今日が初診であり対面するのも無論初めてなのだが、一目みるに、どうやら何かしらの罪悪感に蝕まれているらしい。


 ──ここは私が経営するメンタルクリニックである。こう言うと立派に聞こえるかもしれないが、実際はとてもこじんまりとした、町外れに存在する医院だ。しかも外観は通常の住宅となんら変わりなく、一から探そうとしたら、ここが医者であると気づくのにそこそこの時間を要するだろう。最近でも近所の人に「ここは精神科だったのか」と驚かれることがあった。


 しかし、分かりづらくアクセスも悪いこんな場所に当院を建てたのはきちんと理由がある。


 精神病に罹患りかんした患者というのは、大方目立つことを嫌っている。そこには自信の無さや強迫観念などといった様々な悩みがあるのだが──とにかく、そういった人気ひとけが気になって通院できないという悩みを解消するため、私はここに開業したわけなのである。

 

 さて、今回の患者はこの男だ。問診票によると名前はムラタトシオ、年齢は26歳独身、男性。精神科に来る患者特有の青白い肌とヒョロリと痩せた体型、服はくたびれたスーツ姿で、度の強いメガネをかけている。


 ちなみに皆さんもご存知だろうが、病院というのは自ら不調に感づいて来院する場合と、他の病院からの紹介状で赴く場合の2種類があり、彼は前者であった。


 「すみません、お待たせしてしまって。何故なりたいのでしょうか。よろしければお聞かせください。無理には、お答えにならなくても大丈夫ですよ。」


 彼は「死にたい」と口にした。希死念慮が頭にあるというのは、これは良くない状態だ。心の危うさが見てとれる。刺激をしてはいけない。


 けれどここが精神科医の難しいところで、なるべく相手を刺激しないように、それでいて相手に何があったのか、慎重に言葉を選んで詮索しなければならない。


 私は紹介状が無いからと、他の患者より待たせてしまった非礼を詫びつつ、彼の心情を探ろうとした。

 

 「それは…」


 彼はひとしきり唸ったあと、重い口を開いた。


 「……私はかなり就職に苦労した方でして、面接で落とされた回数は100回をくだりません。なぜならどうしても、面接官の質問に答えられないのです。私なんかが生意気に返答していいのかという考えが頭に巡って、声が出なくなるのです。それでも24歳の時、やっと今の会社に就職できたのですが…」

 

 「ふむ、続けてください」


 愛想よく相槌を打ちながら、手先のペンを走らせる。患者の話には必ず、今の悩みに繋がる何かがあるのだ、聞き漏らさないようにせねば。


 「そうして就職したのが××商事です。幾らばかりかブラックとも言われている会社でしたが、それでも入社当初、私は希望に満ちていました。『これで将来は安泰だ。親に苦労をかけることもない』と。けれど…」


 ここまで言うと、患者の言葉が詰まった。よほど辛かったのだろう、フルフルと震えている。


 「大丈夫ですか。途中で切り上げてもよいのですよ」


 様子を見て慌てて声をかける。過去の話自体がストレスを与えているのならば、それは傷口をひろげる行為と等しく、無理矢理話すべきものではない。


 「…いいえ、言わせてください。心から泥を出してしまいたいのです」


 しかし彼は何か決意をした顔で、話を再開した。よほど過去を吐露したいのだろう。


 「けれど入社2年目の今年、経営不振だなんだと、早くもリストラの波が起きたのです。自分で言うのも恥ずかしいのですが、私はまだ若い方に入ると思います。入社もしたばかりだし、どうせ切られるのはもっと上の人たちだろうと考えていたのです。ですが、現実はそうではありませんでした」


 彼は一度大きく息を吐いて話を区切った。私はなるべく優しげに、促すように質問する。


 「それから、どうなったのです」


 「はい…内部でリストラ対象者の一覧が出回りました。そこには、私も含まれていたのです。絶望しました。なぜ私が、と。……聞いた話によると、『まだ若いから他に転職や就職ができるだろう』という声があがったからだそうです。でも、それは偏見です。就職でどれほど私が苦労したのか、皆知らないのです。


 これが1週間前の出来事でした。最初はなかなか現実を飲み込めず、次に怒りが湧いてきて会社に腹いせでもしてやろうと考えたのです。しかし日が経つにつれ気力が無くなっていき、食事も喉を通らず、夜も眠れなくなり、何をしていても職を離れたあとを想像して、不安に駆られるようになりました。そして上京する前にかけられた、父からの言葉を思い出しては涙に暮れるのです。『デカい花火を打ち上げてこい』という父の言葉を。私には無理です。尻込みしてしまいます。私に花火は打ち上げられません。父の期待には答えられないのです。そう考えるとまた悲しくなって、消えたくなってしまうのです」


 話し終えると、彼は両手で顔を覆ってシクシクと泣きはじめた。


 私はメモを取り終わりペンを置くと、思案を始めた。この患者に合う治療法は何か。基本的には投薬治療を勧めるのだが、彼のオドオドと話す姿を見て一つ感じたことがある。もしかしてそこのアドバイスをすれば、患者の症状はよい方向へ進むのかもしれない。試してみるか。


 「よろしいでしょうか」


 患者に、優しげな声をかける。


 「はい、なんでしょう…」


 「あなたは将来の不安に苛まれているようですね。これからの方針として、投薬治療を勧めさせてはいただくのですが、それともう一つあなたにやっていただきたいことがあるのです。それは…」


 「それは?」


 「勇気を持つことです。あと一歩、踏み出すのです。大丈夫。あなたには勇気が備わっています。お父様が言っていたお言葉も、再就職も、きっとあなたなら叶えられます。その心を、めげずに持ち続けてほしいのです」


 患者にはこういったアドバイスをすると、逆効果になってしまうパターンもある。なので基本的にアドバイスなどしないのだが、今回の場合は自信をつけさせた方が良いと、私なりに判断して行ったのである。


 するとどうだろう。患者が下を向いてブツクサと私の言葉を反芻はんすうし、次に顔を上げると、見違えるほど血色が良くなっているではないか。


 「本当ですか。本当に私ももう一歩、踏み出してよいのですか」


 彼は喜ぶ子犬のように、私に確認をとった。


 「え、ええ。良いのです」


 突然のテンションの変わりように面食らいはしたが、ここまで顕著に症状が回復してくれると、なんだか医者冥利に尽きるというものだ。


 「ありがとうございます!ありがとうございます先生!!」


 「いえいえ、それではお薬の処方が──」


 その後、診察室から出るまで何遍も大層な感謝をして彼は帰っていったのであった。



 ──数日後。私は新聞の記事を見て青ざめた。


 "『××商事、爆破される』


 昨夜未明、××商事に爆弾が投げ込まれ爆破される事件が起き、犯人はその場で逮捕された。現行犯で逮捕されたのはムラタトシオ26歳(男性)。警察によると、ムラタはリストラされた恨みでやったと供述しているという。また、『先生に勇気をもらった、やっと花火を打ち上げる覚悟ができた』などと意味不明な供述もしており、警察はこの発言が事件との関連性がないか、調査を続行するとのこと──"

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