それも自分、あれも自分
私の心の中には、天使と悪魔がいます。例えば落とし物の財布を見つけた時に、天使は「落とし物を交番に持っていきましょう」と言い、悪魔は「中身を抜いてしまおうぜ」と囁く。そんなイメージ図を皆さんも見た事があると思いますが、そう、まさにその天使と悪魔です。
ある日、私はスーパーへ買い物をしに行きました。道を歩いていると、先の方に親子連れがいます。母親と8歳くらいの少年です。彼らも私と行き先が同じようで、「今日の夕飯は何にしようか」とか「今日はお父さんも帰りが早くて、あっちにもう居るみたいよ」などと、平穏な会話をしています。
その時、子供の鞄からキーホルダーが落ちました。何かしらの戦隊キャラです。それを私が拾い上げると、心の中で天使と悪魔が話しかけてきました。
天使は「早く返してあげましょう」と言います。悪魔は「そんなもん返さなくていい、盗んじまおうぜ」と言います。もちろん私は天使に従い、少年にキーホルダーを返してあげました。
「わあっ、これすごく大事なものなんだ!ありがとうおじさん!」少年の純粋無垢な笑顔に、私の心は洗われました。「お父さんから誕生日に貰ったプレゼントなんですよ、ありがとうございます」母親はそう感謝を伝えてきます。
良い行いをすると、良い気分になるな。私はそんな当たり前のことを考え、目的地のスーパーに着いたのです。
店内に入ると様々な食材が目に飛び込みました。大根、人参、きゅうり──私はその日カレーを作る気だったので、人参やじゃがいもにカレールーといったありきたりな食材をカゴに入れていきました。すると、途中で酒のコーナーが目に入ったのです。実を言うと私は禁酒中だったので、見てはいけないと思いつつ、しかし見るだけならと葛藤して、気が付けば日本酒の陳列棚の前に立っていたんです。
見るだけだ、見るだけ。自分にそう言い聞かせていると、また天使と悪魔が喋り出しました。天使は「あなたは頑張っているのだから、一本くらい買っても良いでしょう」と言います。悪魔は「お前は禁酒中なんだから、ここにいるのもダメだろう!」と叱ります。
私は天使に従いました。キーホルダーを返した時も天使は正しかったのですから、当然、今回も天使が正しいはずです。私は代わる代わる一升瓶を手に持ち、どの種類が良いかと物色をし始めたのです。
そうしていると、大好きな銘柄を見つけました。しかも残りは一本しかなく、売り切れてしまう直前ではありませんか。やはり天使は正しい。私はそう確信を持って瓶を持ち上げたのです。
すると、後ろからドンっと衝撃が。瓶をしっかりと持たずにいた私にも非がありますが、とにかく手から酒瓶が落ちて、無惨にもバリンと割れたのです。
私は頭にきて、「おい!最後の一本だったんだぞ!」と怒号を飛ばしました。するとぶつかってきた男は「すまんすまん、ついぶつかっちまったんだよ、許してくれや」と言ってきたのです。その態度に私はさらに腹立ちました。覆水盆に返らず、あの日本酒はもう戻ってこないのです。なのにこの男はあんまりにも軽い態度で謝ってきたわけなのですから。
あぁ、この男をどうにかしてやりたい。何て考えていたら、そうです。また心の中に天使と悪魔が出てきたのです。
天使は言いました、「この男には罰を与えるべきです。さあ、そこの割れた瓶を使って、男に罰を与えましょう!」と。
悪魔は言いました、「おいおいお前がボーッと突っ立てってるのが悪いんだろうが、暴力なんて情け無い真似やめとけよ」と。
私はこの時、存在しない悪魔の顔が、目前の男の顔と重なった気がしました。「そうだ、こいつは悪魔なんだ。悪魔は罰しなければ!」私は天使の言葉に従いました。当然です。天使はいつも正しいのです。私は割れた瓶の破片を持って、男の腹部に突き立てました。
男は痛みに叫びます。「ざまあみろ、悪魔め」天使はほくそ笑みます。
叫び声を聞いて、人が集まってきました。その中に先程の親子連れがいます。少年は刺された男を見て、「お父さん!」と呼びかけました。
少年は困惑と憎悪の目を私に向けてきました。おかしい、私は天使に従ったのだから、正しい行いをした筈です。それなのに何故、少年を悲しませているのでしょうか。もしや心の中の天使は、天使の顔をした悪魔だったのでしょうか。
そう思い天使の姿を心に思い描くと、その天使の顔は、とても醜い、私の顔でした。
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