妹が俺のファンなんですけど!④

「茜音ちゃん」


 とことこと駆けてくるスズは、小動物のようだった。


「どう?」


 スズは今の今まで撮影に夢中になっていたが、どうやら茜音の勧誘を忘れていたわけではないらしい。カラーコンタクトをつけた紫色の瞳が、爛々と茜音を凝視している。俺のことなど視界に入ってもいないのではなかろうか。


「あ、えっと……楽しそうだなぁとは」

「だったら、どうかな?」


 ことりと首を傾げると、長い水色のウィッグがさらりと流れる。

 コスプレ衣装での日常行為は、やっぱりどこか不思議なものだ。何度目にしても、異空間に迷い込んだような感覚が抜けなかった。俺でさえまだそう感じるのだから、茜音が挑戦するのを躊躇うのも分かるような気がする。

 同時に、スズが茜音を誘う理由も分かる。

 多分、こいつはかなり映えるはずだ。身内としての欲目を抜いても、茜音は可愛い。……だろう。だからこそ、コスプレ姿を見てみたい欲求も俺の中に確かに存在していた。

 メリハリのある身体の線も、ブロンドのしなやかさも、天然の翡翠色の瞳も。きっと何もかも、そのままで存分に機能するはずだ。


「あ」


 閃きに、思わず言葉が零れた。大声のつもりはなかったが、その場の耳目を集めるには事足りたようだ。

 スズと茜音が、双子のように揃って首を傾げてくる。


「お前さ、カンナやんない?」

「は?」


 鈍いのは茜音だけで、スズは一瞬で破顔した。


「いいね! さすが、ミズキ。ちょっと待ってて」

「え、あの」

「カンナもいるから。ちょっとだけ」

「い、今?!」

「思い立ったが吉日だよ」


 スズはそそくさと、仲間の元へと駆けていく。身振り手振りで懸命に訴える手が、こちらを示すことが何度かあった。


「スズさん凄いね」

「バイタリティに溢れてるだろ」

「ていうか、お兄ちゃんも何なの? 急に」

「いや……」


 一番好きなキャラと妹を重ね合わせたというのは、なんとも言い出しづらい。言葉尻を消した俺に、茜音は渋い顔を見せた。猜疑に満ちたそれは、見ているだけで息苦しい。


「お兄ちゃん?」


 平常通りに覗き込まれて、喉を絞める。

 俺の弱点を分かっていてやっているのではあるまいか。そう疑問視したくなるほどに、的確なタイミングで繰り出してきた。


「……お前、ブロンドだし、翡翠だし。そのままでもだいぶいいんじゃん?」

「……複雑」


 言葉通りに、筆舌に尽くしがたい顔色をしていた。下がった眉尻と寄った眉根は正反対の感情のようで、実に見事な所業だ。


「俺もそう思ってる」


 それはコスプレ姿の俺に、ミシュの美質を説く茜音に対しても思うことだ。そして、妹をカンナと対照している引け目でもある。

 俺とミシュに関してはまだ割り切れるが、後者においてはすこぶる難しかった。婉曲に妹が容姿的に好みであることを打ち明けているようで、動揺する。

 そんなつもりはないというには、わずかに心当たりがあるのが痛いところだ。俺は二次元でも三次元でも、胸に弱いと自負している。あくまでも容姿の話であって、妹がいいわけではないが。


「キモい?」

「複雑だって言ってんじゃん」

「……そうだな」


 断言しないことを馬鹿正直に享受すればいいのか。断言を躊躇うほどドン引かれているのか。真偽を見極めるには、俺は茜音と長い間離れ過ぎていた。


「……私も同じことしてるだろうから、強く言えないなって」

「そんなに客観視できてるなら、もうちょっと言葉選べよ」

「だってミズキさんのミシュたん可愛いんだもん」


 ぷくりと頬を膨らませて、不貞腐れる。そんな仕草をしたって、言っていることはちっとも可愛げがない。


「だから」

「茜音ちゃん!」


 言い募ろうとした言葉は、ハイテンションなスズに遮られてしまった。言い合いは堂々巡りになりそうだったので、これはいいことだったのかもしれない。

 茜音はスズに拉致られて、カンナのコスプレをしていた彼女に引き合わされていた。束の間、縋るような眼差しが俺を射抜いたが、苦笑いでスルーする。

 悪いようにされるわけじゃない。茜音だって、心から嫌なわけじゃないだろう。戸惑っているだけだ。その間合いが読めるのは、腐っても兄妹だということだろうか。


「メイクなんかは時間がかかるから軽くだけど、やってくれるって」

「マジで?」

「見たかったんでしょ?」

「いや、似合うだろうなとは思ったけど」

「ミズキって本当に茜音ちゃん好きだよね」

「どこに念押しして質問する要素があった?」


 好きか嫌いかの二分を求められれば、好きに違いない。たった一人の妹であるし、嫌うほどの確執があるわけでもなかった。だが「本当に」などと念を押されるほどでもない。


「だって、お願い聞いちゃうような優しいお兄ちゃんでしょ?」

「……それはほら……スズたちとだったから、まぁ、ダメもとでと思ったんだよ」

「断っても良かったのに?」

「断っても一度じゃ聞かないからな」

「ふーん」


 思わせぶりな相槌に、言葉を飲み込む。全体的に否認を続けたいところだったが、これ以上意地を張るのも腑に落ちない。妄執していると思われるのも癪だった。




 少しの間を待って、茜音が登場した。

 カンナのコスプレに身を包んだその姿が見えるや否や、小さなどよめきが広がる。可愛い、と誰が言ったのを皮切りに、たった数名できゃあきゃあと騒ぎ立てた。女性らしい反応だなと、俺はそれを遠巻きに眺める。

 他のプレイヤーに埋没して、頭からつま先までをじっくりと見定めることはできない。けれど、人目を惹くのを悟るには十分だった。

 俺の審美眼は間違っていなかった。と自身を褒めることで、この抗いようのない魅力を覆い隠す。

 茜音がミズキを評するのと同様に、カンナのコスプレをしているただのコスプレイヤーとして褒め称えればいいのだろう。しかし、それを認めるのは容易ではなかった。

 これはプライドなのか。気まずさなのか。思春期の男子が、親に感謝を伝えるのが上手くいかないような。反抗期には及ばずとも、どこか折り合いが悪い。そんなものだろうか。

 妹に綺麗だの可愛いだのを惜しみなく伝えられるほど、俺はふてぶてしくなかったらしい。

 しばしみんなに囲まれていた茜音が、集団を抜けて俺の元へとやってくる。


「どう?」


 上目に窺う瞳が揺れていた。緊張が漲っているのが分かる。露出の高い衣装に気後れして、背が丸まっていた。


「背、伸ばせ」

「あ、え、でも、これ」

「姿勢が悪いと変だぞ」


 茜音はのろのろと背筋を伸ばして、襟を正した。それでもまだ、俺を覗き込める身長差がある。それを優位に利用して、茜音は俺を見上げてばかりいた。

 ビキニアーマーと呼んでもいいような露出度は、どうしても気になるんだろう。フォローされているとはいえ、肌の眩しさは言うに及ばない。ふんわりと緩んだブロンドは、いつもよりもずっと柔らかな印象だ。するりと指を絡めると、艶やかさが指の間をすり抜けていく。


「地毛?」

「うん。巻いてもらったの。変?」

「いや、こういうのも悪くないよ」

「もっと気障なこというもんじゃないの?」

「お前、俺を何だと思ってんの?」

「女たらし」

「茜音相手にそれを発揮してどうすんの?」

「機嫌をとるとか?」

「そんな理由でいいのかよ」


 くつりと零れた笑いに、茜音も気が緩んだようだ。

 心配しなくても、ちゃんと似合ってるよ。機嫌をとる理由もないから、言ってやらないけれど。


「茜音ちゃん、せっかくだから撮らない?」

「一人ですか?」

「ミズキ、入ってあげて」

「……分かった」


 不安げな瞳にいちいち見上げられると、冷遇などできなかった。

 先程のスズの念押しを、四の五の言えた立場ではないのかもしれない。好き云々は横に置いても、俺はやっぱり茜音に甘かった。

 スズに案内されて、俺たちは壁際に並ぶ。

 茜音は棒立ちになって、途方に暮れていた。記念撮影のような味気なさである。ただの学校行事であるなら、それでも構わなかっただろう。しかし、これはスズ発案のコスプレ体験なのである。スズは当然のようにポーズを要求してきた。

 茜音はあわあわと泡を食って、借り物のような笑顔を浮かべている。


「スズ、勘弁してやれよ。初めてなんだから」

「えー……だって、茜音ちゃん被写体としてすごくいいんだもん。二人ともやっぱり絵になるね」

「並んでるだけだろ」

「じゃあ、絡んで」

「おい」

「ちょっとだけ。妹さんだから、いつもより気楽でしょ?」


 スズは、俺が他人との接触に気を遣っていることを知っている。確かにその点で言えば、茜音ほど気軽な関係性もない。一方で家族としての気恥ずかしさがあるのだけれど、その理屈を通せる自信はなかった。理屈として口にすることさえも、憚られる。

 俺は嘆息して、早々に諦念した。長々と口争う消耗とポーズの受注では、後者のほうがまだ飲み込める範疇である。

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